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末っ子メリーは舞踊が大好き
平川家では、子どもたちは両親をダディー、ママと呼び、4人の子どもたちはそれぞれ英語名で呼ばれた。長男の壽美雄さんはビクター、末っ子の萬里子さんはメリーだ。「というわけで、私は生まれた時からずっとメリーです。今も弟子たちから、メリー先生と呼ばれています」。平川家では、英語がごく身近にあった。
カムカム英語の放送は1日がかりで、唯一さんは毎朝、弁当を2つ持って、当時愛宕山にあったNHKに出かけていたという。その日の原稿を朝から書いて準備し、午後6時からの放送に備えた。ラジオ放送を離れた後は英会話教室を主宰し、外国映画輸入会社副社長などの職にも就いたが、「ダディーの一生はカムカム英語をやるための一生だったんだなあ」と、晩年に子どもに語っていたと言う。
「父は、けんかっ早い私と違って、いつもにこにこして穏やかな人でした。私は母に似ているんですよ」と、メリーさんは両親の思い出を語る。母・よねさんは、東京・神田に生まれ育った“神田っ子”で、進取の気性に富んでいた。「小学校教師をしていた時に2人だけ選ばれて、アメリカの学校の様子を見に行ったそうです。その後、仕事を辞めて留学生として再度アメリカに渡り、その時に父と出会いました」。日本舞踊と清元(三味線による歌舞伎の伴奏音楽)をたしなむ母の好みで、娘2人も日本舞踊の稽…