ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2016/10/17/paldi/

歴史に忘れ去られた町パルディと懐かしの梅の味

第二次世界大戦中、一家がポポフ(Popoff)とニュー・デンバー(New Denver)へ強制移動させられた時、私の母、ルース・アベ(旧姓トヨタ)はまだ幼い女子だった。母は、ショウシチ・トヨタとキリエ・トヨタ(旧姓オブチ)の間に生まれた14人の子供の下から2番目だった。一家はバンクーバー島のダンカン(Duncan)とカウチン湖(Cowichan Lake)の間に位置する木材の町パルディ(Paldi)に暮らしていた。偶然にも、ショウシチの兄ダイゴロウとキリエの姉ハナヨが結婚して隣に暮らしていた。写真結婚には、夫となる男性と初めて会い、うまくいかなかった場合にはどうなったのか、という話がしばしばある。ショウシチの場合、兄弟が姉妹を交換することでうまくいったのだろう。ダイゴロウとハナヨは11人の子をもうけたのだから。(これについてはまた別の機会に話すとしよう。)

パルディは差別的なブリティッシュ・コロンビア州の真ん中にありながらユニークな場所だった。そこでは、中国人、日本人、東インド人の子孫が共に遊び、文化や食べ物、伝統を共有していた。それは当時実に異例なことだった。

2000年にトム・タマギによって改訂され、戦前の80家族の位置を示した1933年版パルディの地図を手に、去年、私は従姉妹のジェーン・トヨタ博士とパートナーのリチャード・ケンノとともに、一家の跡地を探しに出かけた。当時の町はほとんどその姿を残していなかったが、幸運にもジョーン・マヨが案内してくれた。ジョーンはパルディの町を作ったマヨ・シンの長男の妻で、Paldi Rememberedの著者である。

私たちは宝の地図をたどるようにして、何年も前に家事で焼失した古い校舎と三角形をなす古い給水塔の場所を見つけようとした。ジョーンは、20年間そこに暮らしている近所のウェイン・バ―ラーに協力を求めた。「ああ、塔なら知ってるよ。危険になってきたから数年前に撤去したんだ」と彼は言った。私たちが地図を手に草むらを分け入ると、彼は給水塔の名残を指さした。そして、トヨタ家2軒の跡地と思われる開拓地を見つけた。家はトヨタ家によって建てられたが、厳密にいうと、土地はずっとマヨ家が所有していたため、Landscapes of Injusticeの調査によると、個人的な物品は別として、政府による土地の取り上げはなかった。

春になると美しい2本の梅の木がこの跡地の近くにあったが、森の真ん中に立っていたため、近くの自分の家の前に掘って移植したと通り過ぎるときにウェインが言った。

写真提供:阿部 マイケル

私は、母の昔の家を見つけたことに浮足立ったが、春にオンタリオから訪ねて来た母にその地を見せてあげたことにも同じくらい心が躍った。梅の木の話をすると、母と伯母が、小さな梅を漬けて、おにぎりの真ん中に入れる梅干しを作ったことを母はすぐに思い出した。移民家族にとって、梅干しは日常的な食べ物で、長い労働の一日に、冷蔵しなくても弁当の中身を保つのに役立った。

この春、母、妻、娘と従姉妹のケリー・ジェイムズと私はウェインのドアを再び叩いて、森を散策する許可を得た。私たちが興味のあった場所は実際には隣人のリチャードの土地で、彼はちょうどその時近くで木材の切り出し作業をしていた。話を聞いたリチャードは、家が建っていた場所をより正確に示してくれた。下の写真は私の母が家の「玄関先」に立っている様子である。「ただいま」

写真提供:阿部 マイケル

7月1日、私は梯子とバケツを持ち、ウェインの手伝いのもと、緑色をしたまだ熟していない小さな梅を3キロほど彼の家の前庭で採った。代々受け継がれたレシピを使ったのではなく、日本のCookDoウェブサイトの作り方を倣ったのだが、75年以上前の味を再現したいと私は梅干しを漬けた。そして、3週間の塩漬けと漬け込みの後、とうとう残すは日干しすること3日間のみとなった。そのすっぱいこと!そしてしょっぱいこと!まさに梅干しのあるべき味になった。舌の記憶を呼び起こすことができるかどうか、母と伯母に送るのが待ち遠しい。

「おいしかった。ごちそうさまでした!」

 

後記:Landscapes of Injustice はSocial Sciences and Humanities Research Council of Canada (SSHRC) ほか15共同団体に出資を受けている7年プロジェクトである。現在、調査は3年目に入っている。Landscapes of InjusticeのウェブサイトにはTouched by Dispossessionという欄があり、1940年代の日系カナダ人の所有地明け渡しに関する話を収集している。これには、土地や家といった大きな所有物から、小さくても意味のあるものも含む。これは、私の家族の話で、その一例である。Landscapes of Injusticeのニュースレターを定期購読したい方はmkabe@uvic.caのマイクまでご連絡ください。

 

* 本稿は、ビクトリア日系文化協会のニュースレター(2016年9・10月号)からの転載です。

 

© 2016 Michael Kenji Abe

ブリティッシュコロンビア州 カナダ 家族 食品 果物 日本食 パルディ プラム 梅干 バンクーバー (B.C.)
執筆者について

カナダ、オンタリオに生まれ育った日系カナダ人三世。祖父母が20世紀初めに日本の九州からカナダへ移住した。父方の家族は大分県別府市出身。父親はポート・アルバー二で生まれ、レモン・クリークに収容されたが、戦後はオンタリオ州ハミルトン市に移り住んだ。母方の家族は1907年をはじめとして福岡県にある大渕村からカナダへと移住。日本の山梨県甲府市に6年間在住した経験があり、1993年よりブリティッシュ・コロンビア州ビクトリア市に妻のいずみと、2人の子である建人と夏姫と共に暮らしている。これまでにビクトリア日系文化協会の会長を務め、現在はビクトリア大学Landscapes of Injusticeのプロジェクト・マネージャー。趣味はゴルフ、書道、墨絵。

(2016年10月 更新)

様々なストーリーを読んでみませんか? 膨大なストーリーコレクションへアクセスし、ニッケイについてもっと学ぼう! ジャーナルの検索
ニッケイのストーリーを募集しています! 世界に広がるニッケイ人のストーリーを集めたこのジャーナルへ、コラムやエッセイ、フィクション、詩など投稿してください。 詳細はこちら
サイトのリニューアル ディスカバー・ニッケイウェブサイトがリニューアルされます。近日公開予定の新しい機能などリニューアルに関する最新情報をご覧ください。 詳細はこちら