ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2017/2/6/return-to-homeland/

第二十八話(前編) 27 年ぶりの里帰り

「マッサが帰ってくるんだって!」

「えっ!?シバタさんとこの?」

「そう。三男のマサヒロが帰ってくるんだって!」

「何年ぶりかしら?」

「20数年かねぇ?」

マサヒロが生まれ育ったプレジデンテ・プルデンテを後にしたのは1990年5月頃、19歳だった。

子どもの頃は、両親と兄二人、家族5人で暮らしていた。学校の帰りには友達と原っぱでボールで遊んだり、凧をあげたり、自分の家にみんなを誘いおばあちゃん自慢のぼた餅を一緒に食べたり、夜は母親とテレビを見たりした。とても幸せな日々だった。

しかし、マサヒロは8歳の時、人生最初の転機を迎えた。母親が病気で亡くなってしまい、なにもかも変わってしまったのだ。

当時、父親は洗濯屋を営んでいて、朝から晩までとても忙しかった。母親は子どもの頃から心臓が弱かったので、家事の全ては母の母、つまり、マサヒロのおばあちゃんがしていた。そのため、おばあちゃんは朝から夕方まで家に手伝いに来ていた。

元々病気がちの母親だったけれど、発作が起こって一ヵ月後、帰らぬ人となったことは家族にとって衝撃なできごとだった。まったく先が見えない状態だった。

おばあちゃんは「アケミは最後まで病気と戦い、今は天国でみんなを見守ってくれているのよ!こんな悲しい顔を見たら、がっかりするわよ!」と、みなを励ましてくれた。

時間の経過とともに、生活は徐々に前の状態に戻っていった。父親は仕事に没頭し、兄たちは学校から帰ると洗濯屋の仕事を手伝った。おばあちゃんは、以前どおり、家事一切を仕切ってくれていた。

母が亡くなって半年後、父親の知人が縁談話を持って来た。相手はサンパウロで美容師をしている15歳の息子を持つシングルマザー。都会の生活は大変なので、田舎に住むことを望んでいる人だった。

父親に再婚の気はなかったが、知人はそう簡単には諦めなかった。その後も何度も父を訪ね、決まり文句「よく働いて歌が上手い」を残して帰っていった。

結局、話はまとまり、式を会館で挙げた。シバタ家は大家族になった。

しかし、マサヒロにとって、継母と連れ子の兄との新しい生活は順調ではなかった。年が離れていた3人の実兄・義兄に毎日のようにいじめられるようになったのだ。継母に訴えても、何もしてくれなかった。

マサヒロは泣きながら、おばあちゃんの家に駆けつけるのが日課になった。父の再婚後、おばあちゃんはシバタ家に通う必要が無くなったので、毎日家でのんびりと過ごしていた。

家庭内でのいじめはなくならず、マサヒロはますます落ち込んだ。昼間は学校へも行かず、街をぶらつくようになった。

それを知った父親はマサヒロを殴ったり蹴ったりすることで、言うことを聞かせようとし、継母は怒鳴り散らした。そして、兄たちは無関心だった。

結局、マサヒロはおばあちゃんの家で暮らすようになった。その後は、学校にも行くようになり、勉強に励み、友達と仲良くして、元気に成長していった。

高校を卒業して受験勉強を始めた頃、おばあちゃんは胃がんを患い、化学療法を始めた。マサヒロは懸命に看病したが、残念ながら、5 ヶ月後、おばあちゃんは他界してしまった。

マサヒロは第二の転機を迎えたのだ。

「サンパウロで頑張りなさい。ばあちゃんは応援してるから」と、おばあちゃんはマサヒロに最期の言葉を残してくれた。この言葉を胸に刻み、ぜったいに実行しようと思った。

そして、サンパウロで一人暮らしを始めた。

それから2年くらいたったある日、職場の同僚3人が日本へ働きに行くと聞き、マサヒロは興味を持った。一緒に行くには間に合わなかったけれど、いろいろ情報を集め、マサヒロも日本へ行く準備を始め、ついに日本へ渡った。

あれから27年、マサヒロは今、初めて里帰りする。

続く >>

 

© 2017 Laura Honda-Hasegawa

ブラジル 出稼ぎ 家族 フィクション 外国人労働者 在日日系人
このシリーズについて

1988年、デカセギのニュースを読んで思いつきました。「これは小説のよいテーマになるかも」。しかし、まさか自分自身がこの「デカセギ」の著者になるとは・・・

1990年、最初の小説が完成、ラスト・シーンで主人公のキミコが日本にデカセギへ。それから11年たち、短編小説の依頼があったとき、やはりデカセギのテーマを選びました。そして、2008年には私自身もデカセギの体験をして、いろいろな疑問を抱くようになりました。「デカセギって、何?」「デカセギの居場所は何処?」

デカセギはとても複雑な世界に居ると実感しました。

このシリーズを通して、そんな疑問を一緒に考えていければと思っています。

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執筆者について

1947年サンパウロ生まれ。2009年まで教育の分野に携わる。以後、執筆活動に専念。エッセイ、短編小説、小説などを日系人の視点から描く。

子どものころ、母親が話してくれた日本の童話、中学生のころ読んだ「少女クラブ」、小津監督の数々の映画を見て、日本文化への憧れを育んだ。

(2023年5月 更新)

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