楠瀬 明子

(くすのせ・あきこ)

福岡県生まれ。1976年からアメリカに在住。1999年に北米報知の編集長を退職。

(2019年1月 更新)

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歌舞伎アカデミー主宰者 大野メリーさん ー その2

その1を読む >> 末っ子メリーは舞踊が大好き 平川家では、子どもたちは両親をダディー、ママと呼び、4人の子どもたちはそれぞれ英語名で呼ばれた。長男の壽美雄さんはビクター、末っ子の萬里子さんはメリーだ。「というわけで、私は生まれた時からずっとメリーです。今も弟子たちから、メリー先生と呼ばれています」。平川家では、英語がごく身近にあった。 カムカム英語の放送は1日がかりで、唯一さんは毎朝、弁当を2つ持って、当時愛宕山にあったNHKに出かけていたという。その日の原稿を朝から書いて準備し、午後6時からの放送に備えた。ラジオ放送を離れた後は英会話教室を主宰し、外国映画輸入会社副社長などの職にも就いたが、「ダディーの一生はカムカム英語をやるための一生だったんだなあ」と、晩年に子どもに語っていたと言う。 「父は、けんかっ早い私と違って、いつもにこにこして穏やかな人でした。私は母に似ているんですよ」と、メリーさんは両親の思い出を語る。母・よねさんは、東京・神田に生まれ育った“神田っ子”で、進取の気性に富んでいた。「小学校教師をしていた時に2人だけ選ばれて、アメリカの学校の様子を見に行ったそうです。その後、仕事を辞めて留学生として再度アメリカに渡り、その時に父と出会いました」。日本舞踊と清元(三味線による歌舞伎の伴奏音楽)をたしなむ母の好みで、娘2人も日本舞踊の稽…

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歌舞伎アカデミー主宰者 大野メリーさん ー その1

この秋から始まるNHK連続テレビ小説が、昭和・平成・令和にわたる祖母・母・娘3代のドラマ「カムカムエヴリバディ」と発表されました。「カムカムエヴリバディ」とは、終戦直後の日本を席捲したNHKのラジオ英語講座、通称「カムカム英語」オープニング曲のタイトルです。この英語講座を題材とした朝ドラ制作のニュースに、“カムカムおじさん”として親しまれた同番組講師、故平川唯一(ただいち)さんの家族は大喜び。唯一さんの次女で、シアトル、タコマ地域を拠点に日本舞踊や長唄三味線を指導する大野メリーさんに話を聞くと、日米間の歴史を背景に「カムカムエヴリバディ」シアトル3代記が浮かび上がりました。 * * * * * 朝ドラ決定に沸く 平川唯一さんの次男で東京・世田谷在住の洌(きよし)さんに、NHKから今年度後期朝ドラについての連絡が入ったのは昨年7月。吉報は直ちにアメリカにも知らされた。「兄からそのことを聞いて、エーッとびっくりしました。兄はそれほど事の大きさがわかっていない様子でしたが、連続テレビ小説は私もこちらで毎日見ていますからね。 友人も、素晴らしいニュースだと喜んでくれています。思えば波乱万丈の父の一生でしたから、ドラマとなるにもふさわしいでしょうね」とメリーさん。「東京では、今なお存命のカムカムクラブの英会話教室メンバーも大変喜んでくださっているよう…

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シアトル日系人会前共同会長・田原 優さん - その2

その1を読む >> コミュニティーの息長い世話役として 「微生物の研究に長く携わっていたためでしょう。私はいつもすぐメモを取るのです」と、自己分析する田原さん。1963年入会の天狗クラブでも、すぐにボランティア書記を引き継いで、第18回(1962-63年)以降の活動記録をずっと取り続けてきた。また、天狗クラブの記録を残すだけでなく、同クラブ代表として対外的に声を上げる役も担ってきた。 中でも誇りとするのが1981年、ウエストシアトルにボートハウスを残す運動に関わり、特別市議会での熱い思いのこもった証言で、シアトル市のボートハウス閉鎖計画を撤回させたことだ。ウエストシアトルのウォーター・タクシー発着場そばのシークレスト・ボートハウスは、今も天狗クラブの活動拠点であり、シアトル市民の楽しみの場でもある。ボートハウス敷地の一角には、天狗クラブの歴史を記した碑も置かれている。 田原さんの活躍の場は、天狗クラブにとどまらない。アンナさんとの挙式の場ともなったシアトル仏教会(別院)は、1901年に創立され、夏の盆踊りを開催するなど日本からの多くの人々に寄り添い、心のよりどころとなってきた。長女のジャネットさんと次女のシンディさんの加入した仏教会付属グループ「キャンプファイア」に保護者として深く関わったのを手始めに、田原さんは同仏教会でさまざまな役員を歴任し、2008年には理事長も…

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シアトル日系人会前共同会長・田原 優さん -その1

戦後のシアトルにやって来たひとりの青年は、日系コミュニティーに根を下ろし、1世、2世の活動を引き継ぎます。後に、先人たちの歴史と文化をぜひ日系3世、4世にも伝えたいと、英文でまとめ始めました。そうして日本語と英語の橋渡し役を担うことに情熱を傾けてきた田原優(たはら・まさる)さんは、鮭釣りでも知られる人物。50年以上を共に歩んだ日系の釣り同好会「天狗クラブ」の歴史を大切にしています。 * * * * * 天狗クラブを語る シアトルの日系コミュニティーが戦前に始めた釣り同好会である天狗クラブは、戦後間もない1946年に復活した。シアトルの日系コミュニティーにおいて、釣りは1920年代から人気がある。︎ 日系商店がトロフィーを提供し、多くの人が腕を競った。田原さんによれば、1936年に発行された『北米年鑑』には、釣り道具を扱う日系商店が8軒も記載されているとのことで、そのにぎわいぶりが窺える。1937年には有志が天狗クラブを発足させ、エリオット湾内のアルカイポイントとマグノリア、シアトル・ウォーターフロントを結ぶ水域でのブラックマウスサーモン・ダービー(黒口鮭競釣)が始まった。 天狗クラブの催すサーモン・ダービーでは、冬の数カ月間、毎週日曜にエリオット湾に出て釣果を競う。エリオット湾内の鮭釣りと言えば、ドワミッシュ川遡上直前の成熟鮭を狙う夏と秋が本番。しかし、その繁忙期に…

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レニア吟社の85年 ~コミュニティーに根付いて~

シアトルの俳句結社レニア吟社は2019年、発足から85年を迎える。現在19名の会員は月に1度、四季折々の情景と心情を17文字に込めて持ち寄る。「楽しみながら、苦しみながら、俳句とはもう70年ものお付き合いで離れられません」と会員の高村笙子さん。人を引き付けてやまない俳句だが、ここに至るレニア吟社の道は決して平坦ではなかった。粂井輝子・白百合女子大教授による著作を参考にしながら辿ってみよう(以下、歴史部分は敬称略)。 レニア吟社がシアトルに生まれたのは、1934年。川尻杏雨が提唱し、選者は、医師であり山岳写真家としても知られた小池晩人が務めた。作品発表の場は、杏雨が編集主任であった地元邦字紙『大北日報』。後に杏雨が『北米時事』(『北米報知』の前身)に顧問として移ると、発表の場も北米時事へと替わった。選者の晩人はこの頃、『ホトトギス』に何度も入選を果たしている。ホトトギスは日本で最大かつ最古の俳句結社として俳句を志す者の頂点にあり、入選は大きな名誉だった。1938年には、『レニア吟社句抄』が発行された。 1941年12月、日米開戦。病床にあった杏雨は開戦と同時にFBIにより連行された。シアトル移民局の拘置所からいくつかの抑留所を経て、仮出所という形で1944年春にアイダホ州のミニドカ収容所へ移されたが、同年秋に死去。その間、主にシアトルの日系人が収容されていたミニドカではミニドカ…

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