マサル・エドマンド・ナカワタセ
(Masaru Edmund Nakawatase)
マサル・エドマンド・ナカワタシーはアリゾナ州ポストンで生まれ、ニュージャージー州シーブルックで他の日系人とともに育った。ラトガース大学に進学したが、1963年に中退し、学生非暴力調整委員会(SNCC)で働くようになった。この重要な経験の後、彼はアメリカン・フレンズ・サービス委員会での仕事のほとんどを、最初は南ジャージーのコミュニティ・オーガナイザーとして、後にはAFSCスタッフと有色人種の委員で構成される第三世界連合(TWC)の全国スタッフとして過ごした。そして1974年から2005年に引退するまで、同組織のネイティブ・アメリカン問題担当全国代表を務めた。現在はアジア系アメリカ人連合(AAU)とフォーク・アーツ・カルチュラル・トレジャーズ(FACTS)チャーター・スクールの理事を務めている。昨年まで両委員会の議長を務めていた。(写真:ロイド・ウルフ)
2018年9月更新
この執筆者によるストーリー
若山民夫:追悼
2018年9月7日 • マサル・エドマンド・ナカワタセ
私がタミオ・ワカヤマに初めて会ったのは、1964年の冬、ジョージア州アトランタでした。私たちは二人とも、公民権運動組織の中で最も新しく、最も戦闘的であると正確にみなされていた学生非暴力調整委員会 (SNCC) のごく最近のボランティアでした。私たちは数か月前に、公民権運動の高らかな呼びかけに触発されて、別々に南部にやって来たばかりでした。運動の報道は絶え間なく、大衆メディアのいたるところで取り上げられているようでした。デモ、座り込み、音楽、その他の公的な擁護活動に特徴づけら…