小嶋 茂
(こじま・しげる)
新潟県三条市出身。上智大学卒。ブラジル国パラナ連邦大学歴史科修士課程修了後、東京学芸大学などの講師を経て、JICA横浜海外移住資料館設立に関わる。早稲田大学人間総合研究センター招聘研究員。移民史、移民研究。主な著作に「日系コミュニティの将来とマツリ」(山本岩夫他編『南北アメリカの日系文化』人文書院、2007年)、「日本人移民の歴史から在日日系人を考える-ブラジル移住百周年と日系の諸相」(『アジア遊学』117、勉誠出版、2008年)、「海外移住と移民・邦人・日系人」(駒井洋監修『東アジアのディアスポラ』明石書店、2011年)。
(2021年4月 更新)
この執筆者によるストーリー
移民と移住者
2017年8月8日 • 小嶋 茂
移民と移住者の違いは何か。そして現在ではあまり聞き慣れない言葉だが、移住人や移住民、移民者という言葉も使われていた。これらの言葉の違いは何か。 結論から述べれば、これらはすべて同じ対象を指し、使われた時代が異なるだけである。しかし時代の変遷とともにその意味が変化した。さらには、移住という現象の始まりや状況変化に深く関わっている。これらの言葉がいつ頃使われたのかを確認しつつ、その背景を見てみよう。 歴史的に見ると、これらの言葉が出現する順番は、移住人・移住民・移民・移…
日系人とは誰のこと?
2017年4月21日 • 小嶋 茂
「日系人」とは誰のことか。この問いに対する回答は簡単ではない。現在における定義は「永住を目的として海外に渡った日本人移住者、およびその子孫」である。しかし、その過去の定義を調べて見ると、時代とともに大きく変化している。さらに当事者の意識の問題がある。決められた定義とは別に、この言葉を使う側の人により、それぞれ異なる意味が込められることがある。そうなると話が噛み合わない。多くの一世つまり移住者は、自分は日本人で、現地で生まれた二世以降が日系人であると考える人がたいへん多い。言…
移民研究との出会い
2016年7月26日 • 小嶋 茂
移民研究との出会いには本当に感謝している。そのきっかけは二つあったと思う。一つは大学でのすばらしい講義、そしてブラジルでの生活体験である。 1978年、上智大学ポルトガル語学科に入学すると、ポルトガル語やブラジルについて学んだほか、その頃上智にいらした加藤周一、金田一春彦、鶴見和子という先生方の講義に接する機会を得た。日本文化の特徴や日本語の面白さ、そして比較研究の奥深さに、目を開かれる貴重な体験だった。 とくに鶴見和子先生には、大教室での講義のほかゼミでも薫陶を受け、…
ブラジル、パラナ民族芸能祭にみる文化の伝承 ―日系コミュニティの将来とマツリ、そしてニッケイ・アイデンティティ― その2
2008年10月30日 • 小嶋 茂
>> その15.「ばあさんたちの踊り」とフォークダンス ― 日欧の対比筆者が初めてパラナ民族芸能祭を見物したのは1980年代始めだったが、その際に一種のショックを覚えた。そして当時は誰もが同じ感想を抱いたことと思う。なぜならば、日系以外のヨーロッパ系グループではどのグループにおいても子どもたちがたくさん参加しており、若い男女が各々の民族衣装をまとってフォークダンスを華麗に、そして時にはアクロバティックな演技を披露しながら様々な演目をきびきびと踊っていた。これに対…
ブラジル、パラナ民族芸能祭にみる文化の伝承 ―日系コミュニティの将来とマツリ、そしてニッケイ・アイデンティティ― その1
2008年10月23日 • 小嶋 茂
1.海外日系社会におけるマツリ現在、海外の日系社会において行われ比較的歴史の古いマツリは、大きく二つの型に分類できる。屋外の広場や通りを中心として行われる広場型と、劇場や会館のステージなどで行われる劇場型である。 広場型はかつて日本人町が栄えていた地域を中心とした場所で行われるものがほとんどである。広場での太鼓のパフォーマンスや、通りで行進しながら音頭や踊りを披露するイベントが中心になっている。場合によっては、屋内での生け花や書道などの作品展示、ダンスや劇の舞台公演などが…
日系人からの脱皮 ― 新しいアイデンティティとしてのニッケイ ― その2
2007年8月17日 • 小嶋 茂
その1 >> 3.日系コミュニティの変遷 ブラジルにおける日系コミュニティの変遷を歴史的に辿ってみると、大きな流れとして、戦前、戦後以降、そしておよそ1980年代以降という区分ができる。そしてそれは、日系コミュニティの呼び方、その総体の一般的呼称からも理解できる。つまり、戦前の在伯同胞社会から、戦後以降の日系コロニア、そして80年代以降の日系社会という大きな区分である。 在伯同胞社会、日系コロニア、日系社会 第二次大戦以前は日本人移民の大多数は、あくま…
日系人からの脱皮 ― 新しいアイデンティティとしてのニッケイ― その1
2007年8月16日 • 小嶋 茂
1.ブラジルにおける日系人のイメージ 1997年、ブラジルでは州都の市長として日系人では初めて、パラナ州の州都クリチーバにカシオ・タニグチが選出された。そしてその後タニグチは、同市長としてはこれも初めて、連続二期を務めるという栄誉にあずかった。しかし皮肉なことに、市長選挙立候補当時タニグチは、同市の日系コミュニティにおいてその存在がほとんど知られていなかった上に、そのリーダーたちとも交流がなかった。その一方、タニグチの選挙戦では、タニグチが日系人であることをはっきりと意識…
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