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慰霊帳、金継ぎ、そしてカルマの転換:プロジェクト創設者ダンカン隆賢ウィリアムズ氏との対談

写真撮影:クリステン・ムラコシ

第二次世界大戦中に75か所におよぶ強制収容所に収容された12万5284名の日系人の名前を記録した一冊の聖典「慰霊帳」は、素晴らしい制作チームによる独創的な着想と入念なリサーチによって創りあげられました。南カリフォルニア大学の伊藤真聰日本宗教・文化研究センター所長のダンカン隆賢ウイリアムズと、カヤ・プレス出版社のスンヨン・リーの主導のもとまとめられたこの聖典は、日本という国の根底をなす精神的な要素を備えた、生ける記念碑ともいえます。

強制収容所における仏教について取り上げた独創的な著書『American Sutra』の中で、著者であるウィリアムズは、1943年にマンザナーに建てられ特有のランドマークとして今も現存している「慰霊塔」の文字を手掛けた僧侶の永富信常を取り上げています。永富氏の娘によると、永富氏は「文字が紙の上から踊り出すように見えるまで」何時間もその慰霊塔の文字を練習していたそうです。強制収容所で亡くなった人々へ永遠なる思いを馳せる場所となるコンクリートの慰霊碑に刻まれる文字は、生き生きとしたものでなければならないと、永富開教使は知っていたのです。

永富氏の息子は、ハーバード大学で仏教学を学んだウィリアムズの恩師でもありました。そんな永富氏に影響を受けたウィリアムズは、死者に敬意を払う「紙から踊り出す」ような漢字のうち同じ2文字を使って、これまでとは違う記念碑を作りたいと考えました。それが、コンクリートではなく重さ約11キロもある本「慰霊帳」で、慰霊塔と同じように愛情を持って受け入れられました。慰霊帳は、亡くなった先祖を敬うためにその情報を記録した過去帳や、また先祖を讃えるための行事であるお盆を想起させます。

慰霊帳の制作にあたり、チームの深い敬意は、本のデザインや綴じ、文字のフォントや紙の種類といった多くの要素に表れています。ウィリアムズは慰霊帳について、次のように話してくれました。「通常の聖典よりもかなり大きく、寸法はグーテンベルク聖書ほどもあります。1000ページを超えるものなので、特に綴じの部分は、何千回とページをめくるのに耐えられる品質でなければなりませんから、細心の注意を払って制作に取り組みました。美しくて敬意に満ちた聖典にしたかったのです」。

それを実現するため、慰霊帳の表紙には、漢字が金で箔押しされており、それぞれの名前は、血筋を象徴する赤い繊細なシンボルで区切られ、本の綴じ部分をまたぐように配置されました。単に電話帳の名簿のようにはならないよう工夫を施したそうです。「名前を読むときに綴じ目の部分をまたぐように読んでもらいたかったのです。右側のページ、左側のページ、という風ではなく。そしてそれがデザインで最も大変な部分の1つでもありました」と、ウィリアムズは話してくれました。

さらに別の課題もありました。それは名前をどの順番で記載するかです。最終的に、収容時の年齢順に、最高齢は92歳の女性に始まり、最年少は終戦間際に生まれた赤ちゃんという順番で記載しました。

この慰霊帳は、日本の伝統技術である金継ぎの精神も取り入れられています。金継ぎとは、割れてしまった陶磁器を金を使って繋ぎ合わせて修復する技術で、欠陥を受け入れつつさらに美しく生まれ変わらせる技法です。慰霊帳も金継ぎと同じく、政府により強制収容され傷付いた12万5284名の人々に思いを馳せることによって歴史を修正するということを体現しています。

慰霊帳は一般公開されており、それぞれの名前を確認した証としてはんこを押したり、間違いを訂正することで、今なお歴史的記録を修正し続けています。聖典に物理的変化を加えるこの行為は、万物は常に変化しているという仏教の教えにもあるように、それが非永久的であることを強く表しています。ウィリアムズはこう言います。「このプロジェクトの目標の一つが、記念碑というものに対する価値観を変えることでした。記念碑の価値はその永続性で測ることはできません」。

スンヨン・リーとダンカン隆賢ウィリアムズ。写真撮影:クリステン・ムラコシ

同様に、制作を主導したリーは、記念碑は敬意に値するものであることを表すため、75か所にわたるそれぞれの強制収容所から慎重に土を採取し、本そのものに組み込むということにこだわりました。すべてのものを生み出す元になる五つの自然界の要素(土、水、火、金、木)を反映させようと、複雑かつ慎重にデザインされた巻頭と巻末の口絵には、陶磁器におさめられた土を組み込むことで、5元素の「土」と「火」を表現しました。また、漢字3文字を金で刻印することで「金」を表し、名前に押す印の青いインクは「水」を、紙でできた聖典本体は「木」を象徴しています。

慰霊帳には強制収容された日系アメリカ人に対する敬意が惜しみなく払われています。しかし、驚くべきことに慰霊帳の制作者である日本生まれのウィリアムズと韓国系アメリカ人のリーは、どちらも強制収容の歴史に個人的な繋がりはありません。事実、ウィリアムズはアメリカに35年暮らしたのち、2年前にアメリカ市民となりました。皮肉にもその日はアメリカの奴隷解放を記念するジューンティーンスの祝日でした。市役所の外で抗議の人々が声を上げる中、ウィリアムズはアメリカ市民となったことで、国が抱える集団的なカルマ(因果応報)を突然背負うことになったことを悟りました。それは「世代を超えて広がっている根深い人種的なトラウマ」であり、日系アメリカ人のみならず共通の苦難の歴史を通じ繋がっている他の人種グループにまで広がっています。

ウィリアムズは、慰霊帳プロジェクトを進め、共通の言語や歴史を通して繋がった人々に敬意を表すことで、ネガティブなものを受け止め、それを修正したいと思いました。それは新しくアメリカ市民となったことを強く意識した行動で、その行動によって良い循環が生まれることも期待していました。ウィリアムズはこう話します。「私にも何か貢献できることがあるかもしれないし、行動すれば他の人も加わってくれると思うのです」。

そして言うまでもなく、多くの人がウィリアムズの後に続きました。12人程の中心メンバーから始まり、やがて多くのボランティアが加わり、数え切れないほどの仲間や協力者たちが土のサンプルを集めました。全米日系人博物館で行われた慰霊帳の設置を知らせるイベントの日、僧侶や地域の人々200人あまりが行進に参加し、また何千人もの人々が慰霊帳に印を付けるため長い列に並びました。

全米日系人博物館にて聖職者たちと行進後、慰霊帳を公開するダンカン隆賢ウィリアムズ師。写真撮影:クリステン・ムラコシ

慰霊プロジェクトはまだ始まったばかりで、残る2つの記念碑プロジェクトが進行中です。その1つは、一覧から名前を検索できるウェブサイト(慰霊蔵)で、もう1つは各地に設置予定の名前の一覧が書かれた光の彫刻(慰霊碑)の制作です。慰霊帳と同じく、これらの記念碑もこの国の人種的カルマを偲び修復できるように、革新的かつ変わり続けるものになるよう検討されています。

12万5284名もの名前を探し出して確認していくといった膨大な作業をはじめ、慰霊帳の制作に費やしてきたこれまでの年月を考えると、ウィリアムズとリーが目の前に横たわっている途方もない量の仕事をどうやって乗り切っていくのかを、私は考えずにはいられません。ウィリアムズは、僧侶の指導者から戒められたある言葉を今でも覚えているそうです。「僧侶になったら、もう休日というものはないのですよ」。そして意味ありげに微笑んでこう続けました。「だから一日一日を休日のように過ごさなければならないのです」。

仏教学者であるウィリアムズは、僧侶となって30年以上が経ちますが、毎日を人生で最も神聖で最も大切な日として過ごさなければならないという悟りに辿り着きました。とはいえ休む日がないのですから、毎日を休暇のように楽しく過ごすことも必要なのです。

いつ終わるかわからないプロジェクトですが、ウィリアムズが頑張ってこれたのは「こうすべきなのかもしれない」となんとなく感じた自分を信じてきたからでした。ウィリアムズはこれこそ自分達がやるべき事だと信じています。そして強制収容されていた人々やその子孫、また協力者に至るまで、これまでプロジェクトに携わってきた人々が流した嬉し涙は、慰霊帳の制作チームの活動が間違いなく正しいということを証明してくれました。プロジェクトが生み出すこのエネルギーは、それ自体が記念碑となり、全てを良い方向へと推し進めてくれるカルマのエネルギーとなるのです。

* * * * * 

慰霊: 第二次世界大戦中の日系人強制収容の全米記念碑を公開

2022年9月24日、全米日系人博物館は慰霊帳を公開のイベントを開催しました。慰霊帳とは、第二次世界大戦中にアメリカ軍や司法省、および戦時転住局の強制収容所に不当に収容された125,000人以上におよぶ日系人の名前を記録した聖典です。

慰霊帳は一般に公開されていて、第二次世界大戦中に強制収容された人々に思いを寄せてもらえるよう、名前を閲覧し、特別なはんこを使ってそれぞれの名前に印を残すことができます。誤字脱字の訂正や、記録から漏れていた名前が明らかになるなど、人々の参加によって慰霊帳は「活性化」され、歴史的記録は修正されていきます。慰霊帳は2023年9月24日まで公開される予定。要予約。(アップデート:慰霊帳は、2024年12月まで延長することになりました)

詳細およびご予約はこちらをご確認ください。

 

© 2022 Sharon Yamato

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このシリーズについて

このシリーズでは、「慰霊:第二次世界大戦中の日系人強制収容の全米記念碑」プロジェクトの一環として、全米75か所におよぶ強制収容所に収容された12万人を超える日系人の名前を記録した3部からなる記念碑の一つである聖典「慰霊帳」を取り上げます。またこのシリーズでは、強制収容に直接繋がりのある方々へのインタビューを通して彼らに敬意を表すとともに、このプロジェクトが彼らの人生に与えた影響について考察していきます。

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執筆者について

シャーロン・ヤマトは、ロサンゼルスにて活躍中のライター兼映像作家。日系人の強制収容をテーマとした自身の著書、『Out of Infamy』、『A Flicker in Eternity』、『Moving Walls』の映画化に際し、プローデューサー及び監督を務める。受賞歴を持つバーチャルリアリティプロジェクト「A Life in Pieces」では、クリエイティブコンサルタントを務めた。現在は、弁護士・公民権運動の指導者として知られる、ウェイン・M・コリンズのドキュメンタリー制作に携わっている。ライターとしても、全米日系人博物館の創設者であるブルース・T・カジ氏の自伝『Jive Bomber: A Sentimental Journey』をカジ氏と共著、また『ロサンゼルス・タイムズ』にて記事の執筆を行うなど、活動は多岐に渡る。現在は、『羅府新報』にてコラムを執筆。さらに、全米日系人博物館、Go For Broke National Education Center(Go For Broke国立教育センター)にてコンサルタントを務めた経歴を持つほか、シアトルの非営利団体であるDensho(伝承)にて、口述歴史のインタビューにも従事してきた。UCLAにて英語の学士号及び修士号を取得している。

(2023年3月 更新)

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