震災から4年となる日を間近に控えた2015年2月14日。被災者の一人を訪ねた。名前は大久保勝彦さん(74)。被災者のために用意された借上げ公営住宅1に入居している。
震災当時、大久保さんが住んでいたのは、仙台市若林区荒浜地区。夏は海水浴場として賑わう同地区を9メートルほどの津波が襲った。退職金で建てた築5年の大久保さんの住宅はこの波にすっぽりとのまれてしまった。
「津波が間もなくやってくる」。ラジオから流れるこのニュースを耳にした大久保さんは、ただちに自宅を飛び出した。自分は町内会長。至急避難するよう町内の住民に伝えなければならない。
自転車での避難呼びかけが終わったので、荒浜小学校に避難した。それから間もなく津波が襲来。2階の教室にいた大久保さんは、2階の天井に届くほどの高さの津波が廊下を流れて行くのを、ただ茫然と眺めていた。流れが一方向に向かっていたせいか、教室内に浸入してきた水は、膝下で済んだ。恐怖のほどは、もちろん膝下程度ではない。
翌日には陸上自衛隊霞目駐屯地の体育館に移動。その後、八軒中学校、サンピア仙台を経て現在の仮住まいに落ち着いた。現在は奥様との二人暮らし。
大久保さんが住む借上げ公営住宅には、現在51世帯が入居している。東松島市など他市から避難してきた人々もいるこのコミュニティーは、いわば寄せ集め。でも、近隣の草刈り作業などには対象世帯数の80%ほどが参加する。大久保さんによると、いいつながりを持つコミュニティーなのだとか。
大久保さんが住んでいた地区は、災害危険区域。新築も増築も認められない。そのため移転することになる。かつての住民には仙台市より3つの選択肢が示されている。①集団移転か②単独移転か③復興公営住宅入居か。大久保さんは集団移転を選択した。移転先に建築中の住宅はこの2月に完成。3月には引っ越しとのこと。このことを話す時の大久保さんは少し誇らしげだった。
「行政の支援は十分だったか?足りないと感じた支援はなかったか」
私のこの質問に、大久保さんは「十分だったと思う」と答えた。「ただ、プレハブ仮設住宅には各種支援が届いたようだが、借上げ公営住宅には最初届かなかった。自分の住む所は避難先を示す地図にも載っていなかった」とも付け加えた。
「行政の対応はどうだったのか?」
私の次なる質問に大久保さんは次のように語った。「市役所が私たちを対象に何度か住民説明会を開いた。その際、私たちの質問や要望をその場で回答していただけず、持ち帰ったことが何度もあった。また、集落ごとの移転を希望したが、聞き入れられなかった」
「復興に時間がかかるのはなぜだと思うか?」
難しそうな質問のせいか、答えが出るまでにやや間があった。そして大久保さんは次のように話した。「住民の意見がまとまらなかったことかも?」
仮住まいの生活が始まって少したった頃から、荒浜地区住民の意見は2つの派に分かれた。元の場所で生活再建したい派と、身の安全を第一として内陸部に移転する派に。対象地区住民の意見に耳を傾けながらも同地区を移転対象地区と仙台市が決めたのは、2011年11月。
移転対象地区の世帯数は約1,540。対象世帯には、前述のように3つの選択肢が示された。2014年8月1日現在、集団移転を選択した世帯数は675。単独移転を選択した世帯数は514。復興公営住宅を選択した世帯数は317。その他未定など34となっている。2
集団移転を選択した場合、被災宅地の買い取り(任意)、引越し費用の補助、住宅再建・土地取得に係る利子の補助を国から受けられる。また、仙台市からは住宅再建・土地取得への経費補助と、希望者には上限を50年とする移転先宅地の無償貸与を受けられる。
一方、単独移転を選択した場合も、集団移転を選んだ場合とほぼ同じ支援を受けられる。ただし、この場合、仙台市の独自支援策である移転先宅地の無償貸与は受けられない。
また、もうひとつの選択肢である復興公営住宅(集合住宅)は、2014年9月末現在、728戸分が完成。2016年3月末までには3,206戸分すべてが完成予定である。
住まいの再建に向けた選択肢が用意されるなかで、仮設住宅に入居し続けざるを得ないという現実が存在しているのも事実だ。2015年1月1日現在、市内の応急仮設住宅の入居状況は下表のとおり。現在の入居世帯数は、ピーク時となった2012年3月末の約6割となっている。これを多いと見るか、少ないと見るか。判断の分かれるところだ。
応急仮設住宅の種類 |
入居世帯数(世帯) |
入居世帯数(世帯) |
プレハブ仮設住宅 |
802 |
1,346 |
借上げ民間賃貸住宅3 |
6,043 |
9,838 |
借上げ公営住宅等 |
365 |
825 |
合計 |
7,210 |
12,009 |
応急仮設住宅に入居できる期間について2015年1月9日更新の仙台市公式ウエブサイトには次のように記載されている。4応急仮設住宅の供給期間は合計5年以内。震災から5年目となる来年には、ほとんどの入居者が退去せざるを得なくなると言えそうだ。それは、応急仮設住宅入居中に負担を逃れていた家賃、あるいは移転先の住宅取得費用の負担が発生することを意味する。
これまで述べたものは、被災者の住まいの再建・生活再建に関するものだ。それと並行して、仙台市では津波防災対策も進めている。県道かさ上げ工事もそのひとつだ。海岸線から1キロほど内陸に入った所を走る県道の高さを6メートルほどにかさ上げしようというものだ。この発想は、大震災後の津波が陸地に浸入してきた際、仙台東部道路が防波堤の役目を果たした、という教訓と深い関係があるかもしれない。
津波防災対策としては、他にも避難道路や津波避難施設の建設、海岸公園の整備などが進められている。これらは地権者との交渉や地域との調整などが必要なため、工事完了までには数年を要しそうだ。それは大震災がもたらした爪痕の深さと、行政側が練った復興計画の綿密さを表していると言ってもいいかもしれない。
第3回国連防災世界会議が3月14日から5日間、仙台市で開催される。193か国から参加者を迎えての大イベント。仙台は最後の準備に余念がない。各国からお迎えする大勢の人々を前にして、被災地から世界に向けてどのような情報を発信されるのか。開催地の市民としても興味が尽きない。海外から届いた支援に対するお礼の気持ちもその中に含まれていると、ちょっぴりうれしいのだが…。
注釈:
1. 借上げ公営住宅等:市などが保有する公営住宅や企業の社宅などを被災者に無償で貸している住宅
2. 戸建て住宅を建設して移転する形態のうち、集団移転は市が提供する地区に移転するもので、単独移転はそれ以外の地区に移転するもの。復興公営住宅は、基本的に集合住宅であるが、一部戸建て住宅もある。
3. 借上げ民間賃貸住宅:民間が所有するアパートやマンションを県が借り上げ、被災者に無償で貸している住宅。
4. 参考資料:仙台復興レポートVol.27
http://www.city.sendai.jp/shinsai/report/report27.pdf
© 2015 Tsutomu Nambu