ディスカバー・ニッケイ

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郷 崇倫

(ごう・たかみち)

@myvisittomanzanar

オレンジコースト大学、カリフォルニア州立大学フラトン校、横浜市立大学にて、アメリカ社会の歴史、日系人社会の歴史を含めるアジア大洋州系アメリカ人社会のを学ぶ。現在はいくつかの学会に所属しつつ、独自に日系人社会の歴史、とりわけ日系人社会と日本社会を「つなぐ」ために研究を継続している。また外国に「つながり」をもつ日本人という特殊な立場から、現在の日本社会における内向き志向、さらには排外主義の風潮に警鐘を鳴らしつつ、日本社会における多文化共生について積極的に意見を発信している。

(2016年12月 更新)  


この執筆者によるストーリー

「JRパス騒動」に対する、ブラジル日系人社会の反応

2017年11月22日 • 郷 崇倫

海外に移住した日本人、つまり、一世の人々にとって、移住後の日本訪問には、特別な意味があります。日本に住む親族や友人に近況を報告したり、旧交を温めるだけでなく、みずからの人生における日本との「つながり」を再確認するための一種の「儀式」でもあります。それは、日本の親類や友人にとっても、海を越えた人間関係を振り返るための、非常に良い機会です。 ニッポンは遠きになりにけり? JRパスとは、1987年のJRグループ発足後に販売が始まった、日本を訪問する外国籍の人を対象とした、短期…

柔道見学団―日系アメリカ人と日本人の「つながり」を振り返る

2017年10月30日 • 郷 崇倫

アメリカの日系人社会ではその黎明期より、柔道は重要な文化的活動のひとつでした。1930年代、世界恐慌下であるにもかかわらず、各地で柔道を通した国際親善に取り組む日系人団体がありました。南加(南カリフォルニア)においては、南加講道館柔道有段者会が中心となって、優秀な成績を収めた二世の若者たちを、柔道見学団として日本に派遣することになりました。このとき、代表に選ばれた二世のなかに、オレンジ郡で不動産業を営み、当地の日系人社会の歴史を調査したことで知られる、西津クラーレンス巌(C…

日本を去った若者たち―21世紀における日本人の海外移住事情

2017年6月30日 • 郷 崇倫

日本政府主導による日本人の海外移住は1973年の春、最後の移民船、ブラジルを目指したにっぽん丸が横浜を出港して以来、その波が途絶えたとされますが、その後も、留学や国際結婚、就業などを理由に、海外に移住する人々が続いています。その数は、1年あたり十数万人とされます。 21世紀をむかえた日本社会における日本人の海外移住事情とは、どのようなものなのでしょうか。わたしのように留学(わたしは2002年にアメリカのコミュニティ・カレッジに入学しました)を理由に海外に移住した人々がいた…

福田太郎―「ニッポンの黒幕」を支えた日系人

2017年5月19日 • 郷 崇倫

1990年の法改正によって、多くの日系人が来日したものの、依然として、日本人にとって彼らの存在は身近なものではありません。しかし、日系人の存在は、昭和初期より、日本社会のさまざまなところで見られるようになりました。今回は、「ニッポンの黒幕」を支えた日系人について紹介したいと思います。 彼の名前は、福田太郎。そして彼が支えたのは、児玉誉士夫。数多くの会社経営者のみならず、国会や地方の有力な議員とも深い人脈をもち、同時に右翼団体や反社会的組織の幹部とも通じたことから、「ニ…

長崎源之助が描いた日系人―『ボク、ただいまレンタル中』を読む

2016年12月14日 • 郷 崇倫

日本の児童文学においても、日系人の存在を見つけることができます。わたし自身、かなり前からこの作品のことを知っていましたが、長い間、この作品を強く意識することはありませんでした。しかしながら、数年前に日本社会における韓国系の人々の結婚事情に関する研究を知る機会を得たときに、ふとこの作品を思いだしました。 『ボク、ただいまレンタル中』は1992年11月に、作家の長崎源之助氏(1924-2011)がポプラ社から出版しました。そして出版の翌年、この作品は第39回青少年読書感想…

ある初老の一世の物語

2015年6月5日 • 郷 崇倫

派米農業労務者事業(カリフォルニア農業研修生)をとおして加州(カリフォルニア)にやってきた鹿児島県出身のYさんは、州南部はアリゾナ州境に近いインディオ(Indio)にある、アルメニア系が経営するブドウ園において、同郷の数十名の仲間たちとともに炎天下のなか一生懸命働いていました。1 ある日のことでした。Yさんは、近隣の農場に、身寄りのない初老の一世がいることを知り、会いに行くことにしました。話を聞いてみると、この人物は、Yさんと同じ鹿児島県の出身でした。そして、Yさんに、み…

ジャズの調べとともに―ジャズ・ミュージシャン、井原リチャードさん

2015年4月22日 • 郷 崇倫

南加(南カリフォルニア)はブレア市内のレストラン、シーダー・クリーク・イン(Cedar Creek Inn Restaurant)では、金曜日の夜から週末にかけて、レストラン内のバーで、ジャズの生演奏を聴きながら、お酒や食事を楽しむことができます。このレストランでは、地元南加を活動の拠点とする魅力的なジャズ・ミュージシャンたちが、かわるがわる演奏をおこなうので、地元の人々の人気スポットのひとつとなっています。 ある日、わたしはいつもお世話になっている井原先生から、シーダー…

伴正一さんと戦後の日本政府の移住政策について

2015年3月18日 • 郷 崇倫

伴正一という名前を聞いてピンときた人は、日本と中国大陸の関係に詳しい人なのかもしれません。伴さんは、1977年から1980年まで中国公使を務め、中国大陸との密接な関係の基礎を築いた外交官のひとりとして知られています。 現代社会における日中関係の功労者である伴さんは、戦後日本の移住政策にも深く携わっていました。今回は、移住と海外貢献いう点において、伴さんが携わった日本人難民の加州への移住と、派米農業労務者事業をとおして、彼の人物像について紹介したいと思います。 伴さんにつ…

幻となった「日系人駐日大使」提案―井上議員の前に立ちはだかった「日本事情」

2014年12月22日 • 郷 崇倫

日系人を駐日大使に。  これを初めて日本政府に提案したのは、今は亡き井上建議員(ダニエル・イノウエ)でした。日系人が駐日大使という地位に就くことで、アメリカと日本の双方の国益に結びつくことのみならず、アメリカ社会における日系人の地位向上にもつながると井上議員は考えました。時は1959年、日系人社会は、戦後の復興期からリドレス活動への過渡期にありました。  駐日大使を選ぶ権限はアメリカ政府が握っていますが、日本政府の意向を無視することはできません。…

「謝る人々」から学べること

2014年8月20日 • 郷 崇倫

加州農業経営者友愛団体の「良心」 先日、インターネットで羅府新報を読んでいたところ、大変興味深い記事を見つけました。 ”California Grange Apologizes for Anti-JA Prejudice” (邦訳(意訳)「加州農業経営者友愛団体、過去の日系人への反日的行為に謝罪」) 記事によると、加州農業経営者友愛団体(California State Grande)が、過去の活動などを通して行われた日系人への差別的行為に対して、市…

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