日本語の動詞「すむ」は3つの意味を持っている。「住む(TO LIVE)」、「澄む(TO BECOME CLEAR)」、そして「済む(TO FINISH)」である。この3つの動詞は語源的には一つの動詞から派生して生まれた。3つの動詞を並べてみると、過去・現在・未来という一つの時間の流れが見えてくる。それは「動態」から「静止」へと緩やかに下降してゆく。ある場所に住み、心が澄み、そして人生が済むのである。人はこれを「大往生」と呼ぶ。
2019年7月、94歳で逝去したカナダ人のキャスリーン・ゴーリングはかくしてトロントで多くの人に惜しまれながら大往生を遂げた。だが、彼女の徐々に衰える姿を身近に感じ、介護し続けた孫・博基には複雑な思いが渦巻いていた。そこで、ミュージシャンの博基は彼の心の思いを解きほぐし、言葉を与えメロディに乗せて一枚のアルバムにした。
タイトルは「介護記憶曲集*」。「回想曲」ではなく「記憶曲」としたのには理由がありそうだ。「回想」に伴う美化や「懐かしむ」姿勢はそこにはない。その代わりに、生々しく時に痛々しい「記憶」の断片が詰まっている。日本の童謡を歌う高齢者施設のシニアたちの合唱、台所の鳩時計の音、流し台に落ちる水滴、皿が重なり合う音、幾度となくホーム・ディナーが始まる前に鳴らされたドラの音。さまざまな生活音が混ざり合っている。
さらに、博基の叔母でハープ奏者の…