スタンリー・カークは、カナダのアルベルタ郊外で育つ。カルガリー大学を卒業。現在は、妻の雅子と息子の應幸ドナルドとともに、兵庫県芦屋市に在住。神戸の甲南大学国際言語文化センターで英語を教えている。戦後日本へ送還された日系カナダ人について研究、執筆活動を行っている。
(2018年4月 更新)
この執筆者によるストーリー
第2回 教会財産を失ったことへの日系カナダ人の気づき
2018年5月1日 • スタン・カーク
第1回を読む >> 1949年4月、終戦からおよそ4年後、日系カナダ人の海岸地域への帰還禁止令が解かれ、バンクーバー・エリアに戻る人が出始めた。戦前の、ほとんどの人がスティーブストンやパウエル・ストリートおよびその周辺に住んでいた時と違い、帰還者の多くが市内のあちこちに散らばって住むようになった。 結果として、日系人聖公会信者の中には、近くにある日系人のためのものではない聖公会1に通う人が出てきた。一方で、他のキリスト教会派の教会に行く人もいた。戦前に住んでいた場所に戻…
第1回 第二次世界大戦終結までの日系カナダ人聖公会信者たちの通史
2018年4月24日 • スタン・カーク
キリスト教はバンクーバーの初期の日系移民コミュニティーに瞬く間に広まった。彼らの間で最初に見られる教会活動は、1892年に合衆国からきたマツタロウ・オカモトという巡回布教師によって行われた。3年後、オカモトはゴロウ・カブラギに引き継ぎを行い、カブラギはその後もメソジスト教会へ所属した。信仰の深さや献身の度合いはさまざまであるものの1、キリスト教は急速に広まり、多くの日系カナダ人が自身のことをクリスチャンと認識するようになったようだ。メソジスト派は、のちにカナダ合同教会に合併…