ディスカバー・ニッケイ

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新舛 育雄

(しんます・いくお)

@IkuoShinmasu

山口県上関町出身。1974年に神戸所在の帝国酸素株式会社(現在の日本エア・リキード合同会社)に入社し、2015年定年退職。その後、日本大学通信教育部の史学専攻で祖父のシアトル移民について研究。卒業論文の一部を日英両言語で北米報知とディスカバーニッケイで「新舛與右衛門― 祖父が生きたシアトル」として連載した。神奈川県逗子市に妻、長男と暮らす。

(2021年8月 更新)


この執筆者によるストーリー

『北米時事』から見るシアトル日系移民の歴史
第19回(後編) 県人会による日本人の結束

2024年3月20日 • 新舛 育雄

第19回(前編)を読む >> 山口県出身者の活躍と訃報 ① 岡村正一・大島郡安下庄(あげのしょう)村出身 「日商社会部長、岡村正一氏死亡」(1939年6月28日号1) 「グランドユニオン洗濯株式会社社長、岡村正一氏は脳溢血を起してから静養につとめ励んで常勤に復し活動中であったが三月頃から再び健康を害し自宅にて療養中の處、今朝12時45分自宅にて死亡した。今回が三回目の脳溢血で、享年63歳。同氏は山口県大島郡安下庄村出身、16歳にて渡米し、数年ならず…

『北米時事』から見るシアトル日系移民の歴史
第19回(前編) 県人会による日本人の結束

2024年3月19日 • 新舛 育雄

前回は二世男子の柔道の隆盛についてお伝えしたが、今回はシアトル在留日本人が結束をした県人会についてお伝えしたい。 シアトル日系人社会では同県出身者が結束を計るために、1901年に広島県人会を発足したのを皮切りに、1902年徳島県人会、1903年山口県人会、1904年愛媛県人会、1905年神奈川県人会と誕生していき、以後日本全国に渡る各県で次々と県人会が出来上がっていった。今回は筆者の祖父、與右衛門(よえもん)の出身県である山口県に関する記事を中心にお伝えしたい。 県人会…

『北米時事』から見るシアトル日系移民の歴史
第18回(後編) 二世男子の柔道の隆盛

2024年1月24日 • 新舛 育雄

第18回(前編)を読む >> ジム・ヨシダの柔道 『ジム・吉田の二つの祖国』の中にジム・ヨシダが柔道に励んでいたことが掲載されている。ジム・ヨシダはこの頃、フットボールに夢中で、父、龍之輔からの強いめで、始めはいやいや柔道をやっていたが、そのうち柔道が面白くなったことが書かれていた。  丁度その頃と思われる1938年2月7日の記事1には、父の吉田龍之輔が天徳会の評議員をしていた。1938年2月には初段であったジム・ヨシダだが、翌年2月には2段に昇段していた。…

『北米時事』から見るシアトル日系移民の歴史
第18回(前編) 二世男子の柔道の隆盛

2024年1月23日 • 新舛 育雄

前回は二世女子日本見学団についてお伝えしたが、今回はシアトルで多くの二世男子が取り組んだ1938、39年頃の柔道の隆盛についてお伝えしたい。 柔道道場の設立 文献によると、1908年2月に一般青年の柔道修業のために、シアトル市に「シアトル道場」が設立された。開設当時の会員数は20名程度に過ぎなかったが、1928年頃には二世男子の柔道修得者が増加し、成年者85名、幼年者125名の、計256名となった。道場はこの頃ジャクソン街824番にあった。 1932年には講道館長の嘉…

『北米時事』から見るシアトル日系移民の歴史
第17回(後編) 二世女子日本見学団

2023年12月14日 • 新舛 育雄

第17回(前編)を読む >> 《神戸見学 — 1939年11月7日》 「神戸の一日、太陽見学団」前田昭(1940年2月5日号1) 「神戸市内名所見学、特別バスで神戸市内名所古跡見学をした。神戸は古跡の多いのに驚いた。夜は日本料理のご馳走を神戸でも一流と云われる延命亭にて戴いた。 夕食後に夜11時30分の神戸発の山水丸に乗り一路徳島へ向かった。出征兵士を送る時の様に太陽見学団万歳の声に送られた」 《四国見学 —…

『北米時事』から見るシアトル日系移民の歴史
第17回(前編) 二世女子日本見学団

2023年12月13日 • 新舛 育雄

前回は帰米二世の設立した帰米日系市民協会の活動についてお伝えしたが、今回は二世女子日本見学団についてお伝えしたい。 アメリカで生まれた二世女子は、国語学校や両親から日本語や日本の文化、風習を習ったが、よく理解できなかった。彼女達が日本の実情を実際に体験する目的で、1939から1940年頃、いくつかの日本見学団が結成され、日本に長期間滞在し、日本各地を見学した。初めて見た日本をアメリカ生まれの二世女子達がどのように思ったか、興味深い記事1をいくつか紹介したい。 母国見学団…

『北米時事』から見るシアトル日系移民の歴史
第16回(後編) 帰米日系市民協会の活動

2023年11月9日 • 新舛 育雄

第16回(前編)を読む >> 帰米日系市民協会の活動 「日系の料理講習」(1934年8月28日号) 「帰米市民協会女子部では9月から毎木曜日光楼に於て日本料理講習会を開く」 文献によると、この帰米市民協会女子部は1932年の帰米日系市民協会創立後2週間後の臨時総会により設置された。 「帰米日系の秋の大演芸会」(1935年10月28日号) 「帰米日系市民協会は来る11月3日日本館で大演奏会を催すこととなって居る。プログラム: 一. どんなこんな物語(喜…

『北米時事』から見るシアトル日系移民の歴史
第16回(前編) 帰米日系市民協会の活動

2023年11月2日 • 新舛 育雄

前回は二世が政治的活躍をした日系市民協会ついてお伝えしたが、今回は帰米二世が設立した帰米日系市民協会の活動の様子についてお伝えしたい。 二世の中に帰米日系市民と呼ばれた人たちがいた。帰米日系市民とは幼少の時日本に帰って日本で生育し、再び米国に帰った日系市民のことを言う。その多くが第13回で述べた米国と日本の両方に国籍を有する「二重国籍者」であった。 1930年頃、シアトルでは帰米日系市民の将来性を極めて重要視し、奥田平次氏らが後援者となり、黎明(れいめい)社、銀星倶楽部…

『北米時事』から見るシアトル日系移民の歴史
第15回(後編)二世が政治的活躍した日系市民協会

2023年9月6日 • 新舛 育雄

第15回(前編)を読む >> 母の会の創立 「市協の母の会、第一会合」(1939年3月16日号) 「市民協会では母親と娘の理解促進、協力達成の見地から今回、母の会を組織する事となり、来る20日に第一次会合を催す事になった。行く行くは家庭問題、二世女子指導問題等に就き具体的意見の交換会なども開く筈で各婦人団体を超越して多数母親の参加を希望してゐる。右に就き坂本君は語る。『婦人会に加入して居らぬ主婦も多数居られる様だし、市協が発起人となって統一的母の会を組織し母子協力…

『北米時事』から見るシアトル日系移民の歴史
第15回(前編)二世が政治的活躍した日系市民協会

2023年9月5日 • 新舛 育雄

前回は二世の入学した大学についてお伝えしたが、今回は二世が政治的活躍した日系市民協会についてお伝えしたい。 二世の成長と共に一世達は米国国籍を持つ二世達に政治的活躍を期待した。1921年9月に北米日本人会は日系市民協会設立総会を開き、日系市民の選挙権行使のできる男子17歳以上、女子25歳以上の13名が出席し、シアトル革新連盟を創立した。 このシアトル革新連盟がアメリカ全土の二世達にシアトルで会合を持つことを呼びかけ、1929年に全米組織として日系市民協会JACL(Jap…

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