中曽根 牧子

(なかそね・まきこ)

山梨県出身。東京外国語大学卒。元日本経済新聞本社・ロス支局記者。リトル東京ロータリークラブ創設会長。ラカニャダ在住。ジャーナリスト。

(2019年3月 更新)

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草の根「9066ミーティング」

米大学フットボールの祭典「ローズボール」で有名なロサンゼルス郊外パサデナ市に住むアキミ・チングさん(76)宅で先ごろ、草の根「9066ミーティング」が開かれた。チンさんは、中国系3世と結婚した日系3世だ。内科医の頃は仕事と子育てに専念していたので、「活動家」でも何でもなかった。ところが近年、「第2次世界大戦中の日系人強制収容の歴史を後世に伝えなくてはならない」という切迫した気持ちを持つようになっていた。そこで開いたのが「9066ミーティング」だ。 「もう時間がない」という緊急性を感じたのには理由がある。この2,3年の間に、パサデナ・コミュニティー・カレッジで長年洋裁を教えてもらった2世のメアリー・ウチヤマさん(享年92歳)や12歳年上の実兄カズオさんが相次いで他界して、「第2次世界大戦中の日系人強制収容を体験した世代が次々とこの世を去っていくことを実感した」からだ。チングさんの両親は、強制収容所時代のことを一切語らなかったし、自分は強制収容所で生まれたから、当時の様子を覚えていない。だから、体験者とか当時を研究している人たちに、強制収容時代の状況を当時を知らない人たちのために伝承してもらいたいのだ。 「イスラム教徒やユダヤ教徒、また、移民の人たちのためににも、米国史の汚点である日系人強制収容のような誤りを二度と繰り返してはならない」とチングさんは断言する。これまで、日系人の強…

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そこに居るだけで「日系」代表: カーピンテリア市長で三世のウェイド・ノムラさん

リトル東京にある日系団体のトップとして先頭を切って日系人の地位向上に努める三世がいる中で、日系コミュニティから離れて米社会に根差した生活をしながら、「そこに居るだけで『日系』を代表している」三世も沢山いる。いや、そういう日系人の方が大多数だろう。サンタバーバラ生まれで三世のウェイド・ノムラ氏(65歳)は、その代表的存在だ。 ロスから車で北へ約一時間半ほど、サンタバーバラのすぐ南に位置するカーピンテリア市市長に、昨年12月就任した。30年近く、日系アメリカ人市民連盟(JACL)のサンタバーバラ支部長をしているが、この15年は、日系社会を越えた分野での活躍が注目されている。 ノムラ氏は、カリフォルニア州立工科大学サンルイス・オビスポ校卒業直後に、造園会社「ノムラ・ヤマサキ・ランドスケイプ」を設立し、社長に就任。二年前に乳癌で他界した同じく日系三世の故ロクサン・シノダ・ノムラさん(享年64歳)と学生結婚し、誰もが認めるオシドリ夫婦だった。市議へ立候補するのも、白人が大多数を占める国際奉仕団体ロータリークラブを2002年に同市へ新設するのも、夫人の励ましと支援があったからだ。 昨年12月、ノムラ氏は、人口1万3000人余り(2010年の国勢調査)の同市で高得票数を得て再選された。任期2年の市長に就任した直後、市の公文書をすべて英語とスペイン語両語で表記することにした。白人ばかり…

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日本が誇る魚の食文化 — 鮮度保存の裏技「活〆」普及に駆ける新一世

新一世の横田清一さん(43)は、鮮度と味が断然高い「活〆(いけじめ)」という日本古来の魚の処理法でロサンゼルスの高級レストラン業界に静かなブームを引き起こしている。身寄りもない米国へ単身移住。地道に、かつ、誠実に努力した苦労が、確実に成果を上げている。 ビバリーヒルズにある名シェフ、ウルフギャング・パックの「スパゴ」、ソーテル・ジャパンタウンの代表格「あさねぼう」、サンタモニカの有名イタリアンレストラン「ジオージオ・バルディ」など、超高級レストランが得意客だ。毎週水曜日朝、出身の富山県から直送される「ぶり」を売り物にしている。富山空港から羽田経由でロサンゼルス空港まで、漁獲から約50時間。「日本からの直送としては、最短時間」と自負している。 横田さんは実は、富山県高岡市の魚卸業「横清(よこせ)」の長男坊だ。創業150年余りの老舗の御曹司として、小さいときから帝王教育を受けた。フロリダ州立中央フロリダ大学を中退後、築地魚市場で3年修行した後、8年間、専務として実家で働いた。その間、日本の魚卸業界の将来について先行き不安を強く抱いた。「人口がどんどん減って、小さな、限定されたパイの取り合いになるのは一目瞭然」と考え、両親に海外進出を提案したが、猛反対を受ける。悶々と2年間を過ごし、決心した。「アメリカへ行くぞ」。 2010年6月、富山空港にスーツケース一個を持って現れた横田さん…

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パサディナの日本庭園を守る、「二世半」

知る人ぞ知る「ストーリアー・スターンズ日本庭園」。パサディナのハンティントン病院の近くにあるこの庭園は、第二次世界大戦前に南カリフォルニアの富豪たちが自宅の広大な敷地内に造ったものの中で、唯一残存する日本庭園とされている。この庭園を地道に守る「二世半」が、ドーン・イシマル・フレージャーさん(82歳)。信頼置けるボランティアであるだけでなく、同庭園を資金面でも支える一人だ。 毎週木曜日の朝8時。スウェットパンツ姿のフレージャーさんは、パサディナの元中心街(オールドタウン)にある自宅コンドミニアムから車で5分ほどの同庭園へ通うのを楽しみにしている。「ここへ来ると、魂が解きほぐされる感じがするのよ。この静寂のひと時が大好きなの」と語る。お昼までの4時間、庭園内の木々や植物のお世話をするのが、ボランティアとしての仕事だ。 フレージャーさんが初めてこの庭園を知ったのは数年前。婦人会の友人たちと一緒に庭園ツアーと昼食会に参加。その美しさに魅了され、すぐに会員登録してボランティア活動を始めた。植物管理担当のチューチョ・ロドリゲスさんから丁寧な指導を受けた。最初は、ツツジの枯葉集めだけ。次第に認められ、次は椿の刈り込み。今では、アジサイの手入れを任されるようになった。「チューチョは、植物や木々の知識がとっても深いのよ。日本語がうまく話せない私には良くわからないけれど、チューチョの日本語は、随…

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