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第59回 サンノゼ日本町を知る

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日系の伝統を伝える希有なコミュニティ     

海外移住資料館内の企画展示

海外へ移住した日本人が日本の伝統や文化を残し、独特な日系文化を維持している数少ない例として知られるアメリカ・カリフォルニア州サンノゼ。先端技術の集積地である「シリコンバレー」のお膝元であるこのまちに形成された日本町についての企画展示『サンノゼ・ジャパンタウン 受け継がれる移民の想いと心』が、横浜市中区の「JICA横浜 海外移住資料館」で開催され、注目を集めている。

「日系人が海外でつくった日本町はいくつもあるが、サンノゼの日本町は、そのなかでももっとも日本からの移民文化や歴史をコミュニティーの力で守ってきた貴重な例である」と、同資料館学芸担当の研究員、小嶋茂さんは語る。

企画展示では、サンノゼ日本町の成り立ちや戦争をはさんでいかに日本町が存続してきたかなどをたどり、いまも存続する日系の商店やビジネスを紹介。このなかには、1928年に創業、現在は日本のギフト商品など日本文化に関連した商品を扱っている小倉商店のように創業家が代々経営しているところもあれば、1953年創業の集栄堂和菓子店のように経営者がかわりながらも、和菓子を作り続けている店もあり、さまざまな形で“日系”を継続していることがわかる。

また、日系コミュティーの結束によって生まれた高齢者福祉団体や仏教会の果たす役割が明らかにされ、日本の文化や慣習の継承という点では、毎年7月に開催されている盆踊りと西洋式のカーニバルを融合した「OBON Festival」のようすが映像とともに紹介されている。

サンノゼの町に近いシリコンバレーには、日系企業も多く進出している関係で、サンノゼになじみのある日本人も多い。かつて駐在経験のあるこうした日本人も展示を見に来ているようで、ある高齢の男性は、「昔よくサンノゼの町を歩きました。日本より日本らしさが残っているところもありました」と、懐かしそうに日系商店の写真を見つめていた。

小規模ゆえ生き残る

海外移住資料館内の企画展示

展示などの解説によれば、1890年代に、サンノゼ近くのサンタクララ平原の農園で働くためにやってきた日本人男性が、この地の移民のはじまりだった。このときサンノゼにはすでに中国人が多く住みつき中華街が形成されていて、ここに隣接する形で日本人が集まり日本町を形成していった。

その後、日本から写真結婚によって日本人女性もやってくるようになり、2世が誕生、日系の商店ができ、日本人会も結成されコミュニティがまとまっていった。

第2次大戦以前のアメリカには「日本町」と呼ばれる町がカリフォルニア州だけで46ヵ所あった。しかし、日米間の戦争によって、日本人・日系人は強制収容されたため、コミュニティーは崩壊し、財産も失われ、多くの日本町は姿を消した。

現在カリフォルニアで「日本町」として残っているのは、ロサンゼルス、サンフランシスコ、サンノゼの3都市だけになっている。このなかでサンノゼは、移民文化の面影をもっとも色濃く残しているという。

他の日本町が主に戦争をはさんで消滅していったのに対して、サンノゼの日本町が存続したのには理由がある。サンノゼの日本町も戦時中、ゴーストタウンと化していき、そこにはフィリピン系やアフリカ系の住人が住み着くようになった。しかし、日本人の不動産は、あるアメリカ人のおかげで守られた。

日本人は、カリフォルニア州排日土地法によって自分の名義で土地を所有できなかったので、強制収容で立ち退きにあったあと、住む基盤を失った。そのときサンノゼでは、アメリカ人弁護士のJ.B ペカム(James Benjamin Peckham)が、自分の名義で日本人の土地を預かり、アメリカ生まれの2世(アメリカ国籍をもつ)が成人すると、その土地をもとの所有者に返却したほか、不動産によっては第三者に賃貸し、その利益をのちに日系人に還元したという。

「日本人会顧問弁護士」という肩書きもあったペカム氏は、のちに「日本町の後見人」として紹介されている。

戦後になって、収容所からサンノゼに戻ったが家を失った人々の多くは、サンノゼ仏教会別院(浄土真宗本願寺派サンノゼ別院)やメソジスト教会が運営するホステルで生活しながら再スタートを切った。その後再定住が進み、日本人商店も増え1950年代から60年代にかけて日本人町はそれまでで最も活気づいた。

70年代には徐々に日本町は衰退していったが、3世の日系文化を守ろうという意識がたかまり、日本町は形を変えて再生していった。こうした再開発は、ロサンゼルスやサンフランシスコが外部の資本を取り込んで進められたのに対して、サンノゼは家族経営などスモールビジネスが中心となって進められたことが、かえってコミュニティのまとまりをつくったという。

バイリンガルのセラ氏が講演 

サンノゼには日系アメリカ人博物館(JAMsj)があるが、この企画にあわせて、3月22日には同博物館の前館長のマイケル・M・セラ氏による「日本町の重要性」というテーマでの公開講座が開かれた。

日本町の重要性を語るマイケル・セラ氏

セラ氏は、サンフランシスコ生まれで、2010年から同博物館でガイドボランティアをはじめ、以後日系アメリカ人の歴史を広めてきた。

会場は満席という関心の高さがうかがわれるなか、軽妙な日本語で語りかけるセラ氏は、日本町の意義について、当地での日系の歴史や文化を継承することにあるという。また、サンノゼの日本人町が135年も存続した要因として「土地をもっているのが(日系の)個人だったということがラッキーだった」と話した。

戦時中の日系人の収容の問題との関係にも触れ、「歴史を残しておかないと同じことがまた起きる」と、警鐘を鳴らした。最後に今後の課題として、「若い人たちに種を蒔かないとこの日本人町は維持できない」と、次世代につなげていくことの大切さを訴えた。

* * * * *

【企画展示】サンノゼ・ジャパンタウン 受け継がれる移民の想いと心
場所: JICA横浜 海外移住資料館
2025年 6月29日(日)まで

サンノゼ・ジャパンタウンの歴史を辿り、そこで生活する日系人や様々な団体・店舗の活動から、移民が残した文化遺産がどのようなかたちで受け継がれ、今日に至っているかを、様々な文書や写真資料、インタビュー証言などで紹介します。詳しくはこちら

 

© 2025 Ryusuke Kawai

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このシリーズについて

日系ってなんだろう。日系にかかわる人物、歴史、書物、映画、音楽など「日系」をめぐるさまざまな話題を、「No-No Boy」の翻訳を手がけたノンフィクションライターの川井龍介が自らの日系とのかかわりを中心にとりあげる。

 

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執筆者について

ジャーナリスト、ノンフィクションライター。神奈川県出身。慶応大学法学部卒、毎日新聞記者を経て独立。著書に「大和コロニー フロリダに『日本』を残した男たち」(旬報社)などがある。日系アメリカ文学の金字塔「ノーノー・ボーイ」(同)を翻訳。「大和コロニー」の英語版「Yamato Colony: The Pioneers Who Brought Japan to Florida」は、フロリダ歴史協会による2021年ハリー・T・アンド・ハリエット・V・ムーア賞(民族集団または社会問題に関する最優秀図書賞)を受賞。

(2021年11月 更新)

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