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https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2024/10/30/por-que-nao-tenho-nome-japones/

日本の名前を持っていない理由

コメント

Laura Hasegawa(ラウラ・ハセガワ)と申します。77歳です。同年代の日系人の方は、日本の名前のみか、ブラジルの名前とミドル・ネームに日本の名前を持つのが一般的だと思います。

母は私に「Noêmia」という名前を付けたかったようです。ブラジルの名前ですが、日本語で「のえみ」と呼べるので、とても便利な名前だと思ったのでしょう。

長谷川成海とミツノ・ホンダ・ハセガワの結婚式、ロンドリーナ市にて。1945年3月12日。

私が生まれると、父はすぐに民事登記所へ行きました。戻ると「『Laura』と付けて来たよ」と母に言ったそうです。最初、母は驚きましたが、「ラウラ」もとても良い名前だと思い、私の名前を呼ぶときはいつもブラジルの発音で「Laura」ではなく、日本語の発音で「ラウラ」と呼んでくれました。

中学生のころ、学校で自分の名前の由来について書く宿題が出されました。映画好きな少女だった私は、想像を膨らませながら「私の名前はアメリカのミステリ映画『Laura』を見た父が付けてくれました」と書いたのを覚えています。私の想像だったのか、父は本当に『Laura』という1944年の映画を見たのかどうか・・・未だにはっきりとは分かりません。

私の名前については、もう一つ説があります。私が生まれた病院で働いていたブラジル人の看護師が父に「Laura」という名前を薦めたとか何とか・・・・母が話していたような記憶があります。

最初に述べましたが、同年代のニッケイ人は日本の名前だけしか持ってない人が多かったので、隣のドイツ系の奥さんに、「『Laura』っ てポルトガル語でどういう意味ですか」と、母は聞かれたことがあるそうです。

また、当時の非日系人の子ども、特に女の子の名前はとても長いことが多いので、面白くて楽しいなぁと思っていました。例えば、Maria (ファーストネーム)Elisabete (ミドルネーム) Silveira(母親の苗字)do Amaral(父親の苗字)など。ブラジルの名前と日本の名前を持っている日系人も、私よりは長い名前を持っています。私の幼なじみのNelson Kazuhiro Kamimura。私のように短い名前の人はあまりいませんでした。

ここで、私がどうして日本の名前を持っていないのかを話しましょう。

時を遡って、父方の祖父母は1919年12月23日にブラジルに到着しました。当時、父は3歳、名前は長谷川成海、名前の読み方は「なるみ」。本来なら、ブラジルの正式な書類では「Narumi Hasegawa」となるはずですが、父の外国人身分証明書には「Hasegawa Seikai」と登録されてしまいました。つまり、名前の読み方が間違ってしまった上に、日本と同じく苗字が先になってしまったのです。.

また、「Hasegawa」の名前は「a」で終わるので、ブラジルでは女性の名前と間違われることがあります。

両親の結婚証明書と私の出生証明書の父の名前はブラジルの正式の「Narumi Hasegawa」で記載させていました。そのため、父はサンパウロ総領事館が発行した、この二つの名前は同一の人物を指しているという宣言書を持っていました。しかし、何故こんなことになったのかは一度も話してくれませんでした。

一方、母はブラジル生まれですが、名前は「Mitsuno・ミツノ」だけです。日本の名前ですが、「o」で終わるので間違えられやすく、母はよく男性だと思われました。

両親はふたりとも、名前には一生悩まされていました。結局、日常生活では、父は「João・ジョアォン」、母は「Luiza・ルイザ」と近所で呼ばれていました。

両親のように、本名の他に、ニックネームを付けるケースは少なくありません。父方の叔母の名前はチヨ。ポルトガル語の「tio (伯父)」に聞こえるので、学校でいつもからかわれていました。社会人になると、叔母は「Maria Helena(マリア・ヘレナ」というニックネームを付けて、名刺まで作りました。

また、トシコという同僚の名前は、発音の仕方でポルトガル語の「麻薬」に聞こえるので、生徒の間では「Professora Teresa・テレザ先生」と呼ばれていました。

小説「Sonhos Bloqueados」1991年6月出版。

「日本の名前はブラジル人には発音しにくいし、複雑な気持ちにさせる」という自身の経験より、父はもともと私に日本の名前を付ける気はなかったようです。なるべく読みやすく、呼びやすいブラジルの名前を選んでくれたのだと思います。

もう一つは、日本に滞在したとき、何度か「うららさん」と呼ばれました。最初、誰かのスペルミスかと思いましたが、「うらら」は日本にある名前だと知って、とても嬉しかったです。

私は1991年に最初の小説を世に出しました。その時に、ペンネームを作る良いチャンスだと思い、とてもワクワクしながら次の名前を作りました。

Laura(父が選んだラテン系の名前) Honda (母の苗字)- Hasegawa(父の苗字)。重要な点は、Hondaと Hasegawaをつなぐハイフンです。これは1人の人物を示すものにしたい思いで付けました。

つまり、執筆活動のお陰で、気に入っていた自分の名前がもっと良くなり、大変 うれしいです。

イビウーナ市でのサイン会への案内、1991年12月

 2024年10月25日は私のFTSA(南アメリカ神学大学)の卒業式でした。パンデミックのさ中によく強学を最後までやり遂げたと、家族も教会の牧師先生たちも友人も、誰もが感動して卒業式に参列してくれました。

そんな式典の中で、最優秀学生の表彰になり、なんと、私の名前が呼ばれたのです。「Laura Hasegawa」と。

思いがけない受賞で、驚きと共にとても嬉しかったです。その後、こんなエピソードがありました。紹介したいと思います。

友人たちが、ネットで私にふさわしいニックネームを付けてくれたのです。

ポルトガル語でこの賞は「láurea acadêmica・学術賞」と言い、私の名前「Laura」と「láurea」の発音が似ていると言うことから、「Laura Laureada」、「Laureaura」、「Láurea Hasegawa」、「Laura Laurealina」、「Laureada」などのニックネームが候補にあがりました。

2日間の投票の結果、私のニックネームは「Láurea Hasegawa」になりました。

皆さんは、どの名前を選ばれますか?

 

* * * * *

このエッセイは、シリーズ「ニッケイ人の名前2」の編集委員による日本語とポルトガル語のお気に入り作品に選ばれました。こちらが編集委員のコメントです。

尾崎英二郎さんのコメント

1900年代初頭、ブラジルに渡った日本人移民たちは、 現地での外国人身分証明に名前を正しく登録してもらえなかった方さえいて、 そんなところから歯がゆく悔しい体験があったり、 思いもしないようなご苦労が幾重にもあったりしたのだろう、 ということが文面から伝わってきます。

「日本の名前は、ブラジル人には発音しにくいし、複雑な気持ちにさせる」という理由から、 著者につけられた名前は、LAURA(ラウラ)。 そのラウラさんが、やがてご両親の苗字を併せて付けたペンネーム ”LAURA HONDA-HASEGAWA”という作家名で小説を世に送り出したという喜び。 なんと誇らしかったことでしょう!

明るい口調で語るエッセイから感じとれる、南米で数々の試練に耐え抜いてきた方々の 力強さに、心から拍手を送りたい気持ちになりました。
 

リアナ・ナカムラさんのコメント

長年にわたり日系文学に貢献してきたラウラ・ハセガワさんのエッセイ「日本の名前を持っていない理由」は、彼女の子供時代の話から始まります。女性的な名前を持っていた父親の話や、名前を登録する際に混乱があったこと、その結果として「クローン」の存在を正当化しなければならなかったことを語ります。一方、彼女の母親も男性的な名前を持っており、それが原因で人種差別や性別に基づく差別を数多く受けました。名前という、単純でありながら複雑な要素を含んだものゆえに、長年にわたり日々彼らを苦しめていたのです。それゆえに彼らが娘のために選んだ名前とは?ラテン名、ラウラでした。

そしてラウラさんは、芸術的・文学的なものに「ホンダ=ハセガワ」という名前を使うことで、「ユニーク」でありたいという切実な願いと、日本人移民の父系社会から母親の姓を取り戻したいという思いを表しています。ラウラさんは自身の歴史を取り戻すだけでなく、今や神学者として新たな名前「ラウレア・ハセガワ」として、革新的な未来を切り開いています。その姿勢はまさに神聖といえるでしょう!

 

© 2024 Laura Honda-Hasegawa

ニマ会によるお気に入り

特別企画「ニッケイ物語」シリーズへの投稿文は、コミュニティによるお気に入り投票の対象作品でした。投票してくださったみなさん、ありがとうございました。

星 27 個
ブラジル ディスカバー・ニッケイ アイデンティティ 名前 ニッケイ物語(シリーズ) ニッケイ人の名前2 (シリーズ)
このシリーズについて

「名前にはどのような意味があるのでしょうか?」このシリーズでは、ニッケイの名前の背景にある意味や由来について考えてみました。

2024年6月から10月までこのテーマに沿ったストーリーを募集した結果、オーストラリア、ブラジル、カナダ、キューバ、日本、メキシコ、ペルー、米国から合計51作品(英語32編、ポルトガル語11編、スペイン語7編、日本語3編)が寄せられ、そのうち1編は複数言語で投稿されました。

編集委員の方々に、これらの投稿作品を読んでいただき、お気に入り作品を選んでもらいました。また、ニマ会コミュニティの方々にも、お気に入り作品に投票をお願いしました。下記がお気に入りに選ばれた作品です。

編集委員によるお気に入り作品

ニマ会によるお気に入り作品

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執筆者について

1947年サンパウロ生まれ。2009年まで教育の分野に携わる。以後、執筆活動に専念。エッセイ、短編小説、小説などを日系人の視点から描く。

子どものころ、母親が話してくれた日本の童話、中学生のころ読んだ「少女クラブ」、小津監督の数々の映画を見て、日本文化への憧れを育んだ。

(2023年5月 更新)

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