ディスカバー・ニッケイロゴ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2020/8/31/volga-kahan/

ボルガ河畔の想い出

コメント

今年85歳の僕は半世紀を超えるブラジル、アメリカ、カナダでの移民生活には数多くの想い出があります。中でも最も心に残る生涯の想い出は、80歳の時にロシア連邦タタールスタン共和国の首都カザニでの水泳マスターズ世界選手権大会の表彰台に立った瞬間の達成感でした。日本での水泳競技会では地方大会予選落ちが殆どで、全国大会には2回出場しただけの3流選手の僕が、オリンピックメダリストに勝って世界選手権大会の表彰台に立てるとは夢の様でした。

小学校では野球選手で、巨人のキャッチャーの藤尾が3番打者、ファーストの僕が4番、阪急でホームラン王になった中田が5番のクリーンナップトリオで阪神間では強豪チームでした。ところが、中学1年の時に学校でファーストミットを盗まれ、野球選手になる夢を泣く泣く諦めました。終戦直後の日本ではグローブは製造されておらず、ファーストミットは父の1ヶ月の収入ぐらいの値段でしたから、再度は買って貰えませんでした。そんな事で、金がかからず裸一貫でやれるスポーツは相撲か水泳しかなく、水泳に転向したのでした。野球を続けておれば、せいぜい甲子園どまりか良くても六大学レベルで、世界の檜舞台メジャーでの活躍は望むべくもなかったでしょう。当時は泥棒を恨みましたが、今では泥棒さん有難うの心境です。

30年間のアメリカ勤務では毎年300日は海外出張で、航空会社マイレージの200万マイルメンバーになる程の多忙で、泳ぐ暇はありませんでした。70歳でリタイヤー、酒飲んでテレビを観てるだけでは文字通りのカウチポテトになってしまうので、地元トロントのマスターズ水泳クラブに申し込み、定員に空きの出るまで1年のスタンバイ後に入会出来ました。

学生時代は平泳ぎでしたが、現在の水泳界では4種目全てをトレーニングすることになっており、70歳の手習いでバタフライを学びました。40年以上のブランクがありましたが、初年度にオンタリオ州選手権大会バタフライで金メダルを獲得しました。石の上にも3年、3年後には個人メドレーも含め全種目でカナディアン・チャンピオンになりました。

5年前の2015年8月、水泳世界選手権大会とマスターズ水泳世界選手権大会が史上初めて同時開催されたタタールスタンの首都カザニに到着したのは午前3時。空港には写真撮影禁止の警告が至るところに貼ってあるにも拘らず、デジカメやスマホを持ちだして忠告を受けたり逮捕されてる人々の列を尻目に、僕達選手団は入国通関免除のゲートから選手村行きのバスに案内されました。コンシュラー・フィー(領事手数料)免除のヒューマニタリアン・ビザ(文化交流ビザ)の為、滞在は競技期間中のみで、最終日の翌日にはロシアを出国しなければいけませんでした。選手村の宿舎に到着したのは夜明け前だったので、チェックインを済ませ宿泊費に含まれていた6時半からの朝食に 、道路を挟んで選手村の向かいにあるテニスアカデミーに行きました。マリア・シャラポワ等の世界的なプレーヤーを輩出してる国策テニス学校は豪華な設備で、流石カザニはロシアのスポーツキャピタルだけあると感心しました。

翌日、選手村から水泳会場に行くバスで世界選手権に出場されてる筑波大学大学院生で背泳の金子選手と座席が隣り合わせでした。最初の三日間は現役オリンピック選手の出場する世界選手権を観戦して過ごし、マスターズ大会では50メートル平泳ぎで銀メダル、100メートル平泳ぎで銅メダルを受賞しました。

寄る年波には勝てず、頭脳はいささか呆けてきましたが、今尚、体力は現役ですので、来年に日本で開催される世界マスターズゲーム(年齢別オリンピック)、関西大会(競泳は神戸5月)と再来年の水泳マスターズ世界選手大会(競泳は博多6月)で優勝し金メダルを獲得して故郷に錦を飾る所存です。 

末筆ながら、今年の初めにブラジルで午前中は海水浴で筋肉をリラックスさせ、午後にはスポーツクラブのプールでのトレーニングに参加し、絶好のコンディションでカナダに帰って来たら、3月末のオタワでのオンタリオ州選手権が中止、トロントでの5月のカナダ選手権も中止、コロンビアのメデインでの6月のパンアメリカン選手権も中止、ブラジルのリオデジャネイロでの9月のパンアメリカン・マスターズゲームも中止となってしまいました。85歳から89歳ブラケットで最年少の今年は、大量の金メダル獲得を目指していましたが全てパーになりました。現在カナダでは未だにコロナウイルスによる非常事態宣言が解除されず、水泳クラブも閉鎖が続きトレーニング出来ず、住んでるアパートのプールも閉鎖され不運な年ではあります。

 

© 2020 Hideo Maruki

ニマ会によるお気に入り

特別企画「ニッケイ物語」シリーズへの投稿文は、コミュニティによるお気に入り投票の対象作品でした。投票してくださったみなさん、ありがとうございました。

星 16 個
水泳
このシリーズについて

ニッケイのスポーツを、ゲームの勝敗を超えて特別なものにしているのは何でしょう?あなたのヒーローである日系アスリートや、あなたのニッケイとしてのアイデンティティに影響を与えたアスリートについて書いてみませんか?ご両親の出会いのきっかけは、ニッケイのバスケットボールリーグやボウリングリーグでしたか?戦前の一世や二世の野球チームに代表される日系スポーツ史にとって重要な時代に関心はありますか?

ニッケイ物語第9弾として、ディスカバー・ニッケイでは、2020年6月から10月までスポーツにまつわるストーリーを募集し、同年11月30日をもってお気に入り作品の投票を締め切りました。全31作品(日本語:6、英語:19、スペイン語:7、ポルトガル語:1)が寄せられ、数作品は多言語による投稿でした。編集委員とニマ会の方々に、それぞれお気に入り作品の選考と投票をお願いしました。下記がお気に入りに選ばれた作品です。 

編集委員によるお気に入り作品

ニマ会によるお気に入り作品:  

<<コミュニティパートナー: Terasaki Budokan - Little Tokyo Service Center>>

当プロジェクトについて、詳しくはこちらをご覧ください >>

 その他のニッケイ物語シリーズ >>

詳細はこちら
執筆者について

1935(昭和10)年元旦生まれ。1958年(昭和33)年に大阪府立大学経済学部卒業。同年、東芝放射線(現:キャノン メディカル)へ入社。1967年、同社ブラジル総代理店総支配人に就任。その後、1970年からアメリカにてGE等メディカル企業に勤務。退職後は、カナダに在住、2005年にトロントのマスターズ水泳クラブに入会。2015年にロシアで開催された水泳マスターズ世界選手権大会で銀メダルと銅メダルを獲得。2021年に日本で開催される世界マスターズゲーム関西大会での金メダル獲得を目指している。

(2020年8月 更新)

様々なストーリーを読んでみませんか? 膨大なストーリーコレクションへアクセスし、ニッケイについてもっと学ぼう! ジャーナルの検索
ニッケイのストーリーを募集しています! 世界に広がるニッケイ人のストーリーを集めたこのジャーナルへ、コラムやエッセイ、フィクション、詩など投稿してください。 詳細はこちら
Discover Nikkei brandmark サイトのリニューアル ディスカバー・ニッケイウェブサイトがリニューアルされます。近日公開予定の新しい機能などリニューアルに関する最新情報をご覧ください。 詳細はこちら

ディスカバー・ニッケイからのお知らせ

動画募集中!
「召し上がれ!」
ディスカバーニッケイでは、現在ブランディング動画を作成中で、皆さんにも是非ご参加いただきたいと考えております。参加方法については、こちらをご確認ください!
ニッケイ物語 #13
ニッケイ人の名前2:グレース、グラサ、グラシエラ、恵?
名前にはどのような意味があるのでしょうか?
ディスカバーニッケイのコミュニティへ名前についてのストーリーを共有してください。投稿の受付を開始しました!
新しいSNSアカウント
インスタ始めました!
@discovernikkeiへのフォローお願いします。新しいサイトのコンテンツやイベント情報、その他お知らせなどなど配信します!