
ライアン・マサアキ・ヨコタは、日本人と沖縄人の血を引く四世/新二世日系人です。現在は、イリノイ州シカゴの日系アメリカ人奉仕委員会で開発・遺産センター所長として勤務し、デポール大学で非常勤講師も務めています。シカゴ大学で東アジア・日本史の博士号、カリフォルニア大学ロサンゼルス校でアジア系アメリカ人研究の修士号を取得しました。彼の曽祖父は第二次世界大戦中にアーカンソー州ローワーの日系アメリカ人強制収容所に収容されました。また、祖父母と父は広島の原爆投下を生き延びました。
彼の学術出版物には、最近出版された沖縄の自治運動に関する章、沖縄の先住民族に関する記事、 ロサンゼルスのペルー系沖縄人に関する章、 キューバの日本人と沖縄人に関する記事、アジア系アメリカ人運動活動家パット・スミへのインタビューなどがある。彼は、シカゴの日系アメリカ人コミュニティの語られざる物語を紹介する日系シカゴのウェブサイトの創設者でもある。
2018年2月更新
この執筆者によるストーリー

JASC はアルファウッド ギャラリーと提携して「そして彼らは私を狙った」を開催。中西部最大の JA 刑務所展
2018年2月1日 • ライアン・マサアキ・ヨコタ
2017 年 6 月 29 日、アルファウッド ギャラリーは日系アメリカ人奉仕委員会 (JASC) と提携して、初のオリジナル展示会「その後彼らは私を襲った: 第二次世界大戦中の日系アメリカ人の強制収容と市民的自由の消滅」の開催を発表しました。この展示会は 2017 年 11 月 19 日まで約 4 か月半にわたって開催されました。アルファウッド財団の取り組みとして設立されたアルファウッドギャラリーは、歴史の教訓だけでなく、今日のアメリカが直面している現代の課題についても語…

シカゴのコミュニティが2017年の追悼の日と大統領令9066号発布75周年を記念。700人以上が芸術と青少年プログラムの週末に参加
2017年5月2日 • ライアン・マサアキ・ヨコタ
「これは実際に起こったことです。私の愛する人に起こったことです」と詩人で作家のドワイト・オキタは、第二次世界大戦中の日系アメリカ人の強制収容体験について詩を書く理由について語った。「これはまた起こる可能性があります。あなたの愛する人に、あるいはあなたに起こるかもしれません。だから歴史の過ちを繰り返さないようにしましょう。」 今年の追悼の日(DOR)のメインプログラムには、満員の聴衆が集まる中、沖田氏のほか、映画「オレンジ物語」のエグゼクティブプロデューサーのジェイソン・マツ…

抵抗
2017年4月20日 • ミヤ・イワタキ , ライアン・マサアキ・ヨコタ , トレイシー・カトウ=キリヤマ
今月号の「日経アンカバード」へようこそ。詩のコラムです。大統領令9066号調印75周年とマンザナール巡礼50周年を記念して、ロサンゼルスの三世作家で活動家のミヤ・イワタキ氏と、四世JA/沖縄系アメリカ人二世の教育者で作家のライアン・マサアキ・ヨコタ氏(シカゴ在住)の作品を通じて、抵抗の美徳と背後にある物語に目を向けます。ハートマウンテンでの闘争に燃えた歌から、当時も今も、そして何度も何度も私たちが行進した理由まで、どうぞお楽しみください。 —トレイシー・カトウ・キリヤマ* …

前を向いて:シカゴの混血日系アメリカ人
2017年2月9日 • ライアン・マサアキ・ヨコタ
「混血の人がよく聞かれる質問の一つは『あなたは何者ですか?』です」と、デポール大学のローラ・キナ教授は、2016年7月19日にシカゴで行われた混血のアイデンティティに関するフォーラムで述べた。「私は特に日系アメリカ人に見えません。外見的にはラテン系に見えると思います。だから、私は大抵そういう風に人生を送っています」 「私の民族的背景は、母が白人ですが、白人の中にも民族が存在します。母方の家族はスペイン系バスク人で、父はテキサス出身で、フランス、イギリス、アイルランド、オラン…

シカゴの日系アメリカ人の女の性別判定者 - パート 2
2016年9月29日 • ライアン・マサアキ・ヨコタ
パート 1 を読む >>シカゴでの学校教育第二次世界大戦の終わりには、約 12 万人の日系アメリカ人が戦時中に日系アメリカ人強制収容所に収容された後、多くの日系アメリカ人がシカゴなどの場所に再定住し、生活を立て直そうとしました。そして、収容所や現役兵役から戻った若い男女の中には、生活を立て直したいという熱意から、「ひよこの性別判別」という儲かる仕事に就いた人もいました。これは日系アメリカ人の雑誌やガイドブックに全面広告で掲載され、復員兵援護法の資金で賄うことができた職業でし…

シカゴの日系アメリカ人の女の性別判定者 - パート 1
2016年9月28日 • ライアン・マサアキ・ヨコタ
シカゴのリバーノース地区にある現在のノース ラ サール ストリート 821 番地では、ここが西海岸以外では主要な日系アメリカ人のひよこの雌雄鑑別学校のひとつだったことを想像できる人はほとんどいないでしょう。実際、現在この場所となっている高級アパートの建物の場所に、焼けたひよこの臭いがこの地区全体に充満していた商売の痕跡はほとんど見当たりません。 「使用済みのひよこは建物の裏にある焼却炉で処分されていました」と、1950年代初めにこの場所にあった全米ひよこ雌雄鑑別協会の学校に…

シカゴの日系ペルー人コミュニティ
2016年7月21日 • ライアン・マサアキ・ヨコタ
昨年の暖かい春の日、日系ペルー人コミュニティのメンバーはシカゴのキリスト教長老派教会の席を埋め尽くしたが、礼拝のためではなく、映画の上映を観賞し、日系ペルー人口述歴史プロジェクトの最新情報を聞くためだった。中にはスペイン語をささやき声で話す者もおり、日本人の顔とスペイン語のアクセントの不調和は、第二次世界大戦中に約2,264人の日系ラテンアメリカ人が母国から米国内の複数の司法省収容所に強制収容された現実を物語っている。これらの収容者のうち約1,800人はペルー出身で、多くは…

二世のシカゴ移住前の思い出
2013年10月17日 • ライアン・マサアキ・ヨコタ
日系アメリカ人の再定住以前のシカゴでの生活を覚えている数少ない二世の一人である「ロッキー」ヤマナカの物語を、大恐慌時代の家族の苦難、第二次世界大戦終結の日であるVJデーに徴兵された経験、そして劇的に変化したシカゴへの帰還まで追っていきます。「私の日本語名は『岩』を意味する巌です」と、現在シカゴの北側、リンカーンスクエア地区に住む二世の「ロッキー」山中さんは説明する。「そのため、私のニックネームは『ロッキー』になったのです。」 86 歳にしてはまだ頭脳明晰で、かなり元気そうな…
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