ディスカバー・ニッケイ

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丸木 英朗

(まるき・ひでお)


1935(昭和10)年元旦生まれ。1958年(昭和33)年に大阪府立大学経済学部卒業。同年、東芝放射線(現:キャノン メディカル)へ入社。1967年、同社ブラジル総代理店総支配人に就任。その後、1970年からアメリカにてGE等メディカル企業に勤務。退職後は、カナダに在住、2005年にトロントのマスターズ水泳クラブに入会。2015年にロシアで開催された水泳マスターズ世界選手権大会で銀メダルと銅メダルを獲得。2021年に日本で開催される世界マスターズゲーム関西大会での金メダル獲得を目指している。

(2020年8月 更新)


この執筆者によるストーリー

ニッケイ物語 9—勝敗を超えて: ニッケイスポーツ
ブラジル移民珍商売

2020年9月18日 • 丸木 英朗

この話は僕がブラジルからカナダへ移住した際に、2008年のブラジル移民百周年を記念して、リオデジャネイロで殊の外お世話になった真木昌(まき・さかえ)先生の偉業を トロントの『大陸時報』に 書いたもので、再度こちらで紹介したいと思います。 戦後の打ちひしがれていた日本人に夢と希望をもたらしたのは「富士山の飛び魚」と称えられた古橋、橋爪、真木、浜口の日大水泳チームが樹立した八百メートルリレー世界新記録でした。1950年3月にブラジルに遠征した日大水泳部がブ…

ニッケイ物語 9—勝敗を超えて: ニッケイスポーツ
ボルガ河畔の想い出

2020年8月31日 • 丸木 英朗

今年85歳の僕は半世紀を超えるブラジル、アメリカ、カナダでの移民生活には数多くの想い出があります。中でも最も心に残る生涯の想い出は、80歳の時にロシア連邦タタールスタン共和国の首都カザニでの水泳マスターズ世界選手権大会の表彰台に立った瞬間の達成感でした。日本での水泳競技会では地方大会予選落ちが殆どで、全国大会には2回出場しただけの3流選手の僕が、オリンピックメダリストに勝って世界選手権大会の表彰台に立てるとは夢の様でした。 小学校では野球選手で、巨人のキャッチャーの藤尾が…

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