ボリビアに最初の日本人移住者が入国したのは1899年でした。それから約100年の歴史を刻んだボリビアの日系社会には、現在2つの異なる日系人 グループが存在しています。
その1つのグループは第二次世界大戦前に移住した日本人の子孫たちで、もう1つのグループは戦後に移住した日本人とその子孫た ちです。しかしいずれのグループからも、弁護士や医者などの専門職に就く日系人が誕生しています。
戦前の日本人移民
第二次世界大戦前にボリビアに入国した日本人の多くは、出稼ぎ労働者としてペルーへ渡航した後にボリビアに転住した人々でした。特に1920年前後 までにボリビアに入国した日本人は、奥アマゾン源流地帯に生育していた野生のゴムの木からゴム液を採集する労働者として働き、やがて現在のボリビア北西部 の町や集落に定住してボリビア人女性と所帯を持ちました。
その結果、戦前の移住者を父祖とする日系ボリビア人のほとんどは混血日系人であり、日本語も日本 の伝統文化も受け継ぎませんでした。わずかに首都ラパスに定住し商業活動に従事した日本人たちが日本から花嫁を呼び寄せて所帯を持ち、子供達に日本語教育 を与えたため、奥アマゾン源流地帯の日系社会とは異なる社会を形成しました。
第二次大戦の影響
日米戦争の勃発によって、アメリカ合衆国の同盟国であったボリビアはラパスに定住していた29名の日本人をアメリカ国内の収容所に送り出しました が、国内では積極的な反日政策をとりませんでした。そして戦後のボリビアは、日本人の集団移住を受け入れた数少ない国の1つとなりました。
戦後の日本人移民の流れ
戦後、ボリビアと日本の間で1956年に移住協定が締結され、オキナワ移住地とサンフアン移住地という2つの集団移住地が建設されました。沖縄から は米軍基地の拡張のために農地を失った農民が、また本土からは戦争で破壊された貧しい日本を脱出し未来を新天地に求めた人々が、ボリビアへ移住しました。一方、ボリビアでは「ボリビア革命」として知られる急進的な社会・経済改革が進められており、それまでほとんど開発されていなかった東部低地のサンタクル ス地方でも農地改革が実施され、集団移住者に無償で土地が分譲されていました。
このように戦後移住者は、日本とボリビア双方の事情が合致して日本から送り 出され、ボリビアで受け入れられた農業移住者集団だったのです。戦後の移住者も最初の20年ほどは辛くきびしい生活を経験し、多くの仲間たちが去って行きました。しかしやがて経済成長を遂げた日本からの援助が本格化し、現在では機械化営農を営む豊かな日本人移住者を出現させています。
出典:
キクムラ=ヤノ、アケミ編 『アメリカ大陸日系人百科事典ー写真と絵で見る日系人の歴史』 明石書店、2002年。
* 共同制作: 慶応大学地域研究センター共同プロジェクト、ボリビア日系協会連合
© 2002 Japanese American National Museum