1970年代から日系アメリカ人やアジア系アメリカ人について取材し、その成果をノンフィクションなどの書籍に著してきた作家でエスニック文化の研究者でもある村上由見子さんに、引き続き、アジア系アメリカをテーマとして長年、取材や研究をしてきたその足跡や意義などをきいた。
映画の中の差別
川井:村上さんは、「アジア系アメリカ」というテーマのなかでも、とくに演劇や映画の世界に焦点をあてているようですが、どのようなことがきっかけだったのでしょうか。
村上:最初に関心が向いたのが、異文化衝突のひとつ、ハリウッド映画の歴史で描かれたアジア人・日本人の肖像でした。これは、アジア系アメリカ人劇団「イースト・ウエスト・プレイヤーズ」を率いていたマコ岩松と親しくなり、それまで知らなかった映画の中の差別的描写を教えてもらったことがきっかけでした。
チャーリー・チャン、ミスター・モト、ドラゴン・レディー──アメリカでは誰もが知る銀幕の有名なキャラクター(しかも白人が演じていた)を、私自身はまったく知らない、という驚きから始まり、これも夢中になって調べていきました。1980年代は、今のようにいながらにして映画が見られる時代とは違い、“ビデオ屋”をあさっては昔の映画を一本ずつ探し、映画館を調べては観に行き、リサーチに何年もかかりました。
この取材をもとに『イエロー・フェイス ハリウッド映画に見るアジア人の肖像』(1993、朝日新聞社)を出版しました。また、全米初のアジア系アメリカ人演劇集団「イースト・ウエスト・プレイヤーズ(東西劇団)」と、それを率いていたマコ岩松と静子夫人のことは、『イースト・ミーツ・ウエスト マコとスージーのアメリカ物語』(1993、講談社)にまとめました。
日系からアジア系へ
川井:その後、日系だけでなくアジア系のアメリカ人もまた同じような歴史があり、問題を抱えていることを認識していったのでしょうか。
村上:そうですね。アメリカ社会の中でマイノリティーの立場にあるアジア系は、その歴史や体験も共通項があると分かってきて、自ずと私の視点も、日系人からアジア系移民全体へと広がっていきました。アメリカの大学でも「アジア系アメリカ人研究」が続々と登場していた時期です。
1980年代はアジア系移民が激増し、アメリカ生まれのアジア系とは異なる新移民がどっと流入してきました。この背景にはアジア各国の歴史が関係していますが、コリアタウン、リトルサイゴンなど新たなコミュニティーも誕生する一方、それらはアメリカ社会でさまざまな軋轢を生んでいました。
このテーマについてもじっくりリサーチしようと思い、フルブライト・ジャーナリストプログラムに応募し、UCLAのユージ・イチオカ教授の元で、1993〜94年の一年間、調査することができました。その成果は『アジア系アメリカ人 アメリカの新しい風』(中公新書、1997)の一冊にまとめました。当時はアジア系アメリカ人の隆盛期であり、今となっては、あの時代の空気を本の形で記録しておいてよかったと思います。
9.11のあと
村上:その後は、慶應義塾大学で講師を務めるようになりましたが、2001年に起きた「9.11」の衝撃から、アメリカにおけるアラブ系・イスラム教徒への差別的言動が、否が応でも戦時中の日系人への迫害と重なって見えてきました。
私はアラブ系やイスラムに関しては門外漢だったので、一から勉強をはじめ、ハリウッド映画におけるアラブ人・イスラム教徒の描写の歴史を調査していきました。アジア系とはまた違うパースペクティブから、アメリカの姿を見ることができて、複眼的視点の大切さを実感しました。
これは、『ハリウッド100年のアラブ 魔法のランプからテロリストまで』(2007、朝日新聞社)として上梓しました。
その後、両親の介護問題もあり、翻訳の方へ仕事が移行しました。『ショック・ドクトリン 惨事便乗型資本主義の正体を暴く』(ナオミ・クライン著、共訳、2011、岩波書店)、『横浜ヤンキー 日本・ドイツ・アメリカの狭間に生きたヘルム一族の150年』(レスリー・ヘルム著、2015、明石書店)、児童書『ヘリオット先生と動物たちの8つの物語』(ジェイムズ・ヘリオット著、2012、集英社)などを手がけました。
変容する日系、アジア系
川井:いま、アジア系アメリカに関する本があいついで出版されています。かなり早い段階で村上さんはアジア系アメリカに注目されました。その当時のアジア系アメリカ人の世界と現在ではどう変わっているでしょうか。
村上:この30年間で、大きく変化してきたと思います。これは常に世界情勢の動きと連動しているので、アジア各国の経済的発展や、政治的変化を反映し、移民状況も目まぐるしく変容してきています。
「アジア系アメリカ人」の内部もどんどん細分化されていますね。アジア系が一丸となって行動する、という機会も減少しているでしょう。一例を挙げると、昔は圧倒的に民主党支持が多かったマイノリティーも、今は共和党支持者が増えて、論点も複雑化・多様化してきています。
川井:いま日系アメリカ人は、アジア系アメリカ人のなかでどのような位置にあると考えますか。日系アメリカ人のアジア系アメリカ人としての意識はどのようなものでしょうか。
村上:日系アメリカ人というくくりや境界線も、昔と比べると、どんどん曖昧になってきていますね。今ではアジア系同士、あるいは他人種との結婚も多く、その子供や孫たちのアイデンティティーもひとつではなく、まさに多元化していると思います。たとえ外見がどうであろうとも、「私は日系人のアイデンティティーを持つ」と自主的に選択した時点で日系人になる、というのが今のアメリカ社会です。
川井:ハリウッドやショービジネスの世界で、日系はどのように描かれてきたのでしょうか。それは、いまもつづいていますか。また、日系人のなかでも、それをよしとして受け入れてきた面はあるのでしょうか。
村上:私が『イエロー・フェイス』を出版した1993年と比べると、現在のアメリカは建前的にはどの人種も平等であり、差別的言動は禁止されていますが、その反面、差別的意識は奥の方に引きこもって隠れてしまったとも言えます。今年2024年はテレビドラマ「SHOGUN 将軍」が大きな話題となりましたが、真田広之氏の数々の発言の裏には、今もなお日本人・日本文化・日本の歴史に対する「無理解」があることが読み取れました。
もっとも昨今は、日本が発信してきたアニメ文化や音楽の世界はアメリカの若者に浸透してきていますね。日本の姿をアニメで知った、それで日本文化に興味を持ったという世代は今後、増えていくと思います。ただし、その一方でアジア各国への認識は総じて低く、どこも同じ社会・文化・言語だと十把一絡げに見ているアメリカ人も未だ少なくありません。
現代のアメリカ社会では「分断」が進んでいますが、かつてマイノリティーの差別撤廃をリードしてきたリベラル派が、今や「ウォーク(woke)」の名称で厳しく非難されている現実があります。保守とリベラルが真っ向から対立し、先鋭化し、戦闘化している現在、実はアジア系・日系も、そのはざまで振り回されているのではないでしょうか。
川井:映画の話に戻ると、ジェイミー・フォードの日系人を中心とした小説「あの日パナマホテルで」(原題は、Hotel on the Corner of Bitter and Sweet)が話題になって、映画化の話が出たときに主人公が日系(アジア系)では、ハリウッドではむずかしいという話をききました。そうした暗黙の了解というか壁はあると思われますか。
村上:壁はあると思いますが、この点はハリウッド映画にこだわらなくても、インディーズ映画で作れる可能性はいくらでもあると思います。むしろ、今はそちらの方がいいのでは?
最近つくづく思うのは、映画は脚本がよく、俳優の演技が秀逸で、物語が面白くないと観てもらえません。日本で自主制作された映画『侍タイムスリッパ—』が大ヒットし、外国でも大好評だと聞きます。ハリウッドは別の意味で制約がゴマンとあるので、過去の日系人もの映画も、縛られて自由には作れず、けっきょく妥協を重ね、つまらない作品になることが多かったですね。若者はハリウッドに文句を言うだけでなく、もっと自由に羽ばたいて映画を製作してほしいと思います。
「正しい自己」と「邪悪な他者」
川井:村上さんは『ハリウッド100年のアラブ 魔法のランプからテロリストまで』で、アラブ人(社会)が、アメリカでどうとらえられてきたかを書いていますが、アジア系とアラブ系と比べると、“偏見”という点からどのような違いがあるでしょうか。
村上:時代により、アメリカとの関係性により、さまざまな偏見が表出します。「他者」という認識では共通点があります。アメリカは入植した当時から常に「他者」を排除し、危険視してきた歴史があり、「正しい自己」と「邪悪な他者」を対峙させてきました。時代により、それは先住アメリカ人、黒人、アジア人、アラブ人、と変化してきました。肌の色、宗教、文化、風習に対する無理解は、容易に偏見へと変わります。
川井:慶應義塾大学などで多文化共生について教えた実績をお持ちですが、学生たちの関心や反応はいかがでしたか。
村上:今の若者は、それこそ「他者」と接触する機会がなく、家庭と大学とバイト先しか知らない、という学生が多いですね。学生に、「在日アラブ人かイスラム教徒にビデオインタビューをしてくる」という課題を出したところ、皆、初めは戸惑いながら何とか取材対象者を見つけ、面白がってインタビューしてくれました。
シリア人ジャーナリスト、エジプト人留学生、インドネシア人女性、トルコ人レストラン経営者、アラブ音楽の楽器専門家など、机上の勉強だけでは分からない異文化世界に実際に触れたことで、目が開かれたと思います。
川井:日系、アジア系、アラブ系など、アメリカにおけるマイノリティーについて学ぶ意義はどんなところにあるでしょうか。
村上:「マイノリティー研究」も、昔からかなり変容してきていると思います。「日系」や「アジア系」のそれぞれの移民の歴史を学ぶのは意義がありますが、そこだけに閉じこもることなく、常に世界の流れ、アメリカ社会全体の動向を併せて見ていく必要がありますね。スウェーデン、ドイツ、イギリス、フランスなど、これまで移民を受け入れてきた国は「移民問題」に苦慮し、各政権を揺るがす事態となっています。トランプ政権に替わるアメリカもまた、2025年は大きな変化の年になるでしょう。世界では今、「移民問題」が深刻化しています。
私はアカデミズムの研究者ではないので、一つのジャンルを深く研究するというよりも、興味の向くままにあちこちを見渡してきた、という感があります。言うなれば、学ぶ意義とは、人それぞれが見つけるものだと思います。
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