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https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2025/1/27/keita-morinaga/

創業者の曾孫、慶太さんに聞く「森永製菓とアメリカの縁」

コメント

エンゼルパイからハイチュウまで

日本なら森永製菓と聞くと小枝、ダース、アメリカならハイチュウを思い出す人が多いかもしれない。1960年代に日本で生まれた筆者にとって森永を代表する商品は、エンゼルパイとミルクキャラメルだ。特にエンゼルパイは、チョコとマシュマロの組み合わせが新鮮で、世の中にこんなに魅惑的な食べ物があるのかと幼いながらに感動したことを今も覚えている。

一方、カリフォルニアで2002年に生まれた私の娘は、中学生くらいの時からハイチュウをよく食べていた。当時、私が彼女に(半ば誇らしげに)「ハイチュウって日本の製品なんだよ」と言うと、「へえ、そうなんだ」という回答だった。気に入れば、それが日本のものだろうがどこのものだろうが関係ないといった感じだった。

森永製菓創業者の森永太一郎(40代の頃)。

そして、森永製菓には消費者としての馴染みしかなかった私は、アメリカと森永の関係は近年のハイチュウ人気の少し前に米市場に進出したことで始まったのだと思い込んでいた。しかし、最近の取材で森永製菓を創業した森永太一郎とアメリカとの深い関わりを知った。教えてくれたのは、太一郎の曾孫に当たる森永慶太さん。彼は現在、同社米国法人に赴任中で南カリフォルニアに在住している。慶太さんによる、森永製菓の創業までの経緯は次の通りだ。

「太一郎はもともと佐賀県の伊万里の出身で、陶器のビジネスに携わっていました。19歳で横浜の陶器商に修行に出た際、そこが破産してしまいまして、太一郎は残った商品を売るためにアメリカに渡りました。しかし、アメリカでは日本の焼き物の価値が理解されず、二束三文で手放してしまったために、日本に帰って来られなくなったのです。そこで、アメリカに残って学校の用務員などを務めるうち、子どもたちが食べていた栄養豊富なキャンディーに魅了され、日本でもそのキャンディーを広めたいと、カリフォルニアのオークランドにあるお菓子会社で長年修行を続けました。

現地には11年間滞在した後、1899年に帰国、同年、東京の赤坂で森永西洋菓子製造所という会社を立ち上げます。最初の主力商品はマシュマロだったのですが、そのような西洋菓子は当時の日本人には知られていませんでした。そこで、太一郎はショーケースをリヤカーの荷台に載せて、それを引いて自ら売り回ったのです。そうするうちに、アメリカで暮らしたことがある人や、在日アメリカ大使館の人々などが常連客となり、少しずつ森永の西洋菓子は認知度を高めていきました」。

1899年当時使用されていたショーケースを載せたリヤカー。  
     

お菓子を通して社会貢献

森永西洋菓子製造所が創業したのは1899年、その6年後には良く知られる森永製菓のロゴのエンゼルマークを商標登録している。そのエンゼルマークにもアメリカとの由縁があった。

「アメリカ時代、日本人として人種差別を受けていた太一郎の心の支えはキリスト教でした。修行先を見つけようとしても、なかなか採用されず苦労していた頃、クリスチャンの老夫婦に親切にされたことをきっかけに入信したのです。キャンディーを日本に広めるのも、自分の商売のためというよりも、栄養のあるお菓子を日本の子どもたちに与えたい、という社会貢献の気持ちが強かったからだと言われています。社会に愛を広めたいと言う気持ちを、太一郎は会社のエンゼルマークに込めたのです」。

「お菓子を通して社会に貢献したい」、その森永太一郎の挑戦の結果については言及するまでもないだろう。太一郎は1935年まで経営の最前線に立っていたが、現役を退くとキリスト教の布教にその身を捧げた。

さて、創業者の曾孫の慶太さんは、現在森永アメリカのバイスプレジデントを務めており、森永製菓の米国での新たな挑戦としてゼリー飲料Chargelの浸透に努めている。子どもの頃から森永に入社すると思っていたのかと聞くと、当時の将来の夢は映画監督だったのだと教えてくれた。

「ハリウッドの映画が大好きで、『インディ・ジョーンズ』を見てから、自分も映画を作りたいと思うようになったのです」と語るが、実際は1996年に大学を卒業すると森永製菓に入社した。そして、アメリカには現職以外にもニュージャージー支店とノースカロライナ工場に赴任した他、オランダのアムステルダムの欧州駐在事務所には4年間駐在するなど海外での経験を積んできた。

「日本人が作ったものを世界へ」

「森永の良い商品を次々に海外に紹介したい」と語る森永慶太さん。

創業者の太一郎はアメリカに出て、西洋菓子を日本に広めたいという夢に出会った。オランダ、アメリカと海外赴任を経験してきた慶太さんに、日本の外に出て新たな視点を持つようになったかについて聞いた。

「日本という国、森永の製品を、外から見る機会を得ることができました。そして、うちの製品をハイチュウに留まらず、もっと幅広く、海外市場に広めたいという気持ちを明確に持つに至りました。森永の製品は非常に良いものだという誇りがあります。太一郎も『良いものしか売ってはいけない』と言っていましたし、存命中に『日本人が作ったものを世界に向けて売り出したい』という夢を悲願にしていました。

今、ハイチュウが海外でも多くの方々に受け入れられています。おいしいものは誰が食べてもおいしいのです。それが日本製品だという認識がなくても、現地のものとして受け入れられることで、より大きな成功につながります。私たちはハイチュウに続き、ゼリー飲料Chargelなど森永の良い商品を次々に海外に紹介していきたいと思っています」。

最後に慶太さん自身のアイデンティーについて聞くと、「明らかに日本人です。そして、海外に身を置いていると、日本人は非常に信頼されていることを実感します。太一郎も『人間としての信用が第一だ。いい加減なことをしていると最終的にはダメになる』と言っていました。だからこそ、アメリカで差別され、お菓子の修行先探しに苦労しても石にかじりつくように努力して、最終的に西洋菓子作りを身に付けることができたのです」と答えた。


Morinaga America, Inc.の公式サイト

 

© 2025 Keiko Fukuda

菓子 家族 日系企業 スナック食品
執筆者について

国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社勤務を経て1992年渡米。ロサンゼルスの日本語情報誌の編集長を2003年まで務めた後、同年フリーランスとして活動開始。人物取材、アメリカの教育事情、日本食事情などをテーマに取材を続け、2024年に郷里の大分に活動拠点を移す。その後もオンラインを通じて取材執筆活動に従事。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2024年10月 更新)

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