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『Tokyo Rose』~ハリウッドの伝説の映画が生まれるまで~

第二次世界大戦の後期、ハリウッドの映画会社は、ケイリー・グランド出演の『Destination Tokyo』(原題、1943年)、スペンサー・トレーシー出演の『東京上空三十秒』(1944年)、ジェームズ・ギャグニー出演の『東京スパイ大作戦』(1945年)といった日本に関わる戦争映画を数多く製作した。こうした映画の多くは、プロパガンダ映画として軽視され、映画史からほぼ忘れられた。しかし、そうした粗製乱造映画の一つである1946年の『Tokyo Rose』(原題)は、日系アメリカ人の歴史的観点からみる重要性がある。

太平洋戦争が終わる1945年の夏、後に『Tokyo Rose』という映画へと実を結ぶ企画の種がまかれた。共同プロデューサーのウィリアム・H・パインとウィリアム・C・トーマスは、音楽とプロパガンダを日本側について放送した伝説の日系アメリカ人女性、東京ローズという人物を元にしたエクスプロイテーション映画を作ることを決め、テーマに沿った企画をパラマウント・ピクチャーズに売り込んだ。企画は承認され、B級映画を量産していたルー・ランダースが監督することになった。

『ソルトレイク・テレグラム』1946年1月29日・第9面

おそらく予算の関係で、プロデューサーは、名前のある俳優を起用しなかったのだろう。男性の主役には、無名の新人俳優バイロン・バーが選ばれた。映画の題名ともなる東京ローズ役を演じる女優を広範囲で探したプロデューサーはは、1945年8月、ロータス・ロングを選んだことを発表した。(ロータス・ロング記事参照)複数の人種をルーツに持つ日系二世女優のロータス・ロングは、戦前期にアジア系と先住民の役を演じていたが、太平洋戦争の勃発以降は映画に出演していなかった。

日本が最終的に降伏した直後の1945年の秋、『Tokyo Rose』の制作が始まると、すぐに多くのメディアから注目を浴びた。映画で描く東京ローズの運命を、現実よりもより過酷にしろという声があがった。映画の公開前からすでに、ロータス・ロングは、兵士の家族から憎しみの手紙を山ほど受け取り、近隣の子供たちからは、罵りの言葉を投げつけられた、と映画会社の記録に残っている。

『Tokyo Rose』は1946年に一般公開された。映画のタイトルになっているにも関わらず、東京ローズは、登場人物としてはあまり重要ではなかった。声は聞こえてくるものの、その姿は最終盤のわずかな間に見えるだけだった。それどころか、話の筋は東京近郊の戦争捕虜収容所に抑留されたシャーマンという名のアメリカ兵を中心に展開していく。

シャーマンは東京ローズへの憎しみをつのらせていた。ローズがその甘い声で放送した、祖国にいる恋人の浮気のデマが、戦友ジョー・ブリッジャー(演じたのは、その後ハリウッドで監督となるブレイク・エドワーズ)を絶望させ、太平洋の密林の中での自死に追いやる。シャーマンと捕虜の一団は、情宣機関の鈴木大佐(演じたのは戦時中、日本人の悪役でキャリアを築いた中国系アメリカ人のリチャード・ルー)の命令で、ラジオ東京に連行される。鈴木は捕虜を拷問にかけ、アメリカに向けた日本のプロパガンダ放送への出演を強要する。鈴木はその番組の収録に、中立国の新聞記者の一陣を招くが、記者たちはその意図を怪しむ。日本人(あるいは日系アメリカ人?)のラジオ局員(演じたのはケイ・ルークの弟エドウィン・ルーク)は、東京ローズを番組の司会者として紹介するが、彼女の姿は見えないままである。収容所での待遇についてアメリカ兵にインタビューする東京ローズの声は、体は見えないままに、スピーカーから聞こえてくる。

放送は、アメリカの戦闘機によるラジオ局への爆撃により中断される。シャーマンは爆撃により負傷するが、爆撃後の混乱に乗じて逃亡する。死亡したスウェーデン人記者の服と身分証を奪ったあと、シャーマンは、その記者の家にたどり着く。そこでシャーマンは、アイルランドの新聞社記者のティモシー・オブライエンに出会う。オブライエンは、シャーマンに日本の地下組織との渡りをつける。

シャーマンは、組織の秘密の洞窟にある本部へと向かい、そこで日本からの重要機密情報を入手しようとするスパイのグループと出会う。これらのスパイを演じるのは、中国系の俳優である。(中でも特筆すべきは、1930年代のプロレタリア小説家のシー・ツェンチャンの姿があることだ。)本作中では、このスパイたちの出身地は明らかにされないが、その多くが中国系の名前になっており、中国語で話しているように見える。(シャーマンが本部を出ようとする時、スパイたちは「チーライ《起立》」と叫ぶ)

例外は、カリフォルニア出身の日系二世のチャーリー・オオタニ(演じるのは中国系アメリカ人のケイ・ルーク)である。オオタニは日本に来た経緯を話すことを拒むが、音楽を聞くと「昨夜はアメリカにいた。(ロサンゼルスの)パラディアムに踊りに出かけた」と歌ったことで、アメリカ人であることを明かす。オオタニはシャーマンに「ある場所にアメリカの潜水艦が救出にくる」と伝えるが、オオタニ自身は「まだ仕事が残っている」と言い、東京に残る。

シャーマンは、日本から脱出したいのはやまやまだが、先に東京ローズを殺したい、と言う。オオタニは賛同し、シャーマンを手伝う。シャーマンは再びスウェーデン記者に扮し、二人は東京ローズをインタビューしに来たと偽って、ラジオ東京に潜入する。東京ローズが番組を収録している間に、二人はスタジオへ入り、東京ローズを誘拐し、ラジオ局から連れ去る。二人は鈴木大佐と武装した日本軍の一団に追跡されるが、シャーマンは手りゅう弾で追手の全員を片付ける。

二人は密会場所へと向かい、そこで会ったオブライエンから広島への原爆投下と、ロシアが日本に対する戦争への参加を決めたという情報を聞く。シャーマンとオブライエンは、チャーリー・オオタニに別れを告げ、アメリカの潜水艦に乗ろうと出発する。おそらく、東京ローズも人質として連れていかれたと思われる。(ロータス・ロングによると、当初の脚本では、東京ローズは死ぬことになっていたが、その後、プロデューサーがあいまいな結末にすることに決めたという)

『アイロンウッド・デイリー・グローブ』1946年5月21日・ 第4面

『Tokyo Rose』は1946年2月に先行公開され、その後、同年春に一般公開された。映画の宣伝広告は謳う。「アメリカで訓練を受けた声で、アメリカ兵の心を撃ち抜いたアナウンサー、東京ローズの衝撃的な記録。見よ、アメリカ兵の精神を拷問したこの売国奴の狡猾で巧みなやり口を!」 

本作は興行的に成功したが、評論家からの批評はさまざまであった。ハリウッド・レポーターは本作を「誰も死なない」アクション満載の「時流に合ったメロドラマ」と呼んだ。別の雑誌の評論家は、物語のテンポ感は良いが、かなり「こじつけが過ぎる」とし、戦時中に公開されなかったことを悔やんでいる。ボルチモア・サンの記者ドナルド・カークリーは本作を「まれに見るばかばかしさ」と呼び、「前の世界大戦期にいやというほど上映された、幼稚なメロドラマの良い見本」と解説した。

おもしろいことに、日系アメリカ人をスパイや破壊工作員として描いた戦時中のプロパガンダ映画を非難してきた『パシフィック・シチズン』は、本作の日系アメリカ人反逆者に対する(虚構の)描写を批判しなかった。むしろ、編集者のラリー・タジリは、特にケイ・ルークの役柄を、日本の地下組織と手を携える二世スパイとして肯定的に描写したと称賛した。

歴史的な観点から見ると、本作『Tokyo Rose』は、強制収容所を退去し、アメリカ社会の中に自分たちの居場所を探していた日系アメリカ人に対する世間の反感の様子をドラマ化している。その一方で、戦時中の『Little Tokyo, USA』(原題)、『Let’s Get Tough』(原題)といった憎悪を煽る映画とくらべて、進歩的な要素をある程度含む。本作では、英雄的な二世スパイが活躍するが、同時に、二世の悪役も登場する。だが、悪役のスパイであっても、少なくとも、演じていたのは日系人女優であった。その女優であるロータス・ロングは、1942年には早くもハリウッドの銀幕を飾っていた最初の日系俳優であった。

それでも、本作には、日本のプロパガンダをテーマにするアメリカのプロパガンダ映画が持つ、つじつまの合わない、陰険なところが見える。鈴木大佐のような日本人の登場人物は、皮相的な悪役として描かれる。東京ローズについては、何の主観性もない。観客には、その過去についての情報は一切与えられず、敵国日本に協力する理由も語られない。いくら虚構の物語とはいえ、『Tokyo Rose』には心理的に納得がいかない。

もっと悪いことに、本作は単なる虚構ではなく、真実の危険な曲解なのである。

1945年の8月になる頃には、『ニューヨーク・タイムズ』やその他のメディアは、日本のラジオで英語と日本語を使って放送したアナウンサーは数多く存在していたと報じた。そうしたアナウンサーの中には、自分を東京ローズと名乗るものはおらず、その呼称はアメリカ兵が作り出したあだ名であったと伝えた。

さらには、本作では、東京ローズがアメリカ兵に対して、祖国に残した配偶者が不倫しているとひっきりなしに脅す姿を描き、ラジオの聴取者に、東京ローズの放送が、裏切られたと思い込んだアメリカ兵の自死の直接的な原因だと主張する。しかし、戦争中の軍紀の研究によると、アメリカ兵は、日本のプロパガンダ放送をおもしろがっていたが、まじめには受け取らなかったとしている。

本作の公開のわずか2年後、戦時中にアナウンサーであったアイバ・トグリ・ダキノは、「本物の」東京ローズとして逮捕され、アメリカに送還され、法廷で裁かれた。トグリの1949年の反逆罪に対する裁判では、政府によるペテン、脅迫、擬誓された証言がなされ、トグリは有罪となり、アメリカ連邦の刑務所で6年間収監されるという結果になった。アイバ・トグリ・ダキノは、1977年に大統領ジェラルド・フォードより赦免されたが、その赦免によってトグリがこうむった不当な扱いは軽減されなかった。この不当な扱いの根底には、東京ローズの暗黒の伝説があり、本作『Tokyo Rose』は、その暗い伝説を大いに増幅させる役割を果たした。

 

© 2021 Greg Robinson

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執筆者について

ニューヨーク生まれのグレッグ・ロビンソン教授は、カナダ・モントリオールの主にフランス語を使用言語としているケベック大学モントリオール校の歴史学教授です。ロビンソン教授には、以下の著書があります。

『By Order of the President: FDR and the Internment of Japanese Americans』(ハーバード大学出版局 2001年)、『A Tragedy of Democracy; Japanese Confinement in North America』 ( コロンビア大学出版局 2009年)、『After Camp: Portraits in Postwar Japanese Life and Politics』 (カリフォルニア大学出版局 2012年)、『Pacific Citizens: Larry and Guyo Tajiri and Japanese American Journalism in the World War II Era』 (イリノイ大学出版局 2012年)、『The Great Unknown: Japanese American Sketches』(コロラド大学出版局、2016年)があり、詩選集『Miné Okubo: Following Her Own Road』(ワシントン大学出版局 2008年)の共編者でもあります。『John Okada - The Life & Rediscovered Work of the Author of No-No Boy』(2018年、ワシントン大学出版)の共同編集も手掛けた。 最新作には、『The Unsung Great: Portraits of Extraordinary Japanese Americans』(2020年、ワシントン大学出版)がある。連絡先:robinson.greg@uqam.ca.

(2021年7月 更新) 

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