ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2018/2/9/uwajimaya-5/

第5回 90年の歴史をふりかえる

四国・愛媛県にルーツのあるモリグチ家が経営してきたUwajimaya(宇和島屋)は、昨年、創業者である森口富士松の孫にあたるデニス・モリグチがCEOとなり、新たな一歩を踏み出した。

Uwajimayaは、これまでシアトル店をはじめとする4店舗を展開してきたが、これに加えて昨春にはシアトルの中心部から3キロほど北に位置するサウス・レイクユニオン地区のオフィスビルのなかに「カイ・マーケット(Kai Market)」という店舗をオープンした。

また、同じく昨春インターナショナル・ディストリクトにあるシアトル店の隣りに「パグリックス(Publix)」という商業施設と住居の6階建ての複合施設を建設した。これによってこの地区でのUwajimayaの存在感が増すことになった。 

シアトル店のすぐ近くに建設された「パブリックス(Publix)」(北米報知提供)  

こうして今も発展をつづけるUwajimayaだが、ここで簡単にアメリカでの歴史を振り返ってみたい。


トラック行商からヴィレッジ建設まで

1898(明治31)年に愛媛県の西南部、西宇和郡川上村(現在の八幡浜市川上町)で生まれた森口富士松が、故郷を離れアメリカにやってきたのが1923(大正12)年、24歳のときだった。

農場で働くなどしたのち、シアトルから南に50キロほど離れたタコマにあるレストランで働いた。その後シアトルで日本人が経営する「メイン・フィッシュ・カンパニー」という鮮魚を扱う会社で働きはじめた。

このころ、日本人移民により日本町が形成されていたシアトルには、周辺で漁業に従事するのものや農場、鉄道、製材関係で仕事で働く日本人相手に、米やみそ、しょうゆなどを提供する商売が盛んだった。その一つである会社で働き、魚の取り扱いや商売のノウハウを覚えた富士松は、タコマで同様の商売を興そうと思い至った。とくに、彼が日本で会得したかまぼこやさつまあげを作って売ることを考えた。

シアトル同様、太平洋岸の都市タコマは、日本との船便もでき、1909年には大阪商船がタコマを起点とした定期航路を開くまでになった。領事館(のちにシアトルに移転)もでき、日本人も水産、農業、鉄道、商業などさまざまな分野で働き、日本の食材や日本食に対する需要は増えていった。

タコマにもどった富士松は1928年に、かつて自分が修行した愛媛・宇和島の名にちなんで宇和島屋(Uwajimaya)を開き、かまぼこなどを作り、トラックに積んで近隣の日本人相手に販売した。

1933年、富士松はシアトル生まれの蔦川貞子と結婚、4年後にタコマの日本人街に新たな店を構え商売を続けた。しかし1930年代になると景気が低迷。さらに、太平洋戦争がはじまると、他の日系人同様に強制収容所に送られる。場所はカリフォルニア州北部のツールレイク収容所で、このとき夫妻には4人の子供がいた。

その後さらに3人の子供をもうけ、戦争が終わると一家でシアトルに移り、旧日本町で新たに宇和島屋を開いた。そして日系人・日本人を顧客に商売をつづけたが、1962年転機が訪れる。この年シアトルで開かれた万博に出店し、日本からの贈答品など様々な商品を販売したことで、日系人以外にも広く宇和島屋の存在が知られるようになり、以後の成長につながっていった。

また、富士松が亡くなったのもこの年だったが、子供たちが事業を引き継ぎ65年には会社組織とし、その後小売りだけでなく卸売業にも手を広げた。会社を率いたのは富士松の次男のトミオ・モリグチで以後長年にわたり経営者として手腕を発揮する。70年には現在の宇和島屋の近くに店舗を移転、北西太平洋岸の日系のスーパーでは最大規模を誇った。

その後、さらに拡張し食料品以外に工芸品や書籍、衣類・化粧品、食器類などもとりそろえた。78年にはベルビュー店を新設、多店舗展開の足掛かりとする。

2000年には、既存の店舗のすぐ近くに新店舗を移し、これを核としてテナントなどが入るUwajimaya Village(宇和島屋ビレッジ)の建設に取りかかる。2002年、貞子が鬼籍に入り、その数年後ビレッジが完成、着実に事業を拡大していった。2007年からはトミオ・モリグチの妹のトモコ・マツノが、昨年までCEOをつとめ、現在のデニス・モリグチに引き継いだ。

富士松のトラックでの“行商”からはじまった商売は、小売業を軸に卸売業、食品サービス業や不動産業にも広がり、一貫したファミリー経営による今日のUwajimayaに至っている。

(敬称略)

 

© 2018 Ryusuke Kawai

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このシリーズについて

アメリカ・ワシントン州シアトルを拠点に店舗を展開、いまや知らない人はいない食品スーパーマーケットの「Uwajimaya(宇和島屋)」。1928(昭和3)年に家族経営の小さな店としてはじまり2018年には創業90周年を迎える。かつてあった多くの日系の商店が時代とともに姿を消してきたなかで、モリグチ・ファミリーの結束によって継続、発展してきたその歴史と秘訣を探る。

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執筆者について

ジャーナリスト、ノンフィクションライター。神奈川県出身。慶応大学法学部卒、毎日新聞記者を経て独立。著書に「大和コロニー フロリダに『日本』を残した男たち」(旬報社)などがある。日系アメリカ文学の金字塔「ノーノー・ボーイ」(同)を翻訳。「大和コロニー」の英語版「Yamato Colony」は、「the 2021 Harry T. and Harriette V. Moore Award for the best book on ethnic groups or social issues from the Florida Historical Society.」を受賞。

(2021年11月 更新)

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