ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2023/3/20/9513/

「バッチャン」は人気の言葉

ロンドリーナのおばあちゃんの一家、1944年(右から4人目がバッチャン、1人目が母)

わたしがまだ小さい頃、「ラウラのおばあちゃんは遠くに住んでいるのよ」と、母は写真を見せてくれながら、おばあちゃんのことを話してくれました。そして、12歳のとき、初めておばあちゃんの家を訪ねました。

祖父母、独身の叔父4人、おばあちゃんが預かっていた孫娘2人、同じ敷地に家を建てて暮らしていた叔父夫婦と5人の子ども、つまり、いとこだけでも7人も居ました。

サンパウロから10時間以上かけて、ようやく母と私が着くと、玄関で待っていたおばあちゃんが私の方に駆け寄って来て、強く抱きしめてくれました。「ラウラ!!」と、涙ぐんで言いました。私は緊張と感動と驚きのあまり、「おばあちゃん!!」と叫びました。

その瞬間、周りに集まっていたいとこたちがゲラゲラと笑い出しました。「もう遅いから寝なさい」と、大人たちに言われ、皆、家に入って行きました。

翌日、食卓を囲むいとこたちが、「バッチャン、バッチャン」と呼び、おばあちゃんに、もっとパンが欲しいとか牛乳は嫌いだとか言っているのを聞き、昨夜、私がどうして笑われたのかが、分かりました。

60年前のエピソードですが、、当時の日系人が家庭では「バッチャン」と呼ぶのが普通で、私は知らなかったのです。

当時、非日系人が使う日本語の言葉は、「アリガトウ」と「サヨナラ」ぐらいでした。子どものころ、ブラジル人はこの二つの言葉の発音を真似して、ふざけていたのを思い出します。

しかし、最近は日本人の存在と活躍がブラジル社会で認められるにつれ、今では、多くの非日系人が、自然に日本語の単語を日常会話に取り入れています。非日系人が使う言葉の中でも「バッチャン」は人気の言葉で、もし、日本語ランキングがあるとしたら、きっと1位になると思います。日本語を知らない日系四世や五世でも「バッチャン」は知っています。そして、会話の中で使いこなしています。

子どもに限らず、大人でもおばあさんを「バッチャン」と呼んでいます。そして、面白いことに、呼びかけの形でなく、名詞としても使われています。例えば、「A minha Batchan(私のバッチャン)」とよく聞きます。

「バッチャン」は親しみを表す言葉として使われるときもあります。先日、スーパーのレジのブラッド・ピット似の若者は「Obrigado, Batchan(ありがとう、バッチャン)」と、買い物袋を渡してくれました。心温まる挨拶でした。

一方、朝市の混みあったテントの中で、私と同じ位の年齢の日系人女性が「バッチャン」と私の肩をたたいて、割り込もうとしました。そのときは、さすがに良い気分になれませんでした。

そして、このスピード時代の中、「バッチャン」は、ついに省略されました。友人の初孫ラフィーニャは「バァ」が大好きで、「バァ」が遊びに来ると、目を細めて「バァ」を迎えます。

「バァ」・・・とても愛おしい言葉ですね。

友人アメーリアの初孫ラフィーニャ

 

© 2023 Laura Honda-Hasegawa

ブラジル 日本語 言語 ポルトガル語 語彙
このシリーズについて

小さいころ、わたしは日本語とポルトガル語を混ぜて話していました。小学校に入ると、自然に日本語とポルトガル語を区別するようになり、ポルトガル語で文書を書くのが楽しみになりました。60年後の今は、ポルトガル語と日本語の両方で書くのが一番の楽しみとなっています。このシリーズを通して、いろいろなテーマの話をお届けできればと思います。朝のさわやかな挨拶のように、皆さんに届きますように。

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執筆者について

1947年サンパウロ生まれ。2009年まで教育の分野に携わる。以後、執筆活動に専念。エッセイ、短編小説、小説などを日系人の視点から描く。

子どものころ、母親が話してくれた日本の童話、中学生のころ読んだ「少女クラブ」、小津監督の数々の映画を見て、日本文化への憧れを育んだ。

(2023年5月 更新)

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