ある日のこと。日伯の事務所で仕事をしていたら、御年80歳を超えるアマゾンの生き字引川田さんが声をかけてくださった。
「来週、運動会だからその賞品の買い出しにつきあってくれんか。」
我々は川田さんの車に乗り込み、セントロを目指した。
数日後、市内のゴルフ場マナウスカントリークラブでは熱帯特有の熱い熱い日差しの下、運動会が行われた。参加したのは日系人、日本人、そして近所に住むブラジル人。我々が勝ってきた賞品は無事にそれを心待ちにしていた多くの子供たちの手に届くことになった。ブラジルのみなさんは、賞品、景品、プレゼントを贈るのも貰うのも大好きで、ビンゴゲームはいろいろなイベントな中でも最も盛り上がるのだ。大音量で美空ひばりが流れる原っぱで大人も子供もみんな楽しそうに競技に熱中している。
中学校を卒業して以来、運動会というものにまともに参加した経験がなかった私は、地球の反対側、赤道から南に3度ほど下った熱帯雨林の中で古き良き時代の運動会が行われていることに衝撃を受けた。瓶釣りに借り物競争に玉入れ、綱引きに徒競走。流れるBGMが懐かしい昭和の時代へと呼び戻してくれる。
ここでは運動会だけではなく、成人式、ひな祭り、こどもの日、七夕、そして敬老の日に盆踊りなどのイベントが毎年きっちりと行われている。現代の日本人が忘れつつある年中行事がしっかりと守られているのだ。
ひな祭りの日は西部アマゾン日伯協会日本語学校子どもクラスの先生たちが中心になってその日を祝う。マナウスでは決して安くない「ひなあられ」を食べ、子供たちと一緒にひな祭りの歌を歌い、折り紙をしたりリクリエーションをしたり。何段飾りだろうか、大変豪華な雛人形もこのイベントに花を添える。
毎年8月は盆踊りのシーズン。マナウス付近にはいくつかの日本人入植地が点在しているため、週替わりで3回ほど盆踊りや花火を楽しむことができた。第一週はエフェジェニオサーレス、第二週はベラビスタ、第三週は日伯とこんな感じだ。
盆踊りが行われる前には慰霊式が行われる。サンパウロのお寺からお坊さんを呼び読経をお願いし、全員で戦前戦後、この秘境に日本から渡り尽力された先人に対して鎮魂の祈りを捧げるのだ。ブラジル国内で行われる行事はキリスト教の影響を受けたものが多く、移住者のみなさんの中にも改宗された方が大勢いるが、この慰霊式は仏教にのっとって行われている。「緑の地獄」とも表現された過酷極まりない環境の下、マラリアやデング熱などの病気や不慮の事故でお亡くなりになった移住者も大勢いる。
盆踊りの会場には、現地の日本企業の提供で作られた紅白の提灯が飾られ、巨大なやぐらの上に太鼓も設置される。
まずは、この地に古くから住んでいる一世・二世のご婦人方がおしゃれな浴衣姿で上手に踊り出すと、見様見真似でブラジル人もそれに続いて踊り出す。炭坑節や東京音頭などの日本でもおなじみの曲、ドラえもん音頭や相川七瀬、チェッカーズの曲でもみなさん上手に踊るものだ。
ブラジル人は浴衣の着こなしが多少変でも構わない。みんなの顔に笑顔が溢れ、夜が更けるにつれて踊りの輪はどんどん大きくなっていく。大自然の中、アマゾンの盆踊りはこうして夜遅くまで続いていく。
カントリークラブの運動会。日本から40日、50日もの船旅でやってきた一世のみなさんもブラジルで生まれた二世・三世のみなさんも日本に全くルーツを持たない現地のブラジル人もみんな一緒になって炎天下のグランドを駆けぬける。本気モード全開で戦った後は、笑顔が笑い声があふれる。
ジャングルの中の盆踊り。日本からの駐在員もブラジル人の若者も太鼓の周りで一緒になって踊る。屋台に並ぶのはブラジル焼肉にペルーのセビーチェ(マリネ)、そして日本の饅頭。ジャングルの空、漆黒の闇に浮かぶ大輪の花火をビール片手に川田さんが見ながら呟く。
「おお。今年の花火はなかなか迫力があっていいですねえ。」
運動会に盆踊り、日本人移民が持ち込んだ文化のかけらは、日本とブラジルの間を結ぶ素晴らしいコミュニケーションツールになっている。
© 2015 Toshimi Tsuruta