ギャビー・オオシロ

(Gaby Oshiro)

アルゼンチンのブエノスアイレスで生まれ、イタリアのトレヴィーゾで育つ。両親の影響でビジュアルアーツや音楽を好む。トレヴィーゾで美術学校卒業後、音楽や絵画、接写をとおした研究をはじめ、それをもとにアートインストレーションを行っている。裸眼では見ることのできないとらえどころのない美を常に追求している。彼女のウェブサイトブログはこちらです。

(2016年3月 更新)

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Takashi - Parte 1

La noche del 21 de abril de 1977, catorce hombres armados vestidos de civil invadieron el estudio de abogacía de mi padre Oscar Takashi Oshiro y de su socio Enrique Gastón Courtade. Los obligaron a subirse a un Ford Falcon y arrancaron para un rumbo desconocido y sin retorno. Aquella misma noche mi mamá, Beba, como todos la llamaban, mi hermano Leonardo y quién escribe estas líneas estábamos en el octavo piso de un departamento ubicado de la Avenida Acoyte 222, en el barrio porteño de Caballito. Algo estaba hirviendo en la cocina; la mesa esta…

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日系人失踪者:アルゼンチンの良心に再び現れた人々 - その2

その1を読む >> 私の家族は大変な思いをしました。父を探してくれるよう警察に助けを求められるようなことではありませんでした。警察も国家テロに加担していたからです。一体どのようにしてそれができたのかは分かりませんが、母は他の失踪者の家族を見つけてきました。母は日中出かけて夜遅く帰って来ました。祖母テレサと私はよろい戸から外を伺い、母が戻ったら階段を下りて車庫の重い金属ドアの開閉を手伝うため、母の車の音が聞こえるのを待ちました。 このような日々は、延々に続くように思われました。母も独裁政権に連れ去られるのではないかという恐怖と隣り合わせで生きていました。両親とも失った子供たちも大勢いました。私の母は強い女性でした。自分の考えを口にすることを恐れず、目の前に誰がいても気にしませんでした。祖母も私もそれを知っていたので、母の命が狙われるのではないかと心配でした。本心を語れば大きなトラブルに巻き込まれるか、もっとひどいことになる可能性のある時代でした。 母は、フアン・カルロス・ヒガの姉(妹)、マリー・ヒガと出会いました。フアンは文学専攻の大学生で、日系アルゼンチン人コミュニティの2大新聞、『亜国日報』と『らぷらた報知』のジャーナリストであり、優れた詩人でもありました。彼の母親は盲目で重い病を抱えていましたが、息子が戻ることを信じて最後まで頑張りました。しかし、残念ながら息子が戻るこ…

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日系人失踪者:アルゼンチンの良心に再び現れた人々 - その1

1977年4月21日の夜、武装した14人の私服の男が、私の父の事務所に押し入り、父ともう一人の弁護士を連れ去りました。複数の目撃者によると、男たちは父をフォード・ファルコン(軍と警察の専用車)の後部座席に乗せ、走り去たそうです。 その夜私は、母ベバと弟のレオナルドとアコイテ通りのアパートの8階にいました。コンロで何かが煮えていました。食卓の準備は整っていましたが、その夜食事をした記憶はありません。何かが起きていました。母は緊張し、ほとんど口を開きませんでした。それは妙なことでした。母は私とのおしゃべりが大好きだったからです。 私はソファに座り、毛布に包まりテレビを見ていました。母は何も言いませんでしたが、父を待っているということは分かりました。母はじっと時計を見ていました。鍵が回る音が聞こえることを願って、私は白いドアを見つめていました。エレベーターが止まり、金属製のドアがキーキーいいながら開く音が聞こえました。私たちは玄関に走り、ドアを押し開けました。そこにいたのは隣の住人でした。私たちは挨拶をしてアパートに戻りました。眠りそうになっていた私に、ベバはベッドで寝るように言いました。 真夜中、突然母に起こされました。イタリア系の祖父母の家に急いで向かわなければなりませんでした。私は5歳、弟は2歳でした。何か大変なことが起きていることはすぐに分かりました。母は泣いていました。…

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