ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2022/7/11/umeshu/

梅酒:過去と現在を味わう

毎年、夏になると私は「それ」を求めに地元の日系スーパーに車で出掛けます。それは小さくて緑色をした、旬の時期が一年で数週間しかない「梅」です。スーパーの自動ドアが開いて冷たい空気が勢いよく通り抜けると、私は期待半分、緊張半分の気持ちで野菜売り場へと直行します。梅が店頭に並んでいるかどうかは実際に売り場に行ってみるまで分からないし、もしかしたら数日、もしくは1週間タイミングを逃してしまっているかもしれないからです。梅を買うミッションはときどき失敗に終わり、出直すこともあります。でも段ボールに山積みになった梅を見つけた瞬間、言うまでもなく私の胸は高鳴ります。誰よりも早く売り場にたどり着けば、それだけ良い梅を選ぶことができるからです。梅は店頭に並んでから日持ちがしないので、良い状態の梅を選ぶことはとても重要なことなのです。自分でもいつも少し笑ってしまうのですが、梅を選ぶ時、私はまるでオウムのように右に左に梅を選り分けます。そして硬くて傷のない梅はビニール袋に、傷や柔らかい部分があったりシワが寄ったりしている梅はすぐさま戻していきます。

そうしていると当然のことながら、いつも誰かが寄ってきて何をしているのかと尋ねてきます。「酸っぱいんですか?」「どうやって食べるんですか?」

梅がどういうものか説明するのは難しく、私はいつも答えに困ります。単純に、漬け物になると答える時もあれば、お酒になると答える時もあります。でも実際はその中間くらいです。梅はさまざまな用途に使われますが、私が梅を買う目的は梅酒です。我が家では梅酒作りが毎年恒例の夏の行事になっています。

梅酒は甘くてフルーティな日本のお酒で、英語ではよく「プラムワイン」と表示されますが、梅をアルコールに漬け込んで作るので、より正確に言うと発酵酒ではなくリキュールになります。(そしてプラムも、厳密に言うとむしろ杏子に近いものです。)

現在、我が家の梅酒作りが恒例の行事になっているのは、代々受け継がれてきた古いレシピがあったからではありません。お店で購入して気に入った梅酒を、自分たちで再現しようと試みたことから始まりました。その時は斬新なアイデアだと思いましたが、家族の昔の頃を深く思い返してみると、私がよく見ていなかっただけで、実はこの習慣は昔からあったことに気が付きました。

梅を洗い、節のような茶色いヘタを取り、氷砂糖と一緒に瓶に入れ、それからお酒を注ぎます。このように実際に梅酒を作る作業をしていると、長い間忘れていた祖母との思い出が蘇ってきました。トレードマークのムームーを着てキッチンに立ち、友人からもらったビニール袋いっぱいの緑色の梅を洗っている祖母の姿です。

当時はまだ子供だったので、その後どうするかを見ようと思ったことは一度もなかったのですが、作り終わった後、キッチンの隅に、再利用したお酢のプラスチック容器がいくつか置かれていたのは覚えています。その白くて半透明な容器を横から覗くと、中には無数の緑色の丸い物が液体の中に浮かんでいたのを覚えています。今となっては、その緑色の物が梅で液体はお酒だったことが分かりました。

祖父の忘れた梅酒

祖母が亡くなってから何年かして、私たちは祖母のキッチンにある埃っぽい木製の食品棚の掃除をしました。そして我が家の梅酒作りの名残を発見したのです。それは祖母が亡くなるずっと昔のものでした。

ガラスの瓶に入った梅酒で、色褪せた白いマスキングテープには油性ペンで日付が書いてあり、作られてから30年以上も経っていることが分かりました。そのとき母は、祖父が昔よく梅酒を作って戸棚に保管していたことを思い出しました。今ではその梅酒は、飲むのに適したものと比べると黒く、どろどろとしたものになってしまいましたが、我が家の梅酒作りの名残に違いありません。

私の家族と梅酒との繋がりは、遠く日本までさかのぼります。私たち家族のルーツは、日本の「フルーツ王国」として知られ、特に梅の産地としても有名な和歌山県にあります。おそらく梅酒に関する知識は、私の曽祖母が遠く海を越えて南カリフォルニアへやって来た時に伝わり、次第に祖母のキッチンでお酢の容器を再利用した作り方へと形を変えたのでしょう。もしくは単純に、サークルの友人や知り合いの誰かから作り方を教わったのかもしれません。

我が家の庭で花を咲かせる梅の木

しかし、その梅酒作りのノウハウは祖父母の代から私の代までの間で失われてしまいました。今の我が家の作り方は、レシピ本やインターネットから集めた新しいノウハウに基づいて、何年もかけて自分たちの味になるように調整してきたレシピです。7年前、一つの瓶から始めた私たちの「実験」は、今では砂糖の細かな量や漬けるお酒の銘柄まで好みのものに洗練されて、私たち家族にとって毎年待ち遠しい行事になりました。今では小さな梅の木を庭で育てているほどです。いつかたくさんの梅を実らせ、その実で梅酒が作れたらと願っています。

多くの点で、梅酒は伝統を伝えるのにぴったりな道具です。梅酒を作る作業は毎年ありますし、その性質上、飲めるようになるまでに最低で1年、より一層美味しくするためには2年待つ必要があるからです。それで終わりではありません。その苦労が報われて梅酒を飲むためには、1年後、自分が梅酒を作っておいたということをちゃんと思い出す必要があるのです。私たち家族が今作っている梅酒のレシピは現代のノウハウだけに基づいたものですが、そのルーツは世代を超えて続いているということを知るのはとても意義がありますし、毎年こうして梅酒を作ることによって、この伝統は生き続けているのだと思います。

1年経った飲み頃の梅酒(右)と漬けたばかりの梅酒(左)

 

© 2022 Cody Uyeda

梅酒 梅酒(plum wines) 酒類 伝統
このシリーズについて

第11回ニッケイ物語「いただきます3! ニッケイの食と家族、そしてコミュニティ」では、食がどのようにニッケイコミュニティをつなぐ役割をはたしているのか、代々受け継がれてきたニッケイのレシピにはどのようなものがあるのか、好きな和食やニッケイ料理は何なのかといった、いくつかのトピックについて考えてもらいました。

ディスカバー・ニッケイでは、2022年5月から9月にかけ、ニッケイ食に関するストーリーを募集し、10月31日までお気に入り作品に投票していただきました。全15作品(日本語:1、英語:8、スペイン語:6、ポルトガル語:1)が、ブラジル、カナダ、ペルー、米国から寄せられました。うち一つは、多言語による作品でした。

編集委員の方々に、これらの投稿作品を読んでいただき、お気に入り作品を選んでもらいました。また、ニマ会コミュニティの方々にも、お気に入り作品に投票をお願いしました。下記がお気に入りに選ばれた作品です。

編集委員によるお気に入り作品

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執筆者について

コーディ・ウエダは、南カリフォルニア在住の日系アメリカ人4世。南カリフォルニア大学で文学士号と法務博士を取得、ハーバード教育学大学院で教育学修士を取得し、現在は教育研究の分野やアジア系アメリカ人の非営利団体で働いている。

(2022年12月 更新)

 

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