前回は二世の二重国籍問題と結婚問題についてお伝えしたが、今回は二世の進学した大学に関する記事1を紹介したい。多くの二世達はアメリカの高等教育機関である大学に進学し、最先端の知識や技術を学び、日系人社会への貢献を目指した。
ワシントン大学への入学
ワシントン大学の歴史についてワシントン大学在学の岡丸正二が1939年1月1日号へ寄稿した「華大(ワシントン大学)と日本人学生」では、次のように掲載されている。
「華大は1861年、東京帝大設置に先立つこと四分の一世紀の創設に係り、以来拡充に拡充を重ね、現在(1939年)の学生数12,000人、その敷地面積550英加(約223万m2)、ゴシック式学館建築費だけでも1500万ドル以上を費した宏莊美麗(こうそうびれい)なもので全米に著名である。
華大はハスキーの異名を以て呼ばれベルリンオリンピック(1936年)に於けるボート競技で優勝した事は周知の通りである」
第9回「日本人ホテル業の発展」でお伝えした、1909年に開催されたアラスカ・ユーコン太平洋博覧会の会場がワシントン大学だった。
1919年頃のワシントン大学へ入学、卒業した日本人の様子を記載した記事があった。
「華大新学期開始」(1919年4月2日号)
「華大は今日より新学期開始。昨日までに登録を終えたる学生は1200名以上。今学期より入学した日本人学生2…