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大量移住し文化伝える
沖縄の地元紙には「ブラジルには明治の沖縄が残っている」という言葉よく出てくる。それは大量に移住した結果、当時の生活習慣と言葉がブラジルに移植されて残ったからだ。
今でも家の中ではウチナーグチ(沖縄言葉)を使うという家庭はかなりあり、県人会のイベントの出し物では普通に「ウチナーグチ芝居」が演じられるし、「ウチナーグチ弁論大会」が毎年行われている。また今年5月の県人会フォーラムでは「ウチナーグチは無上の財産」というテーマで熱心な討論が行われた。
ところが肝心の母県では話者が激減している。戦前には本土から赴任した教師が沖縄言葉を使うことを禁止し、学内で使ったら「方言札」を首から下げさせて罰した。戦後は米軍に占領され、1972年に沖縄返還されるまでの間の27年間、今度は県人自身が復帰するために「日本人になる運動」をしてはウチナーグチを使わないようにしたため、更にしゃべれなくなったという。
復帰後、今度は「沖縄県人」としてのアイデンティティ回復機運が高まり、80年代に沖縄のテレビ局や県紙が在外県人の活躍を報じる中で、南米の日系人に残っている「明治の沖縄」に注目が集まるようになった。
そのアイデンティティ回復運動の流れから、島から大挙出て行った歴史的流れを逆手にとって、1990年に始まったのが「世界のウチナーンチュ大会」だろう。
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