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弁護士・吉田美由樹さん ー 日本生まれアメリカ育ち、両国の架け橋でありたい ーその1

弁護士・吉田美由樹さん ー 日本生まれアメリカ育ち、両国の架け橋でありたい ーその1
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移民法専門弁護士である傍ら、日本酒ソムリエとして活動、さらにはコロンビア・リバー・ゴージで温泉リゾート施設を営む家族のサポートと、さまざまな顔を持つ吉田美由樹さん。精力的に日々を送る、そのエネルギーの源は何でしょうか。バイリンガルとしてのアイデンティティーを模索しながら育った日系1世の思いについても語ってもらいました。

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アメリカ移住は父親の長年の夢

「父の『アメリカン・ドリーム』だったんです」。美由樹さんは移住のきっかけを、そう表現する。

横浜で歯科技工の会社を経営する両親の元に生まれた。アメリカでの生活を夢見た父親と共に家族でやって来たのは、物心つく前のことだ。シカゴ、ロサンゼルス、グアムでの生活を経験し、オレゴン州ポートランドに移住したのは小学3年生の時。ポートランド日本人学校に通い、グリーンカードも取得した。大学は市内のリード・カレッジに進学し、心理学を専攻したが、初めての就職先となったのは意外にも東京の法律事務所だった。

1969年初めてのアメリカ生活がイリノイ州シカゴでスタート。1月横浜港から船に乗りハワイで入国を済ませ、2週間でサンフランシスコ湾に到着した父親はスーツでビシッと。

「大学を卒業した夏、慶應大学の国際センターで日本語を勉強していたのですが、たまたま新聞広告でバイリンガルのパラリーガルを募集しているのを見て。ちょうど大学4年生で心理学にフォーカスした法律のクラスを取っていたので、法律も面白いなと思っていたんです。それで一生懸命、日本語で履歴書を書きました」

ネイティブの英語を使う仕事と言えば英会話講師くらいだった当時、こんな偶然から東京の大手法律事務所で働き始めることに。バブル真っただ中で日本の銀行が海外の銀行に貸し付けるといった事例も多く、ニューヨークやロンドンなど世界を股にかけてコミュニケーションが取れるバイリンガル・パラリーガルは重宝された。そしてこれが、法の道へ進む契機ともなった。

日本でのパラリーガル時代に秘書と。当時10歳年上の弁護士と付き合っていましたが、弁護士と結婚しなくても自分が弁護士になれると思い婚約解消、そうして現在に至ります。


日本人から日系アメリカ人へ

アメリカに戻り、ロースクールを目指すことを決心した美由樹さんだったが、その道のりは平坦ではなかった。「何度か挑戦したんですが、なかなかうまくいかなかったんです。日本でしばらく生活していたことが逆にあだとなってしまって……。これはまた英語を学ぶ必要があるなと感じました」

コロンビア大学に通っていた兄の影響で、かねてから憧れがあったニューヨークへ。

ニューヨークのコロンビア大学に通う兄の直樹さんを家族で訪ねて、1980年代。

同大学院で東アジアの文化や歴史を学びながら、ロースクールへの挑戦を続けた。だが、そのことは大学院に在籍する2年間、誰にも言わなかったそう。「シークレット・ミッションでした(笑)。もし入れなかったら、そのまま日本の研究を続けて、裏千家の茶の湯について博士論文なんか書いていたかもしれません」。

1994年5月、コロンビア大学大学院で東アジア学(East Asian Studies)を修了。在学中には日本文化研究の第一人者ドナルドキーン氏の文化センターにてバイリンガルプログラムのアシスタントを務める。

同じ頃、人生の大きな決断もしていた。「大学院の卒業式の翌日、アメリカ人になったんです。ロースクールに進んだら、将来はアメリカの政府で働いてみたいと思っていたので、そのためには市民権があったほうが良いだろうと」

やがて美由樹さんはシアトル大学で念願のロースクール進学を果たすが、ここでも持ち前の探究心を発揮する。「ワシントン大学に日本の法律を専門とする先生が2、3人いると聞いて、バイリンガルとして国際的な仕事をするためにも、ぜひ勉強したいと思いました」。

シアトル大学ロースクールの学部長に相談して許可をもらい、日本法の面白そうな授業を片っ端から受講。「でも、たくさん取り過ぎちゃったみたいで、あとから学長に怒られたんですよ! その後、私のせいで授業はひとつしか取れないルールができたみたいです」

1997年5月、シアトル大学法科大学院ロースクールを卒業、父母と共に。学ぶことが楽しくて仕方がなかった。

さらに、父親の勧めでワシントン大学の1年間の法学修士課程に進んだ後、移民法に的を絞り就活。「女性として、日本からの移民として、マイノリティーの自分の立場を生かすには、どうしたら良いかを改めて考えました。そうなるとやはり、移民法を専門にすべきだと気が付いたんです」

ワシントン州司法長官事務所の独占禁止法部門で、ロークラークとして2年半働いた法学部1年目の夏。6人いた学生クラークの中では唯一の女性であり1年生だった。

見事、ニューヨーク市内マンハッタンにある、当時世界でトップに立つ移民法法律事務所に採用が決まった。こうして数年を超多忙な弁護士として過ごし、ニューヨークをあとにしたのは、9.11の同時多発テロ2カ月前のこと。

それから、シアトルの大手法律事務所2カ所を経て、2006年、レドモンドとカークランドに個人事務所をオープン。2008年には家族のそばで暮らしたいと、故郷のポートランドに戻った。現在は同地で個人事務所の代表を務めている。

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吉田美由樹法律事務所 (Law Offices of Miyuki Yoshida)

移民法や家族法、人事・雇用などに関連した手続きを一手に請け負う。ビザ申請手続きや管理のほか、米国商標登録出願、国際不動産計画もサポート。また、バイリンガル公証人として日本語書類の審査も行う。

515 NW. Saltzman Rd., PMB 896, Portland, OR 97229
Tel: 503-941-9766(オレゴン)・ 206-697-8584(ワシントン)
myoshidaLaw@gmail.com

 

*本稿はシアトルの生活情報誌「Soy Source」(2023年3月9日)からの転載です。

 

© 2023 Hitomi Kato / Soy Source

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