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内山雄治選手 — その1

コメント

私とバンクーバー朝日との10年間

現在、アメリカのプロ野球大リーグでは、大谷翔平選手が大活躍をしています。来年にはイチロー選手が米国野球殿堂入りすると言われています。海外で、日本人選手が活躍する姿を見るのは嬉しいものです。

さて、プロ野球ではなくアマチュア野球ですが、カナダで「バンクーバー朝日」という伝説の日系野球チームが、戦前に大活躍を収めました。その功績が認められ、2003年にカナダ野球殿堂入り、2005年にブリティッシュコロンビア州スポーツ殿堂入りを果たしました。興味深いことに、私の伯父はかつてこのバンクーバー朝日の初代選手でした。今から約10年前にそれを初めて知り、驚きと感慨を覚えました。それから間もなくして、私は、バンクーバーで伯父の代わりに殿堂入り記念メダルを受け取りました1

伯父・嶋正一の代わりに殿堂入り記念メダルを受け取った嶋洋文(左から2番目)

もし、あなたの先祖が元バンクーバー朝日選手だったと突然に聞かされ、さらに選手名入りの殿堂入り記念メダルをもらえると聞いたらどう思いますか?

私は同様の感慨を共有したいという思いから、当時まだ多く残っていたメダルを渡されていない選手の家族の捜索へ乗り出し、殿堂入り記念メダルを引き渡すお手伝いをしてきました。その活動も、今年で10年目を迎えます。自分の先祖が元バンクーバー朝日選手だと知らせを受けた家族は例外なく、驚きと喜びに包まれ、その度にバンクーバー朝日の歴史が持つ意味を実感していました。

今回は、その家族の一人、内山雄治選手の家族捜しの経緯をお話しましょう。(敬称略)

* * * * *

新潟県柏崎市のルーツを探る

当初、内山雄治選手については、あまり情報がありませんでした。知っていることは、出身地が新潟県柏崎市であることくらいでした。

『柏崎日報』2021年2月4日

そこでまず、戦前のカナダ日系人名簿や新聞記事を検索してみました。その結果、内山は戦前に帰国したことが判明しました。残念ながら帰国後どこへ行ったのかわからなかったので、次に内山の出身地である新潟県柏崎市にターゲットを定めました。

地元の『柏崎日報』にアプローチをし、一面に内山雄治選手の家族探求の記事を大々的に掲載してもらいました。残念ながら確たる情報は得られませんでした。

広島市―妻みやこさんの実家

それではと方向を変え、内山の妻みやこさんの故郷、広島市に帰国をした可能性を探りました。

広島市在住の元学友に頼み、広島の空鞘稲生神社に記録が残ってないか問い合わせをしてもらいました。あいにく、原爆の爆心地に近かったこともあり、なんの手がかりも見つかりませんでした。

次に着目したのが、内山の妻みやこさんの姉あやこさんです。あやこさんもカナダへ一時移住していたことがあり、その時久岡文次さんと再婚をしていたことが分かりました。戦後二人は日本へ一緒に帰国していたこともわかったので、文次さんの出身地の広島県庄原市役所へ問い合わせ、別の友人の助けを借り庄原市の電話帖から久岡姓の方々の住所を探し出し、書状を送りました。残念ながら、ここでも新たな情報は得られませんでした。

さらに広島市役所にも問い合わせたのですが、個人情報保護の観点から、情報開示を断られました。

カナダ側の姻戚関係を探索

ララ・オキヒロさんが送ってくれた内山の妻みやこさんの両親、沖信小太郎と沖信よねさん

日本での調査があまり進まなかったので、カナダ側に何か手がかりがないかと、日系文化センター・博物館のリサ・ウエダさんやダイエン・イデさんをはじめ、数人の日系人の方々へも問い合わせてみました。その結果、義姉あやこさんの初婚の息子 トーマス・ヒデオ・オキノブさんが、1970年代にカナダのハミルトンに在住していたことが判明しました。内山選手の家族に関する初めての手がかりでしたが、それ以上の情報は入手出来ませんでした。

トーマスさんという手がかりを教えてくれたのは、ララ・オキヒロさんで、

思わぬ進展

新たな情報が得られないので、他にもいろいろ試してみました。取り上げてもらえませんでしたが、朝日放送テレビ(通称ABC放送)の人気番組「探偵!ナイトスクープ」に、内山雄治の家族探索について申請もしました。

そんなある日のこと、河原典文立命館大學教授に、柏崎市立博物館にも問い合わせてみたらどうかというアドバイスを受けました。さっそく問い合わせてみると、『越佐と名士』(1936年刊)の466頁に内山選手の父・内山英保氏の項があり、家族構成が記載されていると教えてくれました。内山英保氏は実業界の成功者で、退任後、鎌倉に居を構えていたことが分かりました。

内山雄治の父・内山英保

早速、鎌倉市役所へ現在の内山家について問い合わせをしたところ、ついに内山雄治の三男・保男(2017年逝去)の妻・恭子さんへたどり着くことができました。

恭子さんは、10年前に鎌倉文学館で開催された「冬柏山房に集まった文人達」という展覧会に協力していました。これは、彼女の義父・内山英保氏が退任後、鎌倉の自身所有の「冬柏山房」で与謝野晶子・鉄幹夫妻ら多くの文人らと共に和歌俳句や書画を通じて交流しており、それを取り上げた展覧会でした。英保自身も歌をたしなんでおり、自ら編纂・発行を手掛けた『冬伯山房抄』という本もあります。

おそらく鎌倉市は、このような史実を認識しており、内山雄治の義娘・恭子さんとの仲介に、一役買ってくれたのだろうと想像しています。

その2を読む

注釈:

1. 「バンクーバー朝日軍・嶋正一さんの名前がBC Sports Hall of Fameに登録される」(『The Bulletin』2014年10月18日) 

 

 *本稿は、「月刊ふれいざー」(2024年3月号)の掲載記事を加筆修正したものです。

 

© 2024 Yobun Shima

野球 カナダ メダル 戦前 スポーツ バンクーバー朝日(野球チーム)
このシリーズについて

カナダの伝説の日系人野球チーム、バンクーバー朝日は、2003年にカナダ野球殿堂入り、2005年にBC州スポーツ殿堂入りを果たした。しかし、1941年に戦争が勃発しチームが解散してから既に60数年たっていたため、多くの選手またはその家族と連絡が取れず、殿堂記念メダルの多くを引き渡すことができないままでいた。

バンクーバー朝日の最初の選手だったライターの叔父、嶋正一もその一人だった。退職後、偶然それを知った嶋氏は、バンクーバー朝日のことだけでなく、ブリティッシュコロンビア州の歴史など様々な資料に目を通した。その後、未渡し殿堂メダリストであるバンクーバー朝日の元選手やその家族らを探し始めた。このシリーズでは、今までの調査の過程だけでなく、元選手やその家族について紹介する。

詳細はこちら
執筆者について

嶋洋文は戦後の京都で生まれ育ち、その後、東京の国際海運会社に勤めた。彼の祖父母と3人の息子たちは、1907年ごろから順次カナダに移住。父は、1914年にバンクーバーで生まれた。1930年代までに、カナダ残留を選んだ1人の息子を除き、家族は順次日本へ帰国した。

定年を迎えた2007年頃、伯父の正一がバンクーバー朝日の選手だったことを知り、そのきっかけでバンクーバー朝日の研究調査を始めた。現在は、ブリティッシュコロンビア州スポーツ殿堂の依頼を受け、バンクーバー朝日の選手やその家族、関係者からの協力を得て、殿堂メダルを受け取っていない選手やその家族を探すボランティア活動を続けている。


(2024年8月 更新)

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