ディスカバー・ニッケイ

https://www.discovernikkei.org/ja/journal/2014/4/4/chile/

日系チリ移民略史

1910年から1940年の間、チリに入国する日本人移住者の数は900人を超えることは決してありませんでした。専門職を持つ人やビジネスマン、近隣諸国から入って来る労働者など、チリにやって来た日本人の経歴は実に多彩でした。日本人が主に定住したのは硝石の豊富な北部と、中部のバルパライソとサンチアゴに多く集まりました。日本人はいろいろな職に就きました。サラリーマンになったり、小さな商売、特に散髪業に従事した人もいました。初期の移民は圧倒的に男性でした。日本人移民男性のほとんどはチリ女性と結婚しました。誕生した二世は「チリに住むのだから、チリ人になる」ようにという信念の下に育てられました。

キヨキ・カタオカさんの散髪屋エル・ソル店で。店は第2次世界大戦前チリ第2州にあるチュキカマタにあった。(チリ日系慈善協会所蔵)

太平洋戦争・第2次大戦の影響

でも、太平洋戦争が起こると、反日感情が高まり、日系人のチリ社会への同化過程が妨げられました。1943年の初めから、数十名の日系人が銅鉱山などの戦略的重要地区から内陸部へと強制的に移住させられました。日系人は戦争中の敵対的態度に対処するためお互い支え合って、日系コミュニティは団結を強めました。この団結は戦後、Sociedad Japonesa de Beneficencia “Nikkei-Chile” (チリ日系慈善協会)という形で組織化されました。

「危険な日本人」に言及し、その対策を訴える新聞記事の見出し、1942年。(チリ日系慈善協会所蔵)

日系チリ人の将来は?

1990年代までには、日系チリ人はチリ社会で中流階級の地位を獲得し、高い教育を受け、ホワイトカラー職に就くようになっていました。日系人口の多い他のラテンアメリカの国とは異なり、デカセギとして日本に出かけたのは日系人口の5%にも達していません。日系人口が少ないことと団結がなく、混血が多いことが、日系チリ人の将来に影を投げかけています。

三世夫婦ケンジ・コダマさんとアレハンドラ・ミウラさん。3人の子供と共に。日系同士の結婚の珍しい例。1999年。(チリ日系慈善協会所蔵)

出典:

キクムラ=ヤノ、アケミ編 『アメリカ大陸日系人百科事典ー写真と絵で見る日系人の歴史』 明石書店、2002年。

 

* 共同制作: チリ日系慈善協会

 

© 2002 Japanese American National Museum

チリ 百科事典 移住 (migration)
このシリーズについて

日系人が50以上の国で生活しているのをご存知ですか?ここでは、日系人の経験を各国別にまとめた移民略史をご紹介します。

このセクションの資料は『アメリカ大陸日系人百科事典―写真と絵で見る日系人の歴史』 (アケミ キクムラ=ヤノ編、明石書店, 2002)から抜粋・追加したものです。*英語版:Encyclopedia of Japanese Descendants in the Americas: An Illustrated History of the Nikkei, Akemi Kikumura-Yano, ed. (Walnut Creek, CA: AltaMira, 2002).

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執筆者について

アケミ・キクムラ・ヤノは、カリフォルニア大学ロサンゼルス校アジア系アメリカ人研究センターの客員研究員です。カリフォルニア大学ロサンゼルス校で人類学の博士号を取得しており、受賞歴のある作家、キュレーター、劇作家でもあります。著書『過酷な冬を乗り越えて:移民女性の人生』で最もよく知られています。

2012年2月更新

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