ディスカバー・ニッケイ

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深沢 正雪

(ふかさわ・まさゆき)

@masayukifukasawa

1965年11月22日、静岡県沼津市生まれ。92年にブラジル初渡航し、邦字紙パウリスタ新聞で研修記者。95年にいったん帰国し、群馬県大泉町でブラジル人と共に工場労働を体験、その知見をまとめたものが99年の潮ノンフィクション賞を受賞、『パラレル・ワールド』(潮出版)として出版。99年から再渡伯。01年からニッケイ新聞に勤務、04年から編集長。2022年からブラジル日報編集長。

(2022年1月 更新)


この執筆者によるストーリー

特別座談会: 四世ビザはどうあるべきか?=日伯交流の将来担う人材育成の枠組みとして=
第6回 四世ビザ、査証発給の厳しい条件

2018年10月22日 • 深沢 正雪

第5回を読む>> 他の外国人労働者には緩くなるのに、日系人に厳しいのはなぜ? 【永井】あと、1990年とかパトリシア先生が行かれた95年とかもそうですが、日本とブラジルの一人当たりのGDPの差が10倍くらいあって、何年か日本で働けばこっちでアパート買えるとか、車買えるとか、会社開けるとかできた。だからデカセギに行く意味があったわけですよね。 ところが最近3倍から4倍くらいに格差が縮小した。ブラジルの不況とか為替の関係で毎年変動してはいるんですけど、収縮して来ている。 …

特別座談会: 四世ビザはどうあるべきか?=日伯交流の将来担う人材育成の枠組みとして=
第5回 四世ビザに日本語4級という要件は必要か?

2018年10月15日 • 深沢 正雪

第4回を読む >> 【深沢】ところでパトリシアさんは三世? 【島野】はい。日本生まれの四世はたくさんいるんですよね。日本の永住ビザを取得していない在日の四世もたくさんいる。まずは、そういう日本国内にすでにいる人材をもっと大切にして、支援した方が良いと思います。 【深沢】日本生まれの四世が、二十歳過ぎて親の扶養を離れたらどうなるんですか? 【永井】そのまま延長が出来るんです。 【深沢】日本にいる限りは延長ができる? 【永井】就労も出来ますよ。 【深沢】日本に…

特別座談会: 四世ビザはどうあるべきか?=日伯交流の将来担う人材育成の枠組みとして=
第4回 人材育成システムとしての四世ビザ

2018年10月8日 • 深沢 正雪

第3回を読む >> 派遣会社は悪者? 【深沢】その経験を土台にして、日本のデカセギ問題やビザの在り方に関して、もっとこうした方がいいとか提言みたいな話はありますか。 【島野】提言と言うよりも、批判ですね。 【深沢】いいですね(笑)、大いに結構ですよ。 【島野】四世ビザの主旨っていうのが何なのか、よくわからない。法務省のサイトを見てても、ワーキングホリデーから取り入れたものとか、労働不足の対策とかいろいろ言われているけど、制度の主旨はなんなのかっていう点をもっと明確…

特別座談会: 四世ビザはどうあるべきか?=日伯交流の将来担う人材育成の枠組みとして=
第3回 元デカセギ子弟、島野パトリシアさん ー ブラジルへ帰国

2018年10月1日 • 深沢 正雪

第2回を読む >> リーマンショック後にブラジルへ  【深沢】ブラジルに戻ってきたのは、どういうタイミングだったの? 【島野】2009年、つまりリーマンショックの後ですね。 【深沢】日本に行ったのが10歳で、95年。日本には15年間くらいいて、25歳で帰ってきたわけだ。結構日本で働いてたんですね。 【島野】はい、2003年4月から2009年9月までですね。 【永井】3M以外も何かやっていたんですか? 【島野】はい、3M以外にも派遣会社でまた1年ちょっと。そのあ…

特別座談会: 四世ビザはどうあるべきか?=日伯交流の将来担う人材育成の枠組みとして=
第2回 元デカセギ子弟、島野パトリシアさん - 高校進学と母の急死

2018年9月24日 • 深沢 正雪

第1回を読む >> 素晴らしい先生との出会いで道が開けた 【深沢】高校も日本で行ったんですか。 【島野】はい。英語の先生のおかげで行けたんです。岡崎市内で初めて公立高校に入った外国人が私なんです。 高校2年で母が急死 【深沢】高校までぜひ行きたいって、すごい望んで進学したわけですか。 【島野】英語の先生から「パトリシアはどうなの。進路は考えてるの?」って聞かれて、「勉強したいです」って言ったら、一生懸命サポートしてくれたんですよね。 【深沢】いい先生に巡り…

特別座談会: 四世ビザはどうあるべきか?=日伯交流の将来担う人材育成の枠組みとして=
第1回 元デカセギ子弟、島野パトリシアさん ー 10歳で母と共に日本へ

2018年9月17日 • 深沢 正雪

四世ビザが成功して五世、六世まで訪日就労しながら日本文化を学べるようになるならば、この査証制度は日系社会の将来を左右する大事な制度ではないか――そんな問題認識に基づいて、元デカセギ子弟で帰伯後にブラジルで弁護士になった島野パトリシアさん、デカセギ対応の最前線にいる国外就労者情報援護センター(CIATE)の専務理事・永井康之さんを迎えて、ニッケイ新聞の深沢正雪編集長と座談会を行った。 デカセギ子弟から弁護士が生まれる時代となり、今後の日本就労の枠組みをもっと真剣に考えること…

ブラジル日本移民110周年: サントス日本語学校の完全返還、ようやく訪れた「本当の終戦」、外国人差別を乗り越えて平和共存へ - その4

2018年7月10日 • 深沢 正雪

その3を読む >> 2000年以降、動き出した歴史見直しの歯車 ここ数年で、いろいろな歯車が回り始めている。 沖縄在住の映画監督の松林要樹さんが10人以上のサントス強制立退き者をすでに取材しており、ドキュメンタリー映画を作ろうとしている。彼が2016年にサントス日本語学校に行った際、何気なく置かれていた強制立ち退き者の名簿を発見し、そこから掘り起しが始まった。その時に撮影した体験者のうちの数人はすでに他界してしまった。故人のためにも、ぜひとも完成させてほしいと願ってい…

ブラジル日本移民110周年: サントス日本語学校の完全返還、ようやく訪れた「本当の終戦」、外国人差別を乗り越えて平和共存へ - その3

2018年7月9日 • 深沢 正雪

その2を読む >> 戦勝情報というフェイクニュース 上さんの話を聞くうちに「紙つぶて」作戦は、実は23歳ころから始まっていることが分かった。モンテ・アレグレ植民地時代、1945年8月1日、上さんがいた青年団文化部が会報「ANDES(アンデス)」を発行し始めた。 2016年9月に自宅へ取材に行った折り、大事にしまってあった実物を見せてもらった。B5版の手書き、ガリ版刷りの小冊子だ。 第1号には朱書きで「本誌は絶対に外人の目に触れざる様に」「一覧後は、特に保管者の許…

ブラジル日本移民110周年: サントス日本語学校の完全返還、ようやく訪れた「本当の終戦」、外国人差別を乗り越えて平和共存へ - その2

2018年7月5日 • 深沢 正雪

その1を読む >> 「南米における日本移民の出エジプト記」 上さんは1922年3月15日に福岡県直方市(のおがたし)に生れ、11歳だった1993年に両親に連れられてブラジル移住した。最初は平野植民地、その後、バストス移住地近くのモンテ・アレグレ植民地、戦後はリンスを経て、1956年にサントスへ転住した。 平野植民地は1915年に創設された日系最古の集団地の一つで、当時知られていなかったマラリアにより入植開始からわずか半年間で70人以上が次々に亡くなった悲劇の開拓地とし…

ブラジル日本移民110周年: サントス日本語学校の完全返還、ようやく訪れた「本当の終戦」、外国人差別を乗り越えて平和共存へ - その1

2018年7月4日 • 深沢 正雪

「日本語学校は戦争中に敵性資産としてブラジル政府に凍結、接収された。我々、日系人の手にそれが戻ったときこそ、私の終戦です」 これは返還運動を20年以上も孤軍奮闘、引っ張ってきた上新(かみ・あらた)さんの口癖だった。 ブラジル日本移民110周年を迎えた6月18日、そのサントス日本語学校の地権の名義変更署名式が行われ、正式に連邦政府から地元日本人会に返された。つまり、上さんの「戦争」が、戦後73年を経てようやく終わった。 20日付エスタード紙も「76年後に家の鍵が戻った=…

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