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https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2024/7/1/ihojin/

異邦人という名の日本人

コメント

アメリカ大リーグが日本人にとって馴染みやすくなったのはここ20年くらいだろうか。ロサンゼルス近郊の球場を本拠地としたチームに次々と日本人プロ野球選手が成田空港から飛び立っていった。成田空港での記者会見で英語であいさつしてみてくれと言われた選手たちが照れ笑いをしながら日本の中学生レベルの文法を駆使した挨拶をしたら賞賛が起こっていたものだ。

彼らの活躍ぶりは毎日のニュースでシーズン中は放映されていた。投手ではいきなり5イニングスを投げて勝利投手になるのが一番早く注目されることになる。打者や野手ではホームランでも打たない限り現地のファンは喜ばないのだという。最近は日本人選手が先発出場の際には放映が入ることが増えた。日本人のファンは日本にいる時よりもawayの外国で戦う選手をより一層応援する傾向がある。これが判官びいきというものか。

マキヤマは寝床の上で1日遅れの日本字新聞大阪版を読んでいた。マキヤマの寝室の階下は店舗となっている。ここリトル東京にある運動具店にはタイ製やベトナム製のフランチャイズチーム名のロゴが入ったシャツが大量に入荷されてくる。現地の工場で1日10ドルに満たない工賃でこのシャツは作られているのだ。それがリトル東京ではシャツ1枚が10ドルで売られている。その中でも日本人選手の背番号入りのものが観光客にはよく売れる。それをまた帰国した連中が日本国内で10倍にして売りさばくわけだ。

マキヤマの脳裏には自分は異邦人ではない、異国人だという思いがある。顔つきだけが日本人の俺はダウンタウンを歩けば黒人やプエルトリカンからも異邦人として見られている。あいつらは俺をみると「チャン、ちゅん、チョン。お前はチャイニーズか」。と決まってきいてくる。その時に俺は「NO」と応えるがそれ以上の回答は用意していない。 

マキヤマことリトル東京の××通りにある運動具店「フライヤー」の店主は日系4世の男だ。なんでも2世の祖父が日本のプロ野球チームの大ファンだったことにこの店の名前の由来があるのだという。店主のマキヤマはきいてもミドルネームを面倒くさそうに答える。顔つきは見るからに日本人である。しかし日本語はほとんど日常では使用しない。そもそも、リトル東京で日本語を使う人口はもはや2割を切ってしまっているのだ。しかし、マキヤマは内心では自分は日本語のほうが得意かもしれないと思っているし家族もそう思っている。

息子は日本語を喋ったことはない。それでも日本人訛りの英語であるとガールフレンドに言われたことをかなり気にしている。顔つきはマキヤマのコピーでありまったく日本人と見分けはつかない。ブロンドの彼女がいる日系5世はまだまだ少ないのだ。マキヤマはそんな息子のことをいとおしく思っていた。

自分は結局日系社会の中でしか生きてこれなかった。息子たちの世代はこの地区からは脱却して生活してほしいと持っている。乳母車を引いた2世たちの高齢化はすさまじい。

日本語しか喋れなかった1世はそれなりの同情を得ていた。収容所に送致されたりなどの屈辱からこのリトル東京にもどり再生の道を歩んできたのである。もうほとんど姿を消したレンガブロックの壁の白い石膏のように苦難を積み重ねながらこの街を再生したのである。2世は今やこぞって生活扶助の恩恵に預かるために行政の指示を待ち続けている。もはや独力で自分のついぞの住処を見つけることも困難なのだ。マキヤマは息子にはなんとしても大学、できればロースクールに進んでもらいたいと願っていた。自分の商売もすべてそのためなのだと考えている。

サングラスに顎髭をはやした下品そうな男がたばこのにおいをぷんぷんさせて店に入ってきた。後ろにはまた汚いジーパンをはいた背丈のひょろ長い男がくっついてきている。ふたりともガムを噛んでいた。「ハイ、マスター」。男たちは自分たちが日本にキー局があるテレビ局の現地スタッフであると自己紹介した。日本語で話しかけてきた男たちであったが、マキヤマが怪訝な表情をするとすぐに英語で話しかけてきた。

この男は在米4年であるという。後ろの男は黙っている。日本人なのか日系人なのかは不明だ。薬物でもしているのか妙に青白い顔で頬骨の筋肉を使ってガムをクチャクチャト音を立てて噛んでいる。なんとも失礼な奴である。この男がもしも生粋の日本人であればの話であるが。

「ご存じですよねN投手の大活躍。こちらではかなりの量のエンジェルス関係のグッズを取り扱ってらっしゃるとうかがっているのですよ」。

キー局から取材の依頼が来ているのだという。いかに全米で日本人選手が注目をされているか。いかに日本人選手が有能であるか等を現地取材するのだという。それならば球団に問い合わせたらいいではないかと、マキヤマはあまりうまくない英語で応答した。実際問題は球団との交渉後の放映権料はバカ高くつく。選手本人を取材することはしない。選手本人の映像は他社から譲り受けるのだという。

二番煎じの取材でこの店の中で取材させろと言っているのだ。そしてマキヤマを嘆かせたのは店への謝礼は払えないというのである。この取材で店にも相当の広告効果があり、店の利益誘導のための取材であることを承諾せねばならぬのだ。そういった利益相反が生じるために金銭での謝礼は行えないのだ。

それならばなんでこの店を扱うのだ。ほかにいくらでもスポーツ用品店やエンジェルス関連グッズをライセンス生産販売しているところに行けばいいとマキヤマは繰り返し応答するのであった。髭とサングラスの男は、我々スタッフだけの力ではエンジェルス関連のエージェントには食い込むことはできない。取材費用のために手弁当でやってきたというのである。

本末転倒もはなはだしいが、この髭とサングラスの男は、我々日本人同胞が海外で差別と闘いながらこんなにも奮闘しているのであるから日系人を代表してリトル東京在住のあなた方は積極的に協力すべきではないかと戦前とみまがうような精神論をたてにしてきたのである。

マキヤマはもうこのリトル東京はあなた方が考えているような東京の海外租界ではないということを伝えなければならないと考え始めていた。確かに私の顔つきをみれば100人のうち90人は日本人と判断するかもしれない。しかし、私たちの咀嚼筋や頬骨をまとわりついている筋肉繊維は日本人と明らかに違うのである。それは顕微鏡レベルであったとしてもだ。私たち日系人はもはや日本語をしゃべってはいないのである。日常会話で日本語をしゃべらなくなって本当に久しい。

祖父が最後にしゃべった言葉、すなわち臨終の言葉も実は英語だったのだ。マキヤマの幼い時の記憶では確かにそうだった。東本願寺で日本式の葬儀を行ったのは確かだ。僧侶もいた。しかし参列者の男性はスーツ、女性は頭にベールを被っていた。棺の中の祖父はタキシードを着ていたのではなかったか。少なくとも白い経帷子ではなかった。あの祖父でさえ、もはや日本人として伝統を踏襲しながら生きようなどとは思っていなかったのである。

彼はリトル東京から駆逐されどこかの収容所にいたらしいが、マキヤマは詳細を知らない。普通の日本人気質ならば孫の代にまで真実を伝えて、リメンバーパールハーバーならぬ、「撃ちてし止まむ」の精神でアメリカへの復讐を誓っていたかもしれない。

マキヤマのかたくなな拒否にあったテレビ局のクルーたちは、公衆電話から電話を始めた。上司に掛け合っている様子だ。結局、たばこ臭いサングラスの男と薬物中毒のようなひょろ長い男は大通りに出るとタクシーをひろって帰ったようだ。

五月は日本からの観光客が多く訪れる。メジャーが開幕してから、それを目的とした日本人がリトル東京を闊歩するのがみられるようになった。地元チームは当初から3連敗を喫したりと地元ファンをやきもきさせたが、現在はなんとか上位4位には入っていた。次週はサンフランシスコとのチームとの対戦になる。

マキヤマはベトナムから仕入れた商品を棚に陳列するようにメキシコ人の店員に命じた。「マスター、これはひどいや。商品が虫に食われている。こりゃあ半分は売り物にならないんじゃないかな」。店員は叫んだ。船便ではよくあることなのだ。しかしながら海外の工場を拠点としているところから安く買わないとマキヤマのような個人商店はとても採算を出すことが出来ないのだ。

「しょうがない、天日干しにするしかないな。人を集めてくれ」。マキヤマはテントを組み立ててそこにシャツを並べて天日干しすることにしたのである。虫に食われたものは商品にはならない。クレームしても現地工場はどうにも対応できない。原価が安すぎるのだ。

豊作貧乏のように使えないシャツは処分しなければならなかった。農産物ならば自分のうちで消費しようとも考えるが、これだけのシャツを使いまわすほどの趣味もない。ある程度のものは近所の老人ホームか子供たちの野球チームに寄付という名目で渡すしかない。これだけでも相当の損失だ。マキヤマはこの前、店を訪問した二人組の男のことを思い浮かべた。とんだ疫病神だ。

物干し用のテントは家族と2人の店員とで組み立てられた。幸いなことにしばらく晴天が続く予想が出ている。太陽だけは味方してくれているようだ。間隔をあけながらメキシコ人の店員がシャツをひとつひとつハンガーにかけていく。

考えてみれば、このメキシコ人系との確執も過去にはクローズアップされたものである。黒人や、プエルトリコ人、フィリピン人とこの地域で同居してきた。わずか半径3マイルほどの地区に異邦人とも異国人ともわからない民族がひしきめきあい、時には反目しあい、時には片寄せあって抱き合うようにして生活し歴史を刻んで来たのだと父に教えられたものだ。

日本人コミュニティがあとどれくらい継続することが出来るのだろうか。もう2世の時代も終焉を迎えつつあるのだ。息子たちがこの歴史を織り編んでいくのか、それともばらばらに解体していくのか。マキヤマはかぶりをふって帳面を付けなおした。

それから3か月の月日が流れた。ふとテレビのスイッチを付けると、なんということだろうか、あの二人組の男の一人が画面いっぱいに現れた。サングラスの男がマイクをもって大げさに手を広げている。「みなさん、ご覧ください。ここにあるのは皆日本人選手のシャツです。すべてがN選手のものです。素晴らしい活躍をしていることがわかるでしょう。町全体が彼のシャツを売っています」。そこには、テントの下で天日干しされている我が店のシャツが映っている。確かにNの背番号だ。

マキヤマはもう笑うしかなかった。放映権だの放映料の問題ではない。屋外で映りこんだ風景の中にテントがあり、その中にシャツが太陽の元ではためいていたのだ。ただその光景を放映したとあの男ならいいそうだ。だから金は一銭もかかっていない。あのサングラスの男はここがリトル東京だとは一言も言っていない。あたかも全米のあらゆる場所でこのシャツが売られているような印象操作をした放送は1分で終わった。

マキヤマはスタジアムの周辺で息子を探していた。一緒に野球を見ようと珍しく息子がチケットを購入して誘ってくれたのだ。ガールフレンドも今日は一緒だという。どうやら私に彼女を正式に紹介したいらしい。だからマキヤマも普段着よりかはかなりおしゃれをして球場に来たつもりである。試合が終わったあとの食事の算段もしてきたのだ。

さすがにシーズンもクライマックスに入ると観衆も増えている。白人が7割、そして残りが数種類の人種であろう。マキヤマは白人の中に日本人の顔をした人間を探し求めた。すれ違いざまに日本から来たらしい観光客の夫婦がマキヤマを見て、「貴方は日本のかたですか?入り口がわからないのです」。と親し気にきいてきた。マキヤマは「NO」とそっけなく答えた。観光客夫婦は怪訝な顔をした。マキヤマはもう一人のコピーを遠くに見つけると駆け出した。走りながら息子のガールフレンドになんと声をかけようか英語で思案していた。

* * * * *

* このストーリーは、リトル東京歴史協会による第11回ショートストーリーコンテストの日本語部門佳作受賞作品です。

 

© 2024 Koh Hirano

カリフォルニア州 フィクション アイデンティティ イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト(シリーズ) リトル東京 ロサンゼルス アメリカ合衆国
このシリーズについて

毎年行われているリトル東京歴史協会主催の「イマジン・リトル東京」ショートストーリー・コンテストは、今年で第11回を迎えました。ロサンゼルスのリトル東京への認識を高めるため、新人およびベテラン作家を問わず、リトル東京やそこにいる人々を舞台とした物語を募集しました。このコンテストは成年、青少年、日本語の3部門で構成され、書き手は過去、現在、未来の設定で架空の物語を紡ぎます。2024年6月1日に行われた授賞式では、ショーン・ミウラを司会とし、俳優の伊藤歩、カート・カナザワ、クローイ・マドリアガが、各部門における最優秀賞受賞作品を朗読しました。

受賞作品

  • 日本語部門 — 最優秀作品: 「ニューオータニの結婚式」 ポーターDC・ポーター五月
  • 成年部門 — 最優秀作品:  “When Next We Meet” (次に会うとき) ブランドン・タダシ・チャン  
    • 佳作: “Sustain” (持続) モニーク・ヘイズ 


  • 青少年部門 — 最優秀作品: “Little Things” (小さなこと) マデリン・タック  
    • 佳作: “Dreaming in Lil' Tokyo” (リトル東京で夢見て) パブロ・マティアス・ヘルナンデス・マルティネス

 
* その他のイマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテストもご覧ください:

第1回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト >>
第2回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト >>
第3回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト >>
第4回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト >>
第5回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト >>
第6回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト >>
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第8回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト >>
第9回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト >>
第10回 イマジン・リトル東京ショートストーリー・コンテスト >>

 

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執筆者について

東京外国語大学中退。ジョージタウン大学外交大学院リサーチフェロー。現在は、予備校講師、翻訳、介護など、多数アルバイトを行っている。

(2024年7月 更新)

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