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第2回 教会財産を失ったことへの日系カナダ人の気づき

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1949年4月、終戦からおよそ4年後、日系カナダ人の海岸地域への帰還禁止令が解かれ、バンクーバー・エリアに戻る人が出始めた。戦前の、ほとんどの人がスティーブストンやパウエル・ストリートおよびその周辺に住んでいた時と違い、帰還者の多くが市内のあちこちに散らばって住むようになった。

結果として、日系人聖公会信者の中には、近くにある日系人のためのものではない聖公会1に通う人が出てきた。一方で、他のキリスト教会派の教会に行く人もいた。戦前に住んでいた場所に戻った聖公会信者は、すでにかつての教会の建物(昇天教会、聖十字教会、聖教会の拡張部)がもはや彼らに対して開かれていないことを知った。

ゲイル師は1952年にバンクーバーに戻り、離散した聖公会信者の帰還者たちを捜し出し、少しずつ教会の仕事を整え直すという難しい仕事に取り組み始めた。ついに彼は、日曜の午後に教会の地下室で、のちにはセント・ジェームス教会のチャペルで礼拝を行うことを許された。さらに日系カナダ人のための礼拝がセント・ジョージ教会でも執り行われるようになった。

1955年、ニュー・ウエストミンスター教区は、寄付を受けたばかりのカトリック教皇教会の建物を日系カナダ人教会に譲渡した。古くて絶えず補修する必要のある建物であった。ゲイルはこの建物の修繕を指揮しているときに心臓発作を起こし、程なくこの世を去った。

以前の教会の建物がなくなったことに動揺しながらも、日系カナダ人の聖公会信者たちは教会の建物についての情報を求めることには躊躇いを感じていた。1953年、ゲイルのもとで神学の実習をしていた若い学生ティモシー・ナカヤマは、教区の司教と財務担当者に、教会の財産はどうなったのかと不意に尋ねた。答えは、「処分された」と言う漠然としたものであった。問題を起こしたくないのでそれ以上追求することはなく、建物に関しては、長い沈黙が続いた2

しかし、1988年にバンクーバー神学校(VSTー Vancouver School of Theology)の学生であるトレバー・バンフォードがこのことを題材にして修士論文を書いた。もう一人、ミッチェル・ヘミングズという学生も彼の後に続いた。どちらも教会の財産やそこから得られた収益がどうなったのか、なぜ売却されたのか、そして教会がそのことについて沈黙を続ける理由についても正確に突き止めることはできなかった。しかし、バンフォードは「これらがなぜ40年間秘密にされてきたのかは、明らかにされるべき問題である」と締めくくった3

バンフォードの論文は最終的にジョン・ショウザワ師の目に留まった。その結果、彼はこの問題をミッシェル・インハム司教に報告したが、ナカヤマ同様に、彼も納得のいく答えは得られなかった4

数年後、定年退職したビジネスマンでVSTの学生でもあるグレゴリー・タッチェルは、長年聖十字教会の信者であるバジル・イズミと雑談を交わした。その際、バジルは教会で何が起こったのかについて長年くすぶっていた疑問を口にした5。その会話がきっかけとなり、タッチェルはこの問題を修士論文のテーマに取り上げることに決めた。その題名は、”Relinquished : The Seat of Deitei Supream Us Dispossest6”であった。自らの調査を支えるために、彼は戦時中の日系カナダ人の人権擁護を強く主張する異宗教間を跨ぐ委員会(超教派)に次いで、10人の日系カナダ人で日系カナダ人バンクーバー諮問委員会(JC-VCC: Japanese Canadian Vancouver Consultative Committee)を立ち上げた。

この新しいJJC-VCCのうちの3人のメンバーは売却された2つの教会の信者であった。うち二人はジョイ・コガワとティモシー・ナカヤマで、彼らの父親が牧師を務める昇天教会で幼少期を過ごした。残りの一人がバジル・イズミで、聖十字教会の日曜学校と幼稚園に通っていた。タッチェルの調査の明確な目的は、第二次世界大戦の戦中戦後の日系カナダ人聖公会の財産の売却、および、売却後これらの財産がどうなったのかについてであった。

2008年から2009年の年を跨ぐ数ヶ月に及ぶ粘り強く入念な調査の末、タッチェルと委員会は後述する驚くべき発見をした。3つの聖公会(聖十字教会、昇天教会、聖教会拡張部)は全て日系カナダ人の聖公会信者たち自身が資金を出し建設したものであり、日系カナダ人の財産ともいえる。それらはそれぞれ1937年、1938年、そして1941年にニュー・ウエストミンスター教区に移築された。戦争が終わった1945年、3つの教会のうちの2つ(聖十字教会の拡張部と昇天教会)が教区によって売却され、残りの聖十字教会も1949年8月に売却されていた。

これらの売買は評価額よりもかなり低い額で行われ、日系カナダ人の聖公会信者たちには何の相談も通知もなく行われていた。日系カナダ人はバンクーバーには戻ることがないといわれていたので、建物を維持する必要性は「ゼロ」であると言うのが彼らの理屈だった。また、昇天教会は築10年足らずで明らかにいい状態であったという事実にもかかわらず、建物が「廃れている」と言うのが売却の理由であった7

ブリティッシュ・コロンビア州バンクーバーの日本人昇天教会の落成式の後に撮影、1935年4月7日(聖十字教会所蔵)

聖十字教会の売却は、さらに衝撃的であった。と言うのも、売却が行われたのが日系カナダ人の西海岸への帰還許可が正式におりた数ヶ月後だったからだ(すでに帰還している人もいた)。なかでもおそらく最も驚くべき事実は、売却によって得た収益や正確な利益を主教たちの給与支払いの元になる寄付基金に入れたことであろう8

タッチェルは、これらの尋常でない処置は、ブリティッシュ・コロンビア州の社会だけでなく聖公会やその首脳部にも存在していた“過酷な差別”の歴史を裏付けているとし、これらの売却が教会内に蔓延る組織的な人種差別のもと、意図的に日系カナダ人が西海岸へ戻ってこないように促したと強く主張した。さらに、教会の首脳陣は緘口令を敷いてその事実を隠蔽しようとしていたとし、ブリティッシュ・コロンビア州の海岸地域から強制移動させられた1500人の日系カナダ人や彼らの教会財産に関する記述が、ブリティッシュ・コロンビア州の聖公会100周年を祝って1979年に出版された『パシフィック・ピルグリムズ(太平洋の巡礼者)』の中で全く触れられていないという事実からも明らかであると論じている。要するに、ニュー・ウエストミンスター教区は、歴史的かつ人種的偏見から日系カナダ人信者に対して不正行為を行い、かつ意図的にそれを隠蔽したのである9。 

2009年11月10日、委員会は正式に教区に調査結果を提出し、すぐにインハム主教から弁明を受け取った。2013年3月14日、カナダの聖公会から日系カナダ人とその教会財産に対する処遇に対する正式な謝罪がなされた。

現在の聖十字教会(Daebin Moses Im師所蔵)

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注釈:

1. ロイ、106

2. タッチェルでのティモシー・ナカヤマ師の熱烈な信者、付記I X、4

3. タッチェル、50から引用

4. タッチェルのジョン・ショウザワ師の宣誓供述書、付記V I I I、8-9

5. タッチェル、著者との個人的な会話

6. タッチェル、2009

7. 戦後の昇天教会の建物の良好な状態と、日系カナダ人聖公会信者の帰還者たちが、子供の頃の思い出の直接結びつく教会を失った際に感じた喪失感は、1957年にジョイ・コガワが散歩中に偶然その建物に立ち寄った時のことについて書いた胸を打つ話からもよくわかる。

「私は教会がまだそこにあるのを見た。そこには誰もおらず、鍵は開いたままだった。私は家具が全て取り払われた空っぽの、広く美しい空間に入って行った。教会で母親と一緒に背もたれのついた椅子に座り、白銅貨を献金盆に入れたりランタンを持ったりした楽しい記憶を味わうことができた。美しい木の床や壁は、イースト11番ストリートにある聖十字教会の古い建物や、スローカンから移築され、アルバータ州コールデイルの新しい昇天教会となった簡素な幼稚園の園舎とは対照的であった」(タッチェル、付記X、2)

8. 様々な紀要や調査結果のより詳細な一覧についてはタッチェル、68−9、付記I V、107-115参照。

9. 特にタッチェル91-98

 

© 2018 Stanley Kirk

カナダ プロテスタント 土地所有権奪取 建物 戦後 教会 日系カナダ人 疎開 第二次世界大戦 第二次世界大戦下の収容所 聖十字教会 英国国教会
このシリーズについて

この連載では、第二次世界大戦の少し前、バンクーバーの日系カナダ人聖公会の家庭に生まれたバジル・タダシ・イズミのライフヒストリーを紹介する。バジルは6歳の時、家族と共にバンクーバーでの生活を追われ、その後スローカン湖近くにあるいくつかの収容所に抑留された。戦争が終わり、家族は日本へ送還されたものの、彼はその3年後、12歳の時に単身ブリティッシュコロンビアに戻り、以来そこで暮らしている。

バンクーバーにある日系カナダ人の聖公会、すなわち聖十字教会(1970年までは聖十字ミッションと呼ばれていた)は、幼少期から現在に至るまで、バジルの人生において重要な役割を果たしてきたので、第1回と第2回では、聖公会と日系カナダ人との関係について、特にバジルの生い立ちに関連するいくつかの出来事に焦点を当てながら、ごく簡単に歴史的背景を説明していく。第3回からバジルの生い立ちを述べていく。

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謝辞: 本シリーズの日本語訳に関して、翻訳者の出石美佐氏に感謝の意を表します。出石氏はプロのツアーガイドとして働く傍ら、和歌山県美浜町の中高生で構成される「語り部ジュニア」の指導的立場でまとめ役を務めています。語り部ジュニアは、英語と地元のカナダ移民にまつわる豊かな歴史を学び、家族のルーツを求めて訪れる日系カナダ人観光客に英語で案内も行っている。

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執筆者について

スタンリー・カークは、カナダのアルベルタ郊外で育つ。カルガリー大学を卒業。現在は、妻の雅子と息子の應幸ドナルドとともに、兵庫県芦屋市に在住。神戸の甲南大学国際言語文化センターで英語を教えている。戦後日本へ送還された日系カナダ人について研究、執筆活動を行っている。

(2018年4月 更新)

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