日系人の大部分は1890年代から1920年代にかけてカナダへやって来ました。最初に記録されている日本人のカナダ移民は1877年です。初期の移民は、ブリティッシュコロンビアで材木業や鉱業、漁業、農業などに従事しました。日本人のカナダへの移民は1905年から1907年にかけて頂点に達します。これが反日感情を大きく刺激することになりました。
日本人排斥の要求が通って、1908年に林=ルミュー「紳士協定」となり、日本人労働者は年間400人しかカナダに移民できなくなりました。それでも、日系人の直接の家族はカナダに移民することが許されていたので、以後数年、「写真花嫁」のカナダ移民が増えることになります。でも、1928年までには、日本移民は年間150名にまで制限されてしましました。
カナダ強制収容所
家族が出来るようになり、コミュニティは安定しましたが、太平洋戦争によりその基盤が破壊されてしまいました。開戦後すぐ、日系人の財産は没収され、日系人は内陸部の収容所へ送られました。戦時対策法のもと、収容者は-そのほとんどはカナダ市民でしたが-戦後、東へ移住するか、市民権を破棄し日本へ帰ることを強要されました。1949年まで日系カナダ人は、ブリティッシュコロンビアへ帰ることもその市民としての権利を完全に取り戻すことも出来ませんでした。
戦後と補償運動
戦後は、日系カナダ人は急速に一般カナダ社会へ同化して行きました。ほとんどはトロントかバンクーバーに住み教育レベルも高く、非日本系の配偶者と結婚しています。
戦争中の強制収容に対する賠償運動により、日系カナダ人社会は一つにまとまり、1988年にはそれが日の目を見ることになりました。今日では、日系コミュニティは内部で多様化が進んでいるにもかかわらず、前例を見ないほどの密度の高い組織化を達成しました。
出典:
キクムラ=ヤノ、アケミ編 『アメリカ大陸日系人百科事典ー写真と絵で見る日系人の歴史』 明石書店、2002年。
* 共同制作: 全加日系人博物館
© 2002 Japanese American National Museum