田端賀一の日本在住の家族
これにて一件落着となったのだが、2019年11月27日東京の田端敬一という方から、次のメールが入った。
嶋様
突然のメールで失礼します。私は、田端敬一と申します。「ニッケイイメージズ」及び「ディスカバーニッケイ」(2018年10月25日)に寄稿されていました、バンクーバー朝日の田端賀一の孫になります。田端賀一には子供が7人(男4、女3)いて、第二次大戦前後で、日本に3人(男2、女1)、カナダに4人(男2、女2)在留することになりました。
田端賀一は、1895年三重県鈴鹿市生まれで、カナダのバンクーバー近辺に妻のぶとともに移住しました。私の父田端輝一(長男)は、1926年にバンクーバーで生まれ、4歳まで当地にいたそうです。その後、家族は日本に帰り、三重県鈴鹿市に住むこととなりましたが、戦前に子供3人だけを残し、家族はカナダへ出稼ぎに行き、第二次大戦が始まったそうです。私の父はもう死亡しましたが、父の弟はまだ元気で、鈴鹿市に住んでいます。
私は、田端輝一の長男で、三重県鈴鹿で生まれ、今は東京に住んでいます。1966年に田端賀一は戦後初めて日本に帰国し、しばらく滞在しましたが、またカナダに戻りました。カナダの親戚では、叔母(Aiko Tabata; Aiko Ido)、叔父(Haruaki Tabata)には30年以上前に会ったことがありますが、他の叔父叔母には会ったことはありません。私は、数年前からカナダの親戚探しを始めていたのですが、皆亡くなったか、移動したかで全然探せていませんでしたが、先週 Shari Tabataという従妹とメールのやりとりができました。Shari Tabataは、トロント近郊でカナダのテレビ局に勤めています。
ちょうど昨日のメールで、バンクーバー朝日の写真を紹介され、これは我々の祖父なのかと聞かれました。顔は私の若い時にそっくりで、まさか写真があるとは思ってもいませんでした。
友人にこの話をしたところ、インターネット経由で、バンクーバー朝日についての貴殿の投稿を紹介されました。叔父からカナダで田端賀一は野球をやっていたと聞いたことがありますが、まさかバンクーバー朝日でプレイしていたとは知りませんでした。本当にびっくりした次第です。
貴殿は田端賀一について、お知りになりたいようで、私にどのようなお手伝いができるかは不明ですが、取り急ぎご連絡をと思い、メールを差し上げました次第です。よろしくお願いします。
田端敬一
私は、田端敬一へ賀一の情報を共有するとともに、マシューのメールも転送した。すると下記のメールが返信された。
…田端賀一の子供で今生存しているのは、日本にいる田端靖之のみです。早速、本件を報告したいと思います。
日本に残った田端賀一の三人の子供は、カナダの兄弟の二人以外とは会ったことはありません。お互い交流することもなく、死んでいったのかと思うと、残念でなりません。
今回、ご紹介いただいたメールにあった賀一の三女Keiko Aliceさんとは会ったことはありませんし、その家族、まして狩集という姓も数年前に家族探しを始めたときに叔父の死亡通知をネットで見つけて、始めて知りました。数週間前には、ShariをFacebookで探し当て、ようやくこれから本格的な家族探しができると思った次第です。
祖父には中学生のときと私の結婚式の二回会ったことはありますが、祖父は英語と日本語を混ぜてしゃべるため、自分としては祖父の生きてきた環境、苦労、楽しみなど何も知らないまま別れてしまいました。今回、嶋さんのご寄稿された記事を幸運にも読むことができ、大変嬉しく思いました。
勝手なお願いで申し訳ありませんが、Keiko Alice叔母さんの孫マシュー狩集さんのメールアドレスを教えていただけないでしょうか?Shariさんは狩集家と知り合いらしいのですが、最近は交流がないと言っていますので、私からコンタクトしたいと思っております。来年暖かくなったら、カナダやアメリカ(狩集家はフロリダのようです)に行き、祖父祖母や親せきの墓参りもしてみたいと思っています。
最後になりましたが、嶋さん始め多くの方々のご努力により、バンクーバー朝日の存在だけでなく、その創設当時メンバーの家族が100年後に明らかとなり、ネットワークができているとのこと。日本とカナダの皆様のご努力に敬意を表するとともに、感謝させていただきたいと思います。私としてはそのネットワークに大変興味があり、可能であれば入れていただきたく、お願いいたします。...
上記の情報をマシューに伝えたところ、下記の返信が届いた。
2019年12月18日
嶋 洋文さん、田端敬一さんへ素晴らしい、驚きのニュースをありがとうございました。別のメールで田端敬一さんと繋がりました。信じられない繋がりです。敬一さんと、近い機会にお目にかかりたいと思っています。
マシュー狩集
2020年1月、カナダ・日本の両家族の調査が終了したことを受け、私は東京で、松宮哲さんと田端敬一さんと歴史的な面談を行い、祝宴を楽しんだ。
その翌日に、敬一さんから届いた感謝のメールをここに紹介する。
嶋様、松宮様
こんにちは。昨晩は、貴重な資料とお話を伺うことができ、大変楽しく過ごさせていただき、ありがとうございました。頂きました資料は、鈴鹿の叔父や親戚とも大切な記録として共有していきたいと存じます。
昨日も申しましたが、本年春にはカナダに行って、祖父母の墓参りをするとともに、未だ会ったことのない親戚にも会いたいと思っております。その折には、さらに祖父母やその子孫について詳細な情報を得たいとともに、松宮様、嶋様とも共有させていただきたいと存じます。また、可能であればバンクーバーにも立ち寄り、バンクーバー朝日関係の場所を訪問できればとも考えています。
今後ともよろしくお願いたします。先ずは御礼までにて失礼します。
田端敬一
このように、カナダと日本に居る田端賀一家族を、時代と距離を越えて結ぶことができたのは、大いなる慶びであった。
(敬称略)
© 2020 Yobun Shima
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