ジャーナルセクションを最大限にご活用いただくため、メインの言語をお選びください:
English 日本語 Español Português

ジャーナルセクションに新しい機能を追加しました。コメントなどeditor@DiscoverNikkei.orgまでお送りください。

culture

ja

ホノルルの向こう側 ~ハワイの日系社会に迎えられて~

第9回 爽やかで心地よい「ズケズケ」:ハワイ日系人の相互扶助

1976年,小学5年の冬だったと思う。キクチ君の家にラジカセがあって,付属のトランシーバーを使うと田んぼの向こうからでも声が明瞭に聞こえてきた。トランシーバーはラジカセのボディに収納されるのだ。家にあったおもちゃのトランシーバーとはカッコよさが段違いだった。フジモト君の家に遊びに行くと,ベッドの枕元にSONYのICF-5800という高性能ラジオが置いてあった。兄さんからのお下がりだと言っていたが,ロッドアンテナが飛び出し,ツマミやダイヤルがいくつも付いていて,周波数帯を切り替えて外国の放送も聞くことができると楽しそうに話していた。

われわれは,キクチ君,フジモト君,これにタナカ君の加わった4人で自転車を走らせて電器屋に行き,片っ端からラジオのカタログを集めてきた。1970年代半ば過ぎのこの頃は,ほとんどの家電メーカーから海外放送受信用の高性能ラジオが続々と発売になり,BCL (Broadcasting Listening) ブームと呼ばれる時代になっていた。

タナカ君はSONYのCF-5950という,カセットデッキを装備した高性能ラジオを買って驚かせたが,中学受験を控えていた私は,かろうじて短波放送が受信できるラジカセしか買うことを許されなかった。タナカ君のラジオは例外だが,カセットデッキのない単体のラジオのほうが,ラジカセのラジオよりも高性能であることは言うまでもない。とはいえ,大量のカタログの中から選び抜いて買ったラジカセは,私に「海外」や「外国」を強く意識させてくれた。

何とか私立中学校に進学することになり,私はますます海外放送にのめり込んでいった。一年生の夏休みに東京の秋葉原に出てきて,SONYのICF-6700という短波ラジオを買って帰った。学校ではこの趣味のために,新たに文化部を立ち上げたりもした。庭木に数百メートルのアンテナ線をくくり付け,世界中の放送局からの電波をキャッチすることに熱を上げていた。残念ながらハワイの放送局の電波はどれも微弱で,四国の田舎で番組を楽しむことにはならなかったが,毎日熱心に聞いていた国内の放送局の日本短波放送(後のラジオたんぱ,現在のラジオNIKKEI)がハワイの日本語放送局を生中継することになった。それが今回取り上げる放送局のKZOOである。

1981年の生中継でも「電話応答」を放送していた。

世界中の放送局には例外なくアルファベット4文字のコールサインが割り当てられており,アメリカの放送局のそれはKかWで始まることになっている。KZOOはハワイではK-ZOO(ケイ・ズー)の愛称で呼ばれている。

多民族社会のハワイには,さまざまな民族の言語の放送局がある。それぞれの民族にとって,第一言語や家庭の言語,祖先の言語で番組を楽しんだり情報を得たりすることができるということである。自己のエスニシティやアイデンティティを感じたり確認したりすることにもつながっている。

日系人はアメリカで生活する民族集団の中でも,混血が最も進んでいる民族の一つであり,日系社会は多様化している。ハワイにおいても日系人同士の結婚の割合は減っていると言われている。世代や血の濃さはどうあれ,日系人たちの日本文化への興味関心は大変強く,日本語のテレビ局やラジオ局の番組はよく視聴されている。

2017年現在,ハワイには日本語のテレビ局が1局,ラジオ局が1局ある。テレビ局のKIKU-TVは「菊テレビ」とも読めて,日本を意識させる覚えやすいコールサインである。どの番組にも英語の字幕が付けられ,NHKの大河ドラマはほぼ同時期に放映されているし,日本の民間放送の人気ドラマもやっている。かつてはTBS系のニュース番組「サンデーモーニング」が一週間遅れで中継されていて,私が長期に住んでいたときも日本での出来事を知ることができた。今,日本で番組のオープニングのメロディを聴くと,ハワイの朝のあの湿った冷涼な空気を思い出させてくれる。

高校や大学の頃に私の一番好きだった番組のTBS系「そこが知りたい」は,今でも繰り返し連日放映されていて毎回の滞在時の楽しみである。「そこが知りたい」は1980年代から90年代に制作された番組なので,内容は今の日本とはかなり異なっているが,日系人の友人に会えばたいていこの番組の話題になり,いろいろと質問が飛んでくる。いちいち訂正して,現在のことを説明するのが大変なほどなのである。MさんLさん宅で夕飯をごちそうになる時,よく3人でこの番組を観ながら盛り上がるのがとても楽しい。

一方ラジオ局は,古くは1959年開局のKOHOが名を知られていたが1999年に閉局している。2001年から2002年にかけて滞在した時に,調査の苦しさを癒やしてくれたKJPNも2007年に閉局し,2008年に文科省によってハワイに派遣された時には大変寂しい思いをした。現在は1963年から放送を続けているKZOOが唯一の日本語ラジオ局となっている。

今回はこのKZOOを取り上げて,ハワイ日系人の姿について考えてみたい。

KZOOのラジオ局としての背景については,調べればすぐに出てくるのでここでは省略することにしよう。今やハワイでただ1局となってしまった日本語ラジオ放送局として,日々リスナーを楽しませてくれている。TBSラジオの生島ヒロシや森本毅郎らによる早朝から午前の番組も中継しており,日本の今がすぐにわかって便利である。

この部屋でKZOOを聴きながら仕事をしていた。

だが,この放送局を代表する番組は,何といっても「電話応答」であろう。平日の毎日午前10時からと午後3時半からの2回,それぞれ30分間のリスナー参加番組である。何に「応答」するのかというと,リスナーの疑問質問興味関心困りごと,そういったもの一切に対してである。

たとえば,「マンゴーが採れすぎて困っているところに,またマンゴーをもらってしまったがどうしたらよいか」「排水管の詰まりを早く修理してくれる,日本語OKの業者は」という日常のことや,「今1ドルが何円になるか」「日本に行った時,成田空港から東京駅まではどう行ったらよいか」「機内持ち込みのスーツケースのサイズは」という旅行に関するもの,「顔のシミや吹き出物を治してくれる医者は」「◯◯医師の腕や評判はどうか」という美容や病気治療に関するもの等々,ありとあらゆることを電話で質問することが許されている。「漬物の漬けかた」など,ちょっと調べればいいことでもリスナーたちは気軽に電話をかけてくる。

それらに対するリスナーからの回答が,これまたすごい。簡単な疑問にはすぐに返答がくる。ほぼその場で解決する。回答や説明が長くなりそうな場合,人によっては「うちに電話しなさい」と電話番号を教えてくれたりする。個人の電話番号がラジオで公開されるのである。「うちに来なさい。住所は・・・」と自宅に招く人までいる。個人の住所もラジオで公開するのである。解決した時,また電話をかけてきて番組内でお礼を言う人も少なくない。解決したのに,またその解決策を自分なりに説明しようとして,アナウンサーに丁重に断られる人までいる。

勤務先の同僚や学生たちと現地で合流して車で外出するとき,この番組を聴かせている。すると例外なく大爆笑になる。目的地に着いても,番組が終わるまで皆車を降りようとしない。「そんなことを普通ラジオで訊くか?」「あまりにも親切に答えるのが面白い!」「ズケズケとこっちに踏み込まれるような感じがするのに嫌じゃない」「みんな一生懸命で微笑ましい」「世間話だけのために電話してくるオジイちゃんが可愛い!」「質問が来なくて困っているアナウンサーのために,時間つぶしの電話をくれるオバアちゃんの気遣いにびっくりした」などと,感動すらしているのである。

バイブルとも言える加藤秀俊氏の本

この「電話応答」の番組にみられる相互扶助,助け合いの精神は,第6回の「『精一杯やる』とはどういうことか ― 日本文化とハワイの日系文化」で論じたことに通じるものがありそうだ。私の学生が言っているように,ここでの助け合いは不快感のない「ズケズケ」であって,むしろ気持ちがよい。この連載で書いてきたように,私はハワイの日系人の友人たちから感謝し尽くせないほどの親切や思いやりをもらっている。だが,そうした親切をその時の事情から,やむなく遠慮することもある。わけを話せば,友人たちは親切を押しつけてくることがない。とてもあっさりしていて,日本人の感覚とは多少異なっている。アメリカ的といえばアメリカ的だが,それはプランテーション時代の日系移民たちの助け合いや生活の知恵に遡る,というのは深読みし過ぎだろうか。

日本を出て異国の灼熱の太陽の下で長時間の労働に耐え抜き,子を育て子孫を増やすためには,個人個人の頑張りだけでは限界がある。「ズケズケ」付き合わないと集団として強くなれない。一方で,互いに世話をし世話になりながらも,異民族との付き合いも日常の一部であり,巧みに距離感を保つことも必要となっただろう。反対に,民族の境を越えて「ズケズケ」付き合うことも必要になる。このような多文化多民族的な環境と,そこで生き抜くためのバランス感覚がハワイ日系人の爽やかな「ズケズケ」を育ててきたのではないだろうか。

私はいつも「ズケズケ」の心地よさにひたっている。

最初の日本人移民が入植したオアフ島北西部

 

© 2017 Seiji Kawasaki

hawaii KZOO radio radio station

このシリーズについて

小学生の頃からハワイに憧れていたら、ハワイをフィールドに仕事をすることになった。現地の日系人との深い付き合いを通して見えてきたハワイの日系社会の一断面や、ハワイの多文化的な状況について考えたこと、ハワイの日系社会をもとにあらためて考えた日本の文化などについて書いてみたい。