ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/author/rafu-shimpo/

羅府新報

(らふしんぽう)

@rafushimpo

『羅府新報』は日系アメリカ人コミュニティ最大手の新聞です。1903年の創刊以来、本紙はロサンゼルスおよびその他の地域の日系に関わるニュースを日英両言語で分析し、報道してきました。『羅府新報』の購読、配達申し込み、オンラインニュースの登録についてはウェブサイトをご覧ください。

(2015年9月 更新)


この執筆者によるストーリー

ボランティアの声:全米日系人博物館を支える人々
メリー・カラツさん

2016年3月14日 • 羅府新報

「1993年に大規模な非営利団体の会長補佐を引退した後、私はボランティアとして第二の人生を歩み始めました」とメリー・カラツさんは言う。決断力と人間的な魅力を兼ね備える彼女は何年もの間、全米日系人博物館のような地域密着型の組織の間で大立者であった。 彼女は初め、お世話になり、他人に奉仕するとはどういうことかを教えてくれたある白人女性からインスピレーションを得た。「彼女の存在は私の人生に大きな影響を与えました」とメリーさんは言う。「私は子供のころ、彼女のようになりたいと思…

ボランティアの声:全米日系人博物館を支える人々
ロバート・“ボブ”・ウラガミさん

2016年2月22日 • 羅府新報

「博物館は自分には縁のない場所だった」というボブ・ウラガミさん。彼が、全米日系人博物館と初めて出会ったのは、開館記念展「Issei Pioneers: Hawai`i and the Mainland, 1885-1924(一世の開拓者たちーハワイとアメリカ本土における日本人移民の歴史1885-1924ー)』」の準備のため、1991年に展示品の依頼を受けたときだった。 長年、母が保管していた1916年付の日本語の手紙を提出し、翻訳してもらった。それは結婚前、父が母にあてた…

ボランティアの声:全米日系人博物館を支える人々
田島喜八郎さん

2016年2月8日 • 羅府新報

田島喜八郎さんの父キミオさんは、アメリカ生まれの二世だが、28歳で日本兵としてニューギニアで戦死した。父が召集されたとき生後10カ月だった喜八郎さんは父の顔も覚えていないが、喜八郎さんは戦争遺児といわれて育った。 小学生の頃に「なぜ僕は戦争遺児なの?」と母に聞いた。母は「お父さんは日本兵として戦死したけど、アメリカで生まれ育ったのよ」と話した。会ったことのない父を慕う気持ちが芽生え、そのころからアメリカへ行きたいと思い始めたという。 喜八…

ボランティアの声:全米日系人博物館を支える人々
ネーハン・グラックさん

2016年1月25日 • 羅府新報

ボランティアのガイドとして、ネーハンさんはプライド、思いやり、そして信念をもってツアーを先導している。ツアーをする彼を見て、多くの人が驚き、ひょっとしたら少し目新しく感じるのは、彼のルーツが日本に全くないからだ。 ニューヨークで生まれたネーハンさんは、6歳の時にカリフォルニアへ移った。1950年代の一つの偶然の出会いが、彼が想像し得なかった形で彼の人生を変えることになる。日系二世のカズト・ヒラタさんと出会ったのだ。この出会いが、彼が日系アメリカ人の歴史に興味を持つきっ…

ボランティアの声:全米日系人博物館を支える人々
馬上 直

2016年1月11日 • 羅府新報

東京生まれの直さんは、1970年代、カリフォルニアの州立大学に在学中、日系人の友人が日本語を話さないことに気がついた。同じ東洋人でも、中国系、韓国系の学生は親が話す母国の言葉をそれぞれが話すのに、日系人だけなぜ話さないのだろうと不思議だった。そんなとき、日系人が強制収容所に入る体験を描いたテレビ映画「Farewell to Manzanar(マンザナールよ、さらば)」 をアジア系アメリカ人研究の授業で見て、初めてその理由がわかったような気がした。 それから30年以上たった…

ボランティアの声:全米日系人博物館を支える人々
カイル・ホンマさん

2015年12月28日 • 羅府新報

カイル・ホンマさんは全米日系人博物館のヒラサキ・ナショナル・リソースセンターでボランティアをしている。彼がボランティアを始めたのは、博物館の開館当初から16年間ボランティアを続けた父方の祖父母、ヒデオさんとジューンさんの影響だ。 カイルさんは日系アメリカ人四世であるとともにメキシコ系アメリカ人の四世でもある。彼が祖父母に連れられて全米日系人博物館を初めて訪れたのは1997年、彼が小学一年生のときだった。「リトル・トーキョーの存在さえ知りませんでしたよ」と彼は話す。当時の彼…

YMCAとJAコミュニティリーダーのフレッド・ホシヤマ氏が100歳で逝去

2015年12月22日 • 羅府新報

YMCAと日系アメリカ人コミュニティの英雄であり伝説であったフレッド・ヤイチオ・ホシヤマ氏は、101歳の誕生日のわずか1週間前、2015年11月30日にロサンゼルスで亡くなりました。 1年前、ホシヤマさんの友人、親戚、関係者約150人がリトル東京の全米日系人博物館で彼の100歳の誕生日を祝いました。 「最初の100年が一番大変だと言われますが、私は2世紀目を楽しみにしています。その時皆さんにお会いできることを願っています」と彼は集まった人々に語った。 1914年12月7日、…

ボランティアの声:全米日系人博物館を支える人々
鮫島等さん

2015年12月14日 • 羅府新報

鮫島等さんは、1921年カリフォルニア州パサデナ市に生まれた。両親はともに鹿児島県の出身だ。日米が開戦した1941年、南カリフォルニア大学の3年生だった。日英両語が堪能な等さんは、第二次大戦中、日米両国の狭間で難しい立場に置かれた。 1942年、家族とともにアリゾナ州のヒラリバー強制収容所へ送られ、1944年にアメリカ陸軍に召集された。日本語が堪能な日系二世を中心に編成された米陸軍情報部(Military Intelligence Service=MIS)に所属した等さん…

ボランティアの声:全米日系人博物館を支える人々
ヤエ・カノガワ・アイハラさん

2015年11月30日 • 羅府新報

今日の全米日系人博物館における日本語ガイドの中で、ヤエ・カノガワ・アイハラさんは最後にして唯一の第二次大戦中に収容所での暮らしを経験した日系二世だ。他の日本語ガイド達は日本で生まれ育ったもの、または帰米と呼ばれる日本で育ち日本語を学んだものたちだ。ヤエさんは子供の時に日本語を学び始め、第二次大戦中もテキサスでも日本語の学習を続けた。 ヤエさんはワシントン州タコマで生まれ、戦争が始まったとき16歳だった。彼女の父、ショウ・カノガワさんは和歌山県出身で食料品店を経営してい…

ボランティアの声:全米日系人博物館を支える人々
マサコ・イワワキ・ムラカミさん

2015年11月16日 • 羅府新報

マサコ・イワワキ・ムラカミさんは、戦時中の収容所生活の苦労話などを両親からほとんど聞かされていなかった。日本軍による真珠湾攻撃によってもたらされたさまざまな困難な状況に対して両親は、子どもたちが心配しないように、なるべく通常通りの生活を保とうとしていたのを、当時8歳だったマサコさんは知っていた。 最近になってマサコさんは、母親が当時トパーズ収容所にいた友だちに日本語で書いた1945年8月15日付けの手紙を発見した。偶然にも、日本の降伏が公表された日だった。そこには、次のよ…

ニッケイのストーリーを募集しています! 世界に広がるニッケイ人のストーリーを集めたこのジャーナルへ、コラムやエッセイ、フィクション、詩など投稿してください。 詳細はこちら
サイトのリニューアル ディスカバー・ニッケイウェブサイトがリニューアルされます。近日公開予定の新しい機能などリニューアルに関する最新情報をご覧ください。 詳細はこちら