日本名の響きは、ブラジル人にとって、奇妙に聞こえる。最初の移住者は自分にもブラジル名を選んで、子どもにも「ガイジン1」の名前を付けた。こんな小話もある。一世の父親が息子に名前を付けるとき、友人が「アントニオかジョアオンかカルロスを提案するよ」と言うと、「提案する」というポルトガル語「sugiro」を名前だと思い、その3つのブラジル名を無視し、息子に「スジロウ」と名付けた。
私の友人シゲル・イエツグが新しい上司に自分の名前を何度言っても、上司は、どうしても聞き取れなかった。仕方なく、部下を「パウロ」と呼ぶようにした。
日系人だったら、自分の名前にまつわる可笑しいエピソードや当惑させられた経験など必ずあるはずだ。だから、自分の名前がいろんな風に発音されてしまうことも気にしなくなった。
ある時、私は超音波検査のため、水を6杯も飲んで、検査の順番を待っていた。とても長い間、今か今かと待っていた。やがて「ジョルジ・・・ガオゥン」と呼ばれた。長い廊下を歩いて行くと、何が可笑しいのか、皆が私を見ながらにやにやしながら、笑っていた。係りの女性も笑い転げていたので「なんで笑ってるんですか?」と聞いた。
「すみません。お名前をジョルジ・ネガオゥンと呼んでしまったのです」と、間違えて発音したことを認めた。小麦色の肌の女性は恋人を思い出して、「ネガオゥン2」と言ったのだろう。
見合いのような紹介結婚によって男女が結婚する習慣がもう無いので、若い世代の日系人の名前は純ブラジル名で、苗字も様々だ。ポルトガル系、イタリア系、ポーランド系もある。これは、日系人が様々な人種と結婚することが増えたためで、もう後戻りできない。
ブラジル銀行での選挙のとき、行員の多数が日系人であったため、私が選ばれた。私を知らない人でも、日本名だからと信用してくれたのだと思う。
以前なら、日本名を持つ人は工学、農業、歯学、また、スポーツだったら柔道と卓球に限られていたが、現在では、ブラジル文化に完全に溶け込んだ日系人はいろんな分野で活躍している。誰もが認めることだ。
先日、私は他のクラブ会員に「作家」として紹介された。すると、彼は「えっ?書物を書く日本人っているの?」と、驚いた。もちろん、私たちは書くし、演じるし、そして歌うし、何も恐れず、挑戦するとも。
最後に、固いことは言わないで、私たちの日本名を使って言葉遊びをしよう。これは原(ハラ=まれ)な機会だけど、危険な高田(タカダ=ショット)だ。さぁ、行くぞ。
日系人の人生って森(モリ=モレ=簡単)ではない。我らの名前についてダジャレを聞くのはとても佐藤(サトウ=シャト=嫌)だ。岡田(オカダ=オゥカダ=それぞれ)、問題を抱えているから。石井(イシイ=シイ=しまった)、大田(オオタ=あっ!)もう時間だ。野田(ノダ=ノゥンダ=だめだ)帰らなきゃ。友よ、伊藤(イトウ=トゥ=私は行く)。宮本(ミヤモト=ミニャ・モト=私のバイク)スズキを加藤(カトウ=カト=取りに行って)、遠藤(エンドウ=インド=私は帰る)。そして、藤井(フジイ=その場を去った)。
さよナガオ!
訳者注釈
1. ブラジル人
2. 「Negão」黒人男性の愛称
* このストーリーは、2014年8月26日ブラジルサンパウロの文協でで行われた、ニッケイ人の名前シリーズのライティングワークショップで執筆されました。
© 2014 Jorge Nagao
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