ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2023/5/26/ramune/

第29回 3ヵ国語で落語を〜日系・女性落語家 らむ音

元気はつらつ

おちゃめなところも魅力の一つ

英語で落語をきかせるという試みは、数は多くないとはいえ、日本人や外国人によって定着した感があるが、日本語、英語、ポルトガルで落語ができるという噺家、それも女性の噺家は、らむ音(ラムネ)さん(29)だけではないだろうか。

日系ブラジル人・落語家として、最近メディアでもよくとり上げられるようになったらむ音さんは、父親が日系ブラジルの2世で、母親が3世という。

日本名、茂木綾音、ブラジル名はBruna(ブルーナ)というらむ音さんは、師匠のらぶ平の門下に入って6年目、今は横浜を拠点に活動、昨秋前座から「二ツ目」に昇進した。らぶ平の師匠は、昭和の落語界のみならずお笑い演芸の世界で「爆笑王」といわれた初代の林家三平。もじゃもじゃ頭に型破りなパフォーマンスで「どうも、すいませーん」などのギャグで知られた伝説のお笑い芸人だ。

この流れを汲んでいるだけあってか、らむ音さんも、時に高座でサンバのリズムで跳ね上がるなど、そのパフォーマンスは元気はつらつ型破り。屈託のない笑顔と歯切れのいいしゃべりで、観客の視線を引き寄せる。「日系ブラジル」ならではの個性、ともとられることがあるようだが、同じ理由で、実は小さいころから苦労していた。


自分はバカなのか 

父方の祖父が群馬県出身で、1950年代にブラジルのアマゾン熱帯雨林地帯の都市マナウスに移住した。また、父方の祖母は青森県出身で家族でブラジル北部パラー州のトメ・アスに移住した。

一方、母方の曾祖父は沖縄県出身で、1900年ごろにボリビアに移住、母方の曾祖母は熊本県出身でブラジルに渡った。

ルーツをたどればすべて日本に行きつくが、父親の茂木真二さんと母親の春美さんは、ともにブラジルで生まれ、育った。1990年に日本の入管法が改正された後、父親が仕事を求めて日本に移住、その後らむ音さんが生まれた。

横浜市で暮らしていたが家庭での会話はポルトガル語で、ラム音さんも日本語に接する機会がなく、小さいころは言葉に苦労した。両親もその点は同じだった。

「遊ぶときはいいけれど、言葉がわからないからお遊戯やピアノは覚えられないし、勉強もついていけなかった。それが自分の育った環境のせいだとはわからなかったから自分はバカなんだと思っていました。周りも私の見た目が日本人だからバカな子だなって」

悲しい思い出もある。

「幼稚園の時、お弁当を持っていくんですけれど、みんなのお弁当箱は幼稚園で温められているのに私のお弁当箱だけは冷たかった。実は、私のお弁当にはサラダとか果物が入っていて、そういうものは別にしていないと温めてもらえなかったんです。でも、そういう連絡があっても母親は日本語が読めなかったし、私も伝えられなくて……。

このことをあとで知った母親は、かわいそうなことをしたって泣いていたみたいです。この時の先生は、私が日系ブラジル人だということを知っていたんですけれど、あまり親切じゃなかったというかサービス精神がなかった」

しかし、そんならむ音さんの事情を理解してくれた先生もいた。

「小学3年生の時の先生は、家庭への手紙があると、私のところの手紙だけにふりがなをつけてくれました。その先生とはいまでもご飯を食べ行ったりしています」


コンプレックスを笑いに転化

言葉の壁があり、小、中、高とずっと勉強が嫌いになったというらむ音さん。

「周りから冗談半分に、ブラジルに帰れよって言われたり、なんでお前の両親は日本語が変なんだって言われたりもしました。でも、両親がすごいなと思ったのは、小学校の運動会で、友達が父の日本語が変だと言った時、父が『実は私は宇宙人なんだ』って言い返したんです。それで逆に人気者になりしました。私もだから、マイナスのところを、おバカキャラを装ったりして、笑いに変えるようにしてきました。でも、周りの日系の友達のなかには、うまくいかず不良になった人もいました」


デザインから演劇、そして落語へ

進学した武蔵野美術大学ではデザインを学んだが、在学中ロサンゼルスのテレビ番組制作の会社でインターンとして働いていたとき、料理番組に出ることなどがあり、演じることに興味をおぼえた。帰国後、デザインの道を離れ、自分自身を表現する道に進もうと思い舞台女優になった。

しかし、2016年、らぶ平に出会ったことで落語の魅力にはまった。

「演劇などと違って、落語は、座布団一枚あればひとりでなんでも演じられる。それがおもしろそうだって思って。師匠の落語を見て、ひとりで人の心を動かすことができる。すごいなあって」

日本語と日本文化も十分理解していないので不安もあったが、なぜか落語の筋は腑に落ちた。「よし、やってみよう」と、翌年らぶ平に弟子入りした。

もちろん、ブラジルの文化からすると落語の笑いの感覚に戸惑うこともあった。たとえば、日本の笑いの中では、人の頭を叩いた入りすることがあるが、ブラジルではタブーだから、らむ音さんとしては控えたいところだ。

また、日本ではそばをすすって食べるが、ブラジルでは悪いマナーととらえられているので、らむ音さんも家族もすするのは苦手だった。

「でも、落語には『時そば』っていう演目もありますし、これができないとダメなんで、一生懸命練習しました。今ではだれにも負けず早くすすって食べることができます。でも、海外のお客さんに、『時そば』を聞かせる時は、『すすって食べるのは日本の文化です』といった説明を事前にするようにしています」

落語の有名な演目「時そば」を演じるらむ音さん(横浜にぎわい座で)


他人のやらないお笑いを

 ポルトガル語はもともと堪能だが、学生時代に英語をしっかり勉強、コロナ禍の最中には、オンラインでニューヨークの聴衆に向けて、英語で「寿限無(じゅげむ)」を配信した。日本国内でも、日系ブラジル人の子どもたちにポルトガル語と日本語で落語をきかせたり、日本にいる留学生やその先生たちに自分の体験を話したりしてきた。

「武蔵美(武蔵野美術大)に進学を希望した時も、絶対無理だって周りから言われたけれど、やってみなけりゃわからないし、周りからなんて言われても挑戦することは楽しいよって言ってます」

まだまだこれからやりたいことはたくさんあり、目ざす目標もある。

「スカイダイビングをやりながら落語をするとか。実際6月にやる予定です。ストリート落語会もしたいですね。1時間の間に「寿限無、寿限無……」と、何回言うことができるかとか。立っていて突然落語をしちゃうとかもおもしろい。“大師匠”である先代の林家三平のように名前がでるだけで笑いが起きるような人になりたいし、ほかの人がしないようなことで、たくさんの人を笑顔にしたいです」

多文化共生や国際的な活動への取り組みにも熱意を示す。

「私自身言葉に対するコンプレックスがあったし、いろいろな経験もしたので、言葉で困っている子どもたちや海外から来て勉強している人などに、そうした経験を伝え、頑張っている姿をみせることで、元気になってもらえたらいいなとおもいます。らむ音だってできるんだから、みんなもできるって」

予定していたブラジルでの公演が、コロナ禍で行くことができなくなってしまった。ぜひ近いうちにブラジル公演も実現したいという。(敬称一部略)

* * * * *     

YouTube : 落語家らむ音チャンネルRAMUNE 

問い合わせ:オフィスひら(代表・佐々木万里、rakugo.offices.hira@gmail.com

 

© 2023 Ryusuke Kawai

このシリーズについて

日系ってなんだろう。日系にかかわる人物、歴史、書物、映画、音楽など「日系」をめぐるさまざまな話題を、「No-No Boy」の翻訳を手がけたノンフィクションライターの川井龍介が自らの日系とのかかわりを中心にとりあげる。

 

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執筆者について

ジャーナリスト、ノンフィクションライター。神奈川県出身。慶応大学法学部卒、毎日新聞記者を経て独立。著書に「大和コロニー フロリダに『日本』を残した男たち」(旬報社)などがある。日系アメリカ文学の金字塔「ノーノー・ボーイ」(同)を翻訳。「大和コロニー」の英語版「Yamato Colony」は、「the 2021 Harry T. and Harriette V. Moore Award for the best book on ethnic groups or social issues from the Florida Historical Society.」を受賞。

(2021年11月 更新)

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