終戦から今年で80年、先の戦争を知る“生き証人”がほとんど残っていないなか、史実を語り伝えることがますます重要になっている。戦争は教科書で説明されているような国際問題として理解するだけではまったく不十分で、生身の人間がどのように傷つき、苦しんだかという、過酷で残虐な事実の集合体だということに思いを馳せればなおさらである。
このほど出版されたノンフィクション『遥かなる山に向かって 日系アメリカ人二世たちの第二次世界大戦』(森内薫訳、みすず書房)からこの事実を思い知らされる。原題は『FACING THE MOUNTAIN A True Story of Japanese American Heroes in World War II』で、2021年に出版された。
著者のダニエル・ジェイムズ・ブラウン(Daniel James Brown)は、アメリカのノンフィクション作家。2013年出版のベルリン・オリンピックに挑むワシントン大学ボート部の活躍を描いた『ヒトラーのオリンピックに挑め(The Boys in the Boat)』(邦訳森内薫、早川書房)はミリオンセラーとなり2023年に映画化された。
『FACING THE MOUNTAIN』も、ニューヨーク・タイムズのベストセラーリストにランク入りし、人間精神の最高の価値を肯定するメディアにおくられる「クリストファー賞」を2022年に受賞するなど高い評価を得た。
副題にあるように、本書は日系アメリカ人2世の若者が、第二次大戦中にどのような苦難に出遭い乗り越えてきたかを、主に“日系人部隊”の一員としてヨーロッパ戦線に赴いた2世の姿を通して描いた。
訳者のあとがきによれば、著者はサンフランシスコ湾岸地域で育ったが、父親が花屋業界で働いていて、取引先には多くの日系アメリカ人の花屋や苗木職人がいた。温厚な父親だったが、戦時中に日系人が土地を奪われたり、事業を破壊されたりするのを目の当たりにしたためか、このことについて語るときは怒りに震えていたことを著者は覚えている。
こうした経験という土台があったからか、著者は日系3世のトム・イケダ氏と知り合い、彼が創設した日系アメリカ人の歴史を伝えるアーカイブである「Densho(でんしょう=伝承)」に蓄積された膨大な資料に出合ったことから、2世の歴史に興味をもち取材をはじめた。
ひとくちにノンフィクションといっても、広義には「フィクションではない」ということでしかなく、「事実」を描く表現スタイルや事実に迫る手法はさまざまである。
「〜私が書きたかったのは、日系アメリカ人の経験の包括的な歴史ではなかった。(略)私が試みていたのは、歴史のある局面を生き抜いた個人の深い物語を書くことであり、彼らの物語を通じて歴史に光を当てることだった」と、おそらく謙遜と自負を含めてだろう、著者はそう語っている。
言い方を変えれば、歴史家ではないが、文学としてのノンフィクションの優れた書き手として、時代背景と社会的な問題意識の上に、緻密な取材をもとにした個人の物語を生き生きと描いたことで読者を惹きつけた。具体的には、「Densho」の膨大な資料をはじめ、日系2世当事者が語った言葉や彼らについての記録、新聞記事などさまざまな資料を駆使している。もちろんこのなかには、当事者から直接取材をした事実が含まれている。
日系アメリカ人2世で編成された第442連隊戦闘団や第100大隊のヨーロッパ戦線での激闘を中心とした、アメリカでの日系2世と戦争の問題をテーマにしたノンフィクションは、これまでも多数書かれてきた。が、戦線の記録と個人史を、日系人の置かれた複雑な背景を絡めて物語として成立させた本書は、この種の作品のなかで第一級だろう。
物語のはじまりは、1941年12月7日(日本時間で12月8日)、日本軍がハワイ、真珠湾を奇襲攻撃したときからはじまる。その瞬間から日系アメリカ人2世は、アメリカ国籍をもつアメリカ市民でありながら、とくに本土の西部で暮らすものは強制収容所に送られるなど、差別され憎悪の対象となった。
彼ら2世は、家族関係や日本に対する心理的な距離など、それぞれの置かれた事情によってその後の生き方を模索する。国家に異議を申し立てる者、反抗する者、あるいは異議はあるもののアメリカ人として認められるために国家のために尽くそうとする者。
本書ではハワイ出身のカッツ・ミホ、カリフォルニア出身のルディ・トキワ、ワシントン州スポケーン出身のフレッド・シオサキ、そしてワシントン州シアトル出身のゴードン・ヒラバヤシという4人の若者の開戦後の足跡を中心に、彼ら2世の直面する苦難を描く。
4人のうちヒラバヤシを除く3人は、従軍してイタリアなどでドイツ軍と闘う。本書のうち、およそ半分は闘いのドキュメントが占めるほど、いかに闘ったかを兵士の目線から克明に描き出す。彼らが挑んだ闘いのなかには、無謀とも思える作戦があり多くの死傷者がでる。有名な殊勲として語られる、同じ米軍のテキサス大隊を救出するための攻防では、日系の部隊は、200余人を救出するために790人におよぶ死傷者を出した。
しかし、そうした条件のなかでも任務を遂行し前に進む姿は、普通のアメリカ人よりもアメリカ人として認められたいという意識が根底にあったのではないだろうかと想像すると切なくなる。
この3人をはじめ、登場する若い兵士のファミリーネームは、ハヤシ、イマムラ、マツダ、イトウ、ニシザワなどみな日本の名前だ。戦場で死にかけた仲間についてこんなくだりがある。「彼は死に際に日本語で母親にひそかに呼びかけていた。『オカアサン、オカアサン、オカアサン』と」
勇猛果敢に戦い、犠牲を払って生き残り、国から栄誉を授けられた彼らだが、戦争が終わり故郷に帰ろうとしても、差別は解消されることなく、戦後も苦難は続いた。当時のトルーマン大統領は、戦果を上げた2世兵士に対して「君たちは敵と闘ったのみならず、偏見とも闘い、そして勝利した。これからも闘い続けてほしい。そうすれば、われわれは勝利するだろう」といった。しかし、偏見との闘いは完全な勝利とはいえなかったから闘い続ける必要があったのが事実だ。
一方、アメリカ国家を相手に闘った2世もいた。そのなかの一人がゴードン・ヒラバヤシで、彼はクエーカー教徒として宗教的立場から徴兵に反対し、また、家族が強制収容されているのに徴兵されることに反対し、異議を申し立て続けた。
ヒラバヤシの闘いの足跡も追ってきた著者はこういう。戦場で死を覚悟して闘った兵士は、アメリカと西洋民主主義諸国が掲げる何よりも高い理想の数々のためとわかっていたから闘い、同じように一部の若者たちは、ゴードン・ヒラバヤシのように「法廷で理想のために闘った」と。
また、日系2世兵士が戦場で任務を遂行できた闘い方については、日本的な「武士道」という行動規範をはじめ、「義理」「人情」「我慢」といった価値観が要因としてあると見る。そして、日本人とアメリカ人の両方のルーツからなる日系アメリカ人が戦場で示したものは、アメリカ国民は日系を含めて多様な要素から構成されていて、多様な背景とアイデンティティをもとに成り立っていること思い出させてくれたという。
本書ではドイツ軍との闘いの模様が頻繁に描かれる。そこからは、日系兵士が殺した若いドイツ兵や家族をもつドイツ兵に対しての心の揺れや、収容されていたユダヤ人への虐殺や殺戮の酷さに出合ったときの心情が伝わってくる。
日系兵士の戦績は賞賛に値する。しかし、彼ら自身が多大の犠牲を払ったことも含めて思慮すれば、どんな立派で大義のある闘いであっても、犠牲を伴うならば認められないという思いに至る。犠牲はたいてい組織の末端や弱者からはじまり、大義をかざす者は遠くにいて生き残る。今日の戦争もその構図は変わらない。
闘いたいと奮い立った、闘いたくはなかったが仕方なく闘った、複雑な事情を抱えながら闘った、そして生き残った、あるいは不幸にして亡くなった。そういうさまざまな日系アメリカ人兵士の物語から、考えさせられることは多い。
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