加藤 瞳

(かとう・ひとみ)

東京都出身。早稲田大学第一文学部卒。ニューヨーク市立大学シネマ&メディア・スタディーズ修士。2011年、元バリスタの経歴が縁でシアトルへ。北米報知社編集部員を経て、現在はフリーランスライターとして活動中。シアトルからフェリー圏内に在住。特技は編み物と社交ダンス。服と写真、コーヒー、本が好き。 

(2021年5月 更新)

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弁護士・吉田美由樹さん ー 日本生まれアメリカ育ち、両国の架け橋でありたい ーその2

その1を読む >> 家族のために「温泉弁護士」として活躍 ポートランドから車で約1時間のワシントン州スティーブンソンに母親の別荘がある。テニスが趣味の母親は、体に痛みを覚えた時など、昔からワシントン州カーソンにある温泉に通っていた。 両親は「近くに泊まれる場所があれば」と、そこから車で5分のスティーブンソンに別荘を購入。「そうしたら、“アメリカン・ドリーム”の父が、うちの土地も掘ったら温泉が出るんじゃないか、なんて言い出して……」。専門家を招いて地質探査をしていくうち、27年前、本当に掘り当ててしまったのだ。約2,000フィートもの採掘! それが、美由樹さんの家族が現在経営する温泉施設、テンゼン・スプリングス・アンド・キャビンズ誕生の経緯である。 「せっかくならば、その源泉で日本の温泉文化を地域に紹介したい」という両親の思いから、最初は保養施設を考えていた。ところが、さまざまな法律や規制をクリアする必要があることがわかり、計画は困難を極めた。「近くにコロンビア川が流れていますが、新規のビジネスにおいては湧き出た温泉を直接川に流すことはできません。それで、使用した温泉水をきれいにして流し入れる井戸を新たに掘らなければならなかったんです」 このルールは「リターン・ウェル」と呼ばれ、サステナビリティーの一環である。しかし…

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弁護士・吉田美由樹さん ー 日本生まれアメリカ育ち、両国の架け橋でありたい ーその1

移民法専門弁護士である傍ら、日本酒ソムリエとして活動、さらにはコロンビア・リバー・ゴージで温泉リゾート施設を営む家族のサポートと、さまざまな顔を持つ吉田美由樹さん。精力的に日々を送る、そのエネルギーの源は何でしょうか。バイリンガルとしてのアイデンティティーを模索しながら育った日系1世の思いについても語ってもらいました。 * * * * * アメリカ移住は父親の長年の夢 「父の『アメリカン・ドリーム』だったんです」。美由樹さんは移住のきっかけを、そう表現する。 横浜で歯科技工の会社を経営する両親の元に生まれた。アメリカでの生活を夢見た父親と共に家族でやって来たのは、物心つく前のことだ。シカゴ、ロサンゼルス、グアムでの生活を経験し、オレゴン州ポートランドに移住したのは小学3年生の時。ポートランド日本人学校に通い、グリーンカードも取得した。大学は市内のリード・カレッジに進学し、心理学を専攻したが、初めての就職先となったのは意外にも東京の法律事務所だった。 「大学を卒業した夏、慶應大学の国際センターで日本語を勉強していたのですが、たまたま新聞広告でバイリンガルのパラリーガルを募集しているのを見て。ちょうど大学4年生で心理学にフォーカスした法律のクラスを取っていたので、法律も面白いなと思っていたんです。それで一生懸命、日本語で履歴書を書きました」 ネイティブの英語を使う仕事…

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インタビュー:切り絵作家 曽我部アキさん ― その2

その1を読む >> 作品作りは「お客さま第一主義」で 制作に当たって大切にしているのは、買い手となる「お客さま」だと強調するアキさんは、いつも感謝を忘れない。ある年、ベルビュー美術館のアート・フェアで、オリジナル作品を注文した女性がいた。やっと子どもが大学を卒業し、生活に余裕ができたので、念願だったアキさんの絵を買うことに決めたと言う。 「本当にうれしかったから、お祝いに、かなりおまけしてあげました(笑)。ありがたいじゃないですか。絵なんて、食べ物と違って、なくてもいいものなんだから。そういう感謝の気持ちで作るの」 人気作家でありながら、その謙虚な姿勢が印象的だ。「作ったあとは、自分の絵を2、3日経ってから見る。そうすると『何これ、ここがおかしいや』っていうのが見つかる。『人前に出せない!』なんて絵は何枚もありますよ。作品は愛しているけれど、うぬぼれない、満足しちゃいけない、という精神でいます」 何枚か絵を作ると必ず壁にぶつかる時期がやって来る。自分の作品を卑下すると、息子に「そんなことはない。これがいいって言うお客さんもいるはずだ」と叱られることも。 「こんな絵でいいのか、全然上達していない、と悩むことはしょっちゅう。でも、夕飯のおかずを作っていても何をしていても、結局は頭のどこかで次の絵のことを考えている。とにかく続けて続けて、次はもっと良いものを作ろう、お客…

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インタビュー:切り絵作家 曽我部アキさん ― その1

美しいマウント・レーニアや、満開の桜の向こうに顔をのぞかせるスペース・ニードルなど、どこか日本を思わせる素朴なタッチでワシントン州の風景を切り取る曽我部アキさんの作品は一度目にしたことがあるのでは。シアトルを代表するアーティストの創作の源はどこにあるのでしょうか。制作の裏側を探ります。  * * * * * いつもアートがそばに 「プロのアーティストなんて、なろうともなれるとも思っていなかった」。そう語るアキさんだが、その半生は常にアートと共にあった。 静岡県に生まれ、富士を望む環境でのびのびと育った子ども時代。活発だったアキさんは男の子ともよく遊んだ。お絵描きも得意で、地元の風景をスケッチしたり、手塚治虫氏による『リボンの騎士』など好きな漫画を読んではまねして描いたりした。当時の様子がよくわかるエピソードがある。「昔、家の襖に、うさぎとカエルが相撲を取っている鳥獣戯画をまねして描いたことがあるの。でも、全然怒られなかったどころか『うまいね、アキちゃん』なんて言われて。すごく面白かったのを覚えています」 やがて就職が決まったのは、アートとは程遠い遺伝学研究所。アキさんは人類遺伝学教授のアシスタントとして働き始めた。そして、ハワイ大学での研究活動に同行した際に現地で出会った日系アメリカ人と、その後結婚することになる。 夫は船舶会社に勤めていた。シンガポール…

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キャバレー・シンガー/ライター、トシ・カプチーノさん

ニューヨークを拠点に、ひとり舞台のキャバレーショー公演を世界各地で行うトシ・カプチーノさん。ゲイであることを公表し、2014年には日本人として初めてニューヨーク州で同性婚を果たしました。「今がいちばん充実している」というトシさんに、その波乱万丈の半生と、人生を豊かにする秘訣を聞きました。 * * * * * いつも隠してビクビクしていた 小さな頃からずっと歌手になりたかった。僕は「スター誕生」出身なんです。福岡県大会で優勝しましたが、残念ながら決勝大会でプラカードは上がらなくて。諦められずに上京して、新宿、横浜、それから横須賀や厚木の米軍基地なんかでも歌っていました。1980年代のことです。 当時、自分がゲイであることが自分の中でネックだった。カミングアウトは御法度で、バレちゃうと生きていけないような社会でしたから。舞台では、自分を丸裸にして全てを見せないとお客さんは納得してくれない。それなのに僕はいつも自分を隠してビクビクしていた。「こんなんじゃダメだ」と思って歌を辞めたんです。 実は僕、そのあとは男の人に囲われていました。日欧を行き来するようなファッションデザイナーで、衣食住を大切にし、美しく生きる人。田舎で育った僕は、彼からそういった感性を含め、いろんなことを学びました。 天から落ちてきたニューヨーク行きの切符 その彼に捨てられ、貧乏生活に戻ってしまったのが、…

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