セリア・サクライ
(Célia Sakurai)
ブラジル日本移民歴史の研究者。「Romanceiro da Imigração Japonesa (小説集・日本移民)」(1993年)、「Imigração e Política(移民と政治)」(1995年)、「Imigração Tutelada. Os japoneses no Brasil(庇護された移民:ブラジルに来た日本人)」(Unicampサンパウロ州立カンピーナス大学博士論文、2000年)、「Os Japoneses(日本人)」(2007年)などの著書がある。その他多数のエッセイを執筆。第一回文協短編コンクール優勝作品「塀一つ隔てた2つの家庭」は、2013年11月11日ディスカバー・ニッケイに掲載された。
(2017年6月 更新)
この執筆者によるストーリー
ブラジル移民 109年の歴史
2017年6月18日 • セリア・サクライ
「身につけた学問は誰も取り上げることはできない」。これは、この109年間、ブラジルの日本人や日系人の親たちが子供たちに繰り返し言ってきた言葉である。この格言は、いつの時代も、全ての子供に当てはまるが、ブラジルに定住した移民の家族の教育目的は時代によって変っていった。 1908年に移民船「笠戸丸」でサントス港に入港した781人の 最初の日本からの移民とその後第二次世界大戦前までに到着した169,000人の家族(構成家族1も含む)は、故郷へ錦を飾るのが目標だった。子供を連れて…
塀一つ隔てた2つの家庭
2013年11月11日 • セリア・サクライ
まったく!言い過ぎだわ。ビラだって警戒していないのに、とKさんは思った。でも「見ておきます」としぶしぶ言った。 大根のにおいをガス漏れと間違えられて、悲しかったし、恥ずかしかった。エラはよく塀の向こうの台所から言った。 「なんて変な臭いなんだ!」 Kさんが大量の大根の漬物を作る水曜日は、いつもそうだった。 庭の奥から家の前の門まで続く塀は、2軒の家を仕切っていた。塀の両側には狭い通路があるだけだった。そして、困ったことに、2軒の台所は塀を狭んで向き合っていたのだ。し…
日系ブラジル人の過去と現在
2008年1月24日 • セリア・サクライ
ブラジルにおける日本人の歴史は、1908 年にブラジル政府によって正式に認められた最初の移民が到着したことで始まります。それ以来、たどる道は長く、しばしば波乱万丈なものとなりました。最初に直面した大きな問題は、ブラジルについての知識がまったく欠如していることでした。日本人は、移動先であるこの国について、その距離と、ここでは簡単に金持ちになるという宣伝以外には何も知りませんでした。同時に、ブラジル人は日本人についてほとんど知りませんでした。これは 1 つの側面です。日本人移民…