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来日就学生物語 ~マイグレーション研究会メンバーによる移民研究~

第1回 マイグレーション研究会メンバーによる移民研究あれこれ

以下、9回に亘って、われわれマイグレーション研究会メンバー有志による、移民研究の成果の一端を発表させていただきます。お読み下されば幸いです。 1)マイグレーション研究会は、歴史学・地理学・経済学・人類学・社会学・宗教学・文学などを専攻する、おもに関西居住の学徒が移民・移住に関わる 諸問題を互いに協力しあって調査・研究しようとの目的で、2005年に結成された研究会であります。もっとも、その前身は、それまで長く続けられてきた関 西移民研究会に遡ります。どちらかと言えば、インフォーマルな研究集団であった先の関西移民研究会を発展的に解消して、装いも新たにフォーマルな研究会に 衣替えをしたわけであります。研究成果を毎年度末に印刷・公表すること、一定の共通テーマのもとにメンバーが数年に亘って共同研究をおこなうことなどが、 新たな試みであります。研究会は、移民・移住に関心をもつ同好の士に開かれた、入・退会の自由なオープンな組織で、2009年3月現在、60名弱の会員を 擁し、年4回の研究例会と1回の1泊の合宿形式による報告会を開き、そこでの成果は『マイグレーション研究会 会報』に収められています。これまでに会報 は3回発行され、現在、第4号にむけて準備が進んでいます。 「1930年代における来日留学生の体験:北米および東アジア出身留学生の比較から」を共通テーマとする共同研究最中の2007年、研究会のメン バーである山本岩夫氏に全米日系人博物館のディスカバー・ニッケイから原稿の依頼がありました。研究会では熟慮検討の末、共同研究参加者の有志が各自の研 究成果の一端を発表することで、このお申し出にお応えしようではないかということになり、今日を迎えたわけであります。この機会を与えて下さったディスカ バー・ニッケイ関係者の皆さまに感謝を申し上げます。 2)共同研究のテーマである「1930年代」、「留学生」、「東アジア」について、若干の背景説明をしておきたいと思います。 1880年代後半以降、出稼ぎを目的に渡米した日本人の多くは、紆余曲折の末、現地社会に定住する途を選びました。出稼ぎから定住にいたる過程の分 析や論考はたいへん関心を誘うテーマですが、別の機会に譲り、ここでは次の点のみを指摘するに留めておきたいと思います。それは、現地社会への定住過程 は、家族が誕生し、学校が設立され、日本人会・県人会・各種の職業集団などが本格的に活動をはじめ、という風に諸々の組織・制度の確立やそれら組織・制度 の活発な展開と互いに絡み合って、言いかえれば、この定住過程と組織・制度の確立や展開とは互いに因となり果となって、歩んでいった、ということでありま す。こうして形成された日本人コミュニティの担い手や日々の行動の主役は、当然のことながら、渡米した第1世代(以下、1世と記します)であり、彼らの子 供である第2世代(以下、2世と記します)の多くはまだ幼く、脇役に甘んじていました。それは、1910年代に1世の多くが結婚したこと、したがって2世 がその頃多数誕生したこと、そのためもあって、1920年にはいわゆる写真結婚による花嫁の入国が禁止されたこと、などから傍証される、といえましょう。 彼ら2世が日本人コミュニティにおいてその存在感を増し始めるのは、1930年代後半以降であります。そして、やがて世代の交代を迎えることになります が、その転機は、日本軍による1942年のパール・ハーバー攻撃であった、と申せましょう。 成人した2世が、米国市民としての、そして日系アメリカ人としての権利を主張するために結成した組織に、1929年設立のJACLがあります。組織された 当初は大して影響力を持たない2世の親睦団体的存在と見られていましたが、パール・ハーバー攻撃を契機に、それまで日系人コミュニティをリードしてきた、 …

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