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https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2024/7/31/north-american-times-22/

第22回 ポトラッチ祭への参加活動

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前回は日本人会のコミュニティチェストへの貢献についてお伝えしたが、今回はシアトルで毎年7月に7日間行われていたポトラッチ祭についての記事1を見ていきたい。
 

ポトラッチ祭への参加活動

ポトラッチ祭とは、先住民族である北西部沿岸インディアン部族の文化的な祭りで、毎年多くの米国人客で賑わう、シアトル恒例のお祭りである。日本人コミュニティに住む人々は日本の歴史と日米親善をアピールするため、工夫を凝らした山車(だし)を作って祭りに参加し、市内をパレードするなどして米国人に大好評となった。

1934年

「今年再興するシアトルの市祭」(1934年7月6日号) 

「シアトルが最初のポトラッチ祭を催したのは1911年、それから4年間引きつづいて毎年非常に盛大さで催されたことは、之迄古いシアトル在留者でなくともまだ記憶にあることだ。欧州大戦が始まって丁度20年、シアトルがポトラッチ祭を取りやめにしてからそれだけの年月が経て居る。当年 シアトルでは之をゴールデン・ポトラッチ祭と称して居た。

ポトラッチとはインディアンの言葉で来訪客に対してエンタテーンするの意味でシアトル市は種々の催しをなして近郊の各町をシアトルに招じたのであった。今年再興せんとして居るのはインターナショナル・ポトラッチ祭と呼ぶ筈で、8月23日から26日迄4日間の予定で目下準備中である」

「ポトラッチ祭へ邦人から大鳥居寄付」(1934年7月11日号)

「昨夜8時北日商議定期役員会が開かれ、8月下旬催さるるポトラッチ祭に大鳥居を寄付 を決定。この大鳥居は当局でメトロ・ポリタンセンターに約30尺(約9m)位 のものを建てセワード公園に寄付する計画」

「ポトラッチに日本踊り出演」(1934年7月14日号)

「フォークダンスの催しに少女25名を参加せしめて日本手踊り10分間を上演せしめる」

「明日朝10時の行列からポトラッチの開幕」(1934年8月22日号)

「日本人の参加する分は左の二種、23日午後2時、9歳から12歳の日本少女25名が日本衣を華かに着飾って盆踊り。同日午後8時に於て男女80名の盆踊り」

「復興気分のポトラッチ祭」(1934年8月23日号)

『北米時事』1934年8月23日号

「シアトルは今日から3日間のポトラッチ祭。朝の10時からのグランド・パレードに下町は昔ながらのポトラッチ気分。今日の催しは各国少女踊りに、午後8時10分からオープニングイベント」

1938年

「ポトラッチ祭4日間の重な行事」(1938年7月25日号)

「来る28日から31日までの4日間に行はれるポトラッチ祭の女王は紅毛のフイリス・サベヂ嬢と決定した。(中略)ポトラッチとはインディアンの方言で、インディアンの酋長に贈物し、喜び壽(ことほ)ぐ祭りの事であるからポトラッチ祭は『喜び』を基本精神としてゐる。

シアトルでポトラッチ祭が行はれたのは1911年で其後数年間中止の状態にあったが、今回大々的に復活することになったもので、今年は10万人の人出を予想してゐる。29日には花車の大行列、日商から日米親善の花車を出す」

 「街頭のお化粧でお祭り気分横塧(おういつ)」(1938年7月27日号)

「日商から参加せしめる日米親善の花車も明日中には出来上る筈で, 反日空気を除き、親善の空気をあふらせやうとしてゐる。(中略)自由女神像と富士山を背景に日米の服装をした少女が立ち並ぶもので日米の平和関係を象徴ものだと言ふ。装飾に使用する桜花を作るため婦人会やガールズ倶楽部の会員が手伝う事になってゐるが、太陽ガールズ倶楽部のお嬢さん方は連日色々の手伝ひに汗を流してゐる」

「ポトラッチ祭に参加の山車」(1938年7月29日号)

「日商から参加せしめた山車には、藤中和子、吉田テル子、副島シゲ子の諸嬢が和装、木原幸子、向井満理子、糸井和子の諸嬢が洋装で参加。富士山と赤い鳥居と自由女神像の珍しいコントラストに沿道至る処で大喝采を博し『只今日本人が参加せしめた山車が通過します。美しい着物を着た娘さん達が花火を揚げながら・・・』とラジオで放送され関係者を喜ばせてゐる。(写真はジャクソン写真館撮影)」

『北米時事』1935年7月29日号

「女神像と富士山、二等に入賞」(1938年7月30日号)

『北米時事』1938年7月30日号

「ポトラッチ祭の行列は昨朝行はれシアトル市内を歓喜と興奮の渦中に投げ込み、地方から数万の出市者を見た。日商の花車は既報の如く沿道至る処で喝采を博したが、午後8時30分からシビック・スタジアムに於て開かれたレビュー・パレードに参加、ナン・コマーシャルの部で二等に入賞, 25ドルの賞金を授与され黒山の如き見物人から拍手を送られ、日米親善に多少の貢献をなす処があった」

1939年

「ポトラッチ祭」(1939年5月8日号)   

「今年は華州50年祭に相当するので、ポトラッチ祭は例年よりも盛大に挙行されるが、7月25日より6日間開催予定」

「ポトラッチ祭参加準備」(1939年7月1日号)

「昨夜8時日商のポトラッチ祭参加準備委員会が開かれ、出席者31名、三原会長が挨拶して開会。山口氏を委員長他担当委員が決定した」

「ポトラッチ祭多彩なプログラム」(1939年7月17日号)

「シアトルのポトラッチ祭は来る25日から30日までの6日間挙行され、米国艦隊及び付近市町の参加があり、行列やら色々のスポーツやら大層な賑はひになる予定。(中略)市内大行進は28日午前10時から始まり、沢山の山車が出るが、日商の城とアンクルサムの山車を出して参加する。25日グリン・レーキで終日水泳会、同夜徒歩競争、29日夜、大花火がある」

「ポトラッチと軍艦週間」(1939年7月24日号)

「華州50年祭祝賀を兼ねたポトラッチ祭と軍艦週間が今朝幕を切って落とした。今年は目抜きのアベニューは旗を吊し黄色燦然(さんぜん)と輝き、行人の表僧も明るくお祭り気分横溢(おういつ)してゐる。エリオット湾には、米国艦隊の主力艦8隻が投錨(とうびょう)し水兵さんの上陸で市内は活気を帯びてゐる。(24日、月曜日から30日、日曜日までの詳細プログラム掲載)」

「街頭大行列に日商のフロート」(1939年7月25日号)

「猛暑と共にポトラッチ祭と軍艦週間の幕あけとあってシアトル市内は未曾有のお祭り気分。ダウンタウンは水兵さんの上陸で押すな押すなの人出である。(中略)午前10時より行はれるが日商からはお城とアンクルサムを向かひ合わせ、真ん中に橋を架けて日本とアメリカの親善振りを表象したフロートを参加せしめ、日本着姿の伊達美恵子、内村カオル、多田久江、山田花子、児島恵美子、日下テル子の諸嬢を乗せる事になって居り、フロートは目下吉本大工のポートハウス製作中であるが七部通り完成してゐる」  

「婦人達の奉仕」(1939年7月26日号)

「日商では、ポトラッチ祭に参加のためフロート製作中であるが,造花の飾り付けの為、昨夜は左の婦人会員の御手伝いを希望すると。(浸礼教会、美似教会、組合教会、長老教会、仏教会、日蓮教会の各婦人会員の氏名掲載)」

「お城と石出さん」(1939年7月31日号)

『北米時事』1939年7月31日号

「ポトラッチ祭市街大行列に参加した日商のフロート『お城とアンクルサム』は残念乍ら賞に漏れたが石出シアトル領事代理は『入賞しないからと言って、このお城の価値が下がる訳ではない。よくこんなに立派なお城を短時日の間に作ったものだ。記念のためにスナップして呉れ給え』と言ってお城の前に三原日会会長と並んだところ・・・・

ニコニコ笑ってゐるのが石出さん、落選して苦虫を嚙み潰した様な顔をしてゐるのが三原会長」

 

まとめ

シアトル在住日系人はアメリカ社会で生き抜くために、アメリカと共存共栄を図り、前回紹介したシアトル市の主催するコミュニティチェストをはじめ、シアトルの重要な社会イベントであるポトラッチ祭に積極的に参加するなど、あらゆる努力をして日米親善に尽くしたことが伺える。

次回はシアトル日系人社会を支えた奥田平次氏と伊東忠三郎氏の功績についてお伝えしたい。

 

(*記事からの抜粋は、原文からの要約、旧字体から新字体への変更を含む)

注釈:

1.特別な記載がない限り、すべて『北米時事』からの引用。

参考文献

在米日本人会事蹟保存部編『在米日本人史』在米日本人会、1940年。

 

*本稿は、『北米報知』に2023年1月29日に掲載されたものに加筆・修正を加えたものです。

 

© 2023 Ikuo Shinmasu

フェスティバル 日本人会 (Japanese associations) 日本語新聞 新聞 シアトル 北米時事(シアトル)(新聞) アメリカ合衆国 ワシントン州
このシリーズについて

北米報知財団とワシントン大学スザロ図書館による共同プロジェクトで行われた『北米時事』のオンライン・アーカイブから古記事を調査し、戦前のシアトル日系移民コミュニティーの歴史を探る連載。このシリーズの英語版は、『北米報知』とディスカバーニッケイとの共同発行記事になります。

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『北米時事』について 

鹿児島県出身の隈元清を発行人として、1902年9月1日創刊。最盛期にはポートランド、ロサンゼルス、サンフランシスコ、スポケーン、バンクーバー、東京に通信員を持ち、約9千部を日刊発行していた。日米開戦を受けて、当時の発行人だった有馬純雄がFBI検挙され、日系人強制収容が始まった1942年3月14日に廃刊。終戦後、本紙『北米報知』として再生した。

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執筆者について

山口県上関町出身。1974年に神戸所在の帝国酸素株式会社(現在の日本エア・リキード合同会社)に入社し、2015年定年退職。その後、日本大学通信教育部の史学専攻で祖父のシアトル移民について研究。卒業論文の一部を日英両言語で北米報知とディスカバーニッケイで「新舛與右衛門― 祖父が生きたシアトル」として連載した。神奈川県逗子市に妻、長男と暮らす。

(2021年8月 更新)

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