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https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2018/07/18/

シアトル「日本町」を知る -戦前編-

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祭り、銭湯、歌舞伎、「小さな日本」がそこにはあった

シアトル・ダウンタウン南に位置するインターナショナル・ディストリクト。その一角に残る日本町。戦前の最盛期には8500人程の日系移民がそこに暮らし、ビジネスを営んでいた。シアトル日系移民のはじまり、最盛期の華やかなる時代の姿、そして現在に残る面影を、北米報知社インターン生がたどる。


1880年代にさかのぼる日系移民の歴史

シアトルにはかつて、北米最大規模の日本町があったことを知っているだろうか。1930年には約8500人の日系人が住み、ロサンゼルスに次ぐ規模であったという。インターナショナル・ディストリクト周辺、特にジャクソン・ストリートとメイン・ストリートを中心に日本人経営の商店が集まり、東方面には日本人が多く住む住宅地が広がっていた。

1935年、メイン・ストリートにあったアサヒレストラン前。日本町の商店には、日系人のみならず、シアトル全域から良質なサービスを求める客が訪れていたという。(©写真提供:The Wing Luke Museum)

シアトル日系移民の歴史は、1880年代初頭にさかのぼる。シアトルに白人入植者が初上陸した1851年から約30年後だ。19世紀末のシアトルは、周辺地域の林業や炭鉱業の繁栄、そして1870年代の鉄道開通で繁栄していった。1880年、シアトルは人口3500人程の小さな開拓の町だったが、1890年までにはその人口は約4万人に急増する。アラスカ・ゴールドラッシュを経た1910年までには、人口約23万人の都市に成長した。

シアトルで最初に人口を増やしたアジア系移民は中華系移民だ。文献によれば、1876年にはパイオニア・スクエアの一角に250人程の中華系労働者が住む中華街が形成されていたという。しかし、白人系移民による1886年の暴力的な排華運動で、多くの中華系移民は自国やサンフランシスコへ逃れていく。一方で、中華系労働者の急減を補うように増えていったのが、日系移民であった。


シアトルで最大のマイノリティーグループに

1896年に日本郵船のシアトル-横浜間運行が始まると、日系移民の人口は急激に増えた。1907年の日米紳士協定で明治政府がアメリカへの移民を自主規制するようになるまでの約10年間、多くの若い日本人男性が一獲千金を目指して海を渡ってきた。紳士協定後に男性移民は減少するものの、今度は彼らの花嫁として日本人女性がシアトルへ移住してくることになる。いわゆる「写真花嫁」だ。女性移民は1924年の排日移民法まで増え続けた。シアトル市の日本人人口は、1910年には男性約5000人に対して女性約750人と男性比率が高いが、1920年には男性約4000人と女性約2000人になる。こうして、海を渡った日系1世たちはシアトルの地で家庭を築き、子供たちを育て、日本町を形成していった。

日系移民は、その人口規模、祖国の経済成長、内陸へ入った農家の成功や農産物売買業者の成功などを背景に、経済的に多きな繁栄を見せた。もちろん、日本人の勤勉さも重なっただろう。日系移民たちの成功を反映するように、日本町も華やかに栄えていった。1901年には日本国領事館がおかれ、1902年には北米報知社の前身である『北米時事』の発行も始まっている。北米時事に掲載されている広告には、食堂、ホテル、理髪店、青果店、弁護士、医者などの多種多様な業種が見られ、当時の日本町の活気が伝わる。銀行や学校もおかれ、お祭りや盆踊りも盛大に行われていたという。日本町らしく、銭湯も数か所で営まれていた。1909年にオープンした「日本館シアター」では、地元演芸会による歌舞伎から、日本の有名歌手を迎えての公演も行われた。まさに、小さな日本がそこにはあった。

1902年に開校したシアトル国語学校は、全米最古の日本語学校。現在でも、この写真と同じ校舎でシアトル日本語学校(Seattle Japanese Language School)として日本語教育を続けている。(©写真提供: The Wing Luke Museum)


日米関係の悪化と日本町のかげり

1909年には、現ワシントン大学キャンパスで開催されたアラスカ・ユーコン太平洋博覧会で「日本館」が設けられ、渋沢栄一が率いる実業団一行がパレードに参加した記録も残されている。ワシントン州と日本政府の友好な関係も、シアトル日系人コミュニティーの盛況を後押ししたと思われる。

その様相が変わり始めたのは、1929年世界大恐慌の頃からだ。日中戦争の頃から、日米関係の雲行きも怪しくなっていく。祖国へ帰国するものも増え、日本人人口は1940年には約7000人に減少する。そうして1941年、日本軍によるパールハーバー攻撃から数ヶ月後、日本町は数日間のうちに姿を消すことになった。

戦中・戦後編 >>

参考文献

Taylor, Quintard. The forging of a black community: Seattle’s Central District, from 1870 through the Civil Rights Era. (Seattle: University of Washington Press, 1994)

Chin, Doug. Seattle’s International District : The making of a Pan-AsianAmerican community. (Seattle: University of Washington Press, 2002)

Seattle: International Examiner Press

www.historylink.org

年表に見る日系移民の歴史(戦前編)

1850年代 1851  シアトル入植開始
1860年代 1860  初の中華系移民、チン・ホック氏が中華系移民斡旋会社設立
1870年代  1873  ノーザン・パシフィック鉄道がシアトルへ開通
  1874  実業家のヘンリー・イェスラーがシアトル市長に
1880年代  1881  初の日系移民、西井久八氏がシアトル入港
  1886  排華運動によって中国系移民が激減
1890年代 1896  日本郵船、神戸-横浜-シアトル航路開始
  1897  アラスカ・ゴールドラッシュ
 グレートノーザン鉄道、日本人労働者募集
  1899  日本人会結成
1900年代 1900  東洋貿易会社が静岡から日本人移民労働者を斡旋
  1901  日本国領事館がタコマからシアトルへ移転
 シアトル本願寺別院が建立される
  1902  シアトル国語学校(日本語学校)が開校(全米最古)
 日系新聞「北米時事」発足(~42。46~「北米報知」として現存)
  1904  日本食レストラン「まねき」開店(現存)
  1905  日系新聞・旭新聞発足(~18)
  1906  ジャクソン駅建設完了
  1907  日米紳士協定締結
 日本館シアターが開館(建物現存)
  1908  シヤトル日本人会結成
  1909  アラスカ・ユーコン太平洋博覧会で「日本展」が注目を浴びる
 日本館シアター開館
1910年代 1910  パナマホテル開館(地下に橋立湯)
 日系新聞・大北日報発足(~42)
  1911  ユニオン駅建設完了
  1912  日本人会とシヤトル日本人会が合併、北米日本人会になる
 日本、明治から大正へ
1920年代 1920  排日移民法でアジア移民が全面的に禁止される
  1926  日本、大正から昭和へ
  1929  世界恐慌
1930年代 1932  ヒゴ・バラエティーストアが現在の場所に移転
  1935  ワシントン州国際結婚禁止運動が展開される
  1937  日中戦争開戦。日系移民と中華系移民との間で軋轢が生じる
1940年代 1941  真珠湾攻撃、日米開戦
  1942  日系人強制収容令(特別行政指令9066号)発令

 

*本稿は、シアトルの生活情報誌「ソイソース」(2017年5月26日)からの転載です。

 

© 2017 Soy Source / Misa Murohashi, Megumi Matsuzaki, and Mao Osumi

中心業務地区 コミュニティ 繁華街 インターナショナル・ディストリクト ジャパンタウン 戦前 シアトル アメリカ合衆国 ワシントン州
執筆者について

早稲田大学国際教養学部3年。ワシントン大学で1年間の留学中に、ソイソースと北米報知3カ月間のインターンを行う。シアトル在住経験のある父親の影響で、シアトルの日系移民の歴史に興味を持つ。

(2017年5月 更新)


上智大学外国語学部英語学科4年。シアトル・ユニバーシティで1年間の留学中に、ソイソースと北米報知で6カ月間のインターンを行う。上智大学では、新聞部の局長を務める。


(2017年6月 更新)


北米報知出版ゼネラル・マネジャー兼『北米報知』編集長。2000年上智大学経済学部経営学科卒業後、ビデオゲーム会社での国際マーケティングや雑誌出版の立ち上げなど、コンテンツ・パブリッシングに携わる。2016年にワシントン大学で都市計画修士を取得した際に、修士論文としてシアトル・インターナショナル・ディストリクト地区の地域開発について研究。そこで日系アメリカ人の歴史を学ぶこととなり、北米報知出版への入社に繋がった。2017年より現職。

(2021年10月 更新)

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