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https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2024/11/1/haruno-mari/

カナダ・トロント在住のインスピレーショナル・スピーカー、春野真理さん

コメント

「諦めるわけにはいかない」

スピーチコンテストでのハルさん。

2024年、北米最大のスピーチコンテストで、英語のネイティブスピーカーに混じって出場し、銅メダルを獲得したのが、カナダ・トロント在住で東京出身の春野真理さん(以下、ハルさん)。彼女は自らの職業を「スペシャルエデュケーター」「ライター」「インスピレーショナル・スピーカー」だとし、同時にカナダへの留学生を受け入れる留学機関で「スタディーアブロード・エキスパート」としても働いている。

彼女の自己紹介は東京の大学生時代、18歳の時のコンビニエンスストアでの「メロンパン伝説」から始まった。

「18歳の時、コンビニでバイトしていたのですが、1人で1時間に580個のメロンパンを売ったのです。普通に売ってもそこまでは売れません。私は、仕入れられる最大個数の580個のメロンパンをタワーのように積み上げた横で、自作のメロンパンの歌を歌って踊りました。そうしたら、1人のお客さんが5個、10個と買ってくれただけでなく、インターネットでそれが話題となって、遠くからもわざわざ私からメロンパンを買うために多くのお客さんが詰めかけるようになったのです」。

メロンパン販売記録を作ったハルさんは、本社よりトロフィーが授与され、入社を誘われたそうだ。

その後、バイオケミストリー(生化学)を専攻していたハルさんは、大学院を修了後に某大手の製薬会社に入社が内定していた。ちょうどその頃、後輩が誤ってこぼした薬品を浴びるという事故に遭い、首から下に大火傷を負ってしまう。集中治療室で意識を取り戻したものの、医者からは皮膚の移植手術とそれに続く過酷なリハビリに耐えなければ、手を切断するしかないと宣告されたのだった。そこで「諦めるわけにはいかない」と、皮膚の移植手術の後はリハビリを続け、なんとか切断を免れ、社会生活への復帰を果たした。

しかし、以前のようには手が使えないということで製薬会社からは内定を取り消されてしまった。そこで、180度進路を転換させて入社したのが、当時成長中のインターネット関連サービス企業。その企業に営業マンとして在籍したハルさんは、8万人の営業の中で常にトップセールスとして走り続けた。

カナダで変わったこと

その後、なぜカナダに渡ることになったのだろうか。

「20代の終わりに、英会話スクールの校長先生にヘッドハントされて転職しました。当時の私は英語を全く話すことができませんでした。でも、その学校の英語講師のやりたい授業を実現し、生徒数を1年で5倍以上に増やすことに成功しました。さらに、オーストラリアやカナダ出身の英語の先生に、実際に海外を自分の目で見てきた方がいいと勧められたのです。そこで私は1週間だけ、パスポートと携帯だけ持ってトロントにやって来ました。そこで日本語学校を見学し、日本とは教育のやり方が違うことを実感し、自分もここに来て子どもたちを教えたい、と思ったんです。そこでいったん日本に戻り、学生ビザを申請し、カレッジに留学するために9年前、32歳の時にトロントに渡りました」。

カレッジに在籍しながら、留学受け入れ機関で働き始め、土曜には日本語学校で教鞭を取った。2017年には独立して自分の学校を始めた。児童生徒は、その多くが両親、または片方の親が日本人の子どもたちだ。また、ハルさんは自閉症やADHDなど特別に支援が必要な子どもたちの指導に力を入れている。

「一時はフルタイムの学生をやりながら、フルタイムで働き、さらに土曜は日本語学校で子どもたちを教えていました。その後、夫との結婚でパーマネントレジデンスカード(カナダの永住権)を取得、今は3歳と5歳の二人の子どもがいます」。

こうして多くの仕事を持ち、妻であり、子どもたちの母親となったハルさんは、カナダに来てどのようなことが変わったかを聞いてみた。

「いっぱい変わりました。もともとユニークだと思われていて、出る杭は打たれるが出過ぎる杭は打たれないをモットーに生きてきましたが、日本だったら『もう25歳』とか『もう30歳』と年齢で決めつけられたり、母親になったら新しいチャレンジをする必要はないと思う人が多かったりするじゃないですか。でもカナダでは、何歳になっても何だってできるし、止める人はいません。だからここでは年を取るのが楽しみになりました。

それに日本にいた時は、LGBTQの知識がなくて、人は男性か女性、そのどちらかだと思い込んでいました。カナダでは男性同士でも女性同士でも結婚できるし、皆、そのことを自由に表現しています。また、トロントには実に253もの民族が住んでいます。お互いが喧嘩することなく、衝突することなく、レスペクトしながら共存していることがここにいると実感できます」。

「情熱さえあればなんでもできる」

ハルさんは大学院修了間際で大火傷を負ったことで、研究職とは違う道に進むことになった。それをきっかけに海外に出る機会に巡り合った。

「そう言う運命だったのだと思います。It was meant to beですね。日本にいる若い人に限らないけれど、私から言えるのは、日本が全てじゃないってことです。もし、日本でうまくいかなければ、ちょっと外に出てみたらいいんです。その後、また日本に戻ったら、いかに日本が素晴らしい文化を持っている国か、ということがより理解できます。私も日本が大好きなので、今後カナダの国籍を取得する予定はないです。カナダの日本人として生きていきます」。

そして、冒頭に触れた北米最大のスピーチコンテストの世界大会は11月9日に開催される。ハルさんが同コンテストに挑戦しようと思った理由とは?

「ずっとTED Talksに出るのが夢だったんです。でも、自分で言うのはおかしいかもしれませんが、日本のTED Talksに日本語で出演するのは簡単すぎるのではないか、と思うんですね。それよりもカナダのスピーチコンテストで優勝する方が、ハードルが高い分やりがいがあります。

今回、私が北米大会で銅メダルをとったことで、全世界のトップ14人のスピーカーの一人に入選しました。私以外は全員、英語のネイティブスピーカーで、しかもスピーチを仕事にしているプロフェッショナルばかりです。世界大会はこの14人で競います。

私が最終の14人に入ったことで主催者には『本当に大丈夫?できる?』と聞かれたんですが、私の返事は『驚かせてみせます(I will surprise you)』でした。私はこのコンテストで、私が教えている子どもたちにも情熱さえあればなんでもできる、実現させることができる、ということを証明したいのです」。

チャレンジャー、ハルさんの優勝を望むばかりだ。

 

 ハルさんの動画チャンネル:@motivator_haru   
スピーチコンテストの公式サイト:「Speakerslam

 

© 2024 Keiko Fukuda

カナダ 世代 移民 移住 (immigration) 一世 日本 移住 (migration) オンタリオ州 戦後 新一世 スピーチ トロント アメリカ合衆国 第二次世界大戦
執筆者について

国際基督教大学を卒業後、東京の情報誌出版社勤務を経て1992年渡米。ロサンゼルスの日本語情報誌の編集長を2003年まで務めた後、同年フリーランスとして活動開始。人物取材、アメリカの教育事情、日本食事情などをテーマに取材を続け、2024年に郷里の大分に活動拠点を移す。その後もオンラインを通じて取材執筆活動に従事。ウェブサイト: https://angeleno.net 

(2024年10月 更新)

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