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第7回 南部加州の日系人~その3

第6回 「南部加州の日系人 ~ その2」を読む >>

 ロサンゼルスに登場した幾種類もの日系人団体

 
ロサンゼルスに移住した日本人が排日の圧力など抗し、自らの権利を擁護するために「南加中央日本人会」を組織し戦争開始までその役割を果たしたことを前回紹介した。そのほか、ロサンゼルスには戦前から戦後を通じて、あるいは戦後になって経済、教育、宗教などさまざまな領域で日系人による各種団体が誕生し活動してきた。

「百年史」が細かくまとめているこうした団体の役割と活動について以下紹介したい。

その代表格「南加日系人商業会議所」は、戦後4年の1949年9月に発足がきまり、9月13日に都ホテルで第1回の理事会が開かれた。

「本会議所は優秀なる生産品、技術及びサービスを奨励し、よき市民を育成することによって南加に居住する全日系人の経済的社会的に並に一般的な福祉を増進するを以て主要な目的とする(第二条)」と、その目的が定められた。

また、その機能は商工業だけでなく、組織は通商部のほかに農業部、社会部、文化部、教育部、講演部、一般市民部、青年部などを抱えた。「日商のサービス」としては以下のようなものがあげられている。

  • 帰化申請書作成援助
  • 永住権確立手続きの援助
  • 外人住所登録斡旋
  • 故国よりの来訪者応接、案内、歓迎会開催

このほか、日本難民救済事業として終戦直後から日本の戦災難民救済のために物資や義捐金(5万ドル)を集めて発送している。また、日本に戦争花嫁を残して帰還したアメリカ人のために相談や手紙の翻訳なども行っている。

「南加日系人商業会議所」(百年史より)

最初の理髪師は1900年

日本人による旅館やホテル経営の歴史は古く、1906年には羅府日本人旅館組合が組織された。戦前はホテルなど360軒が組合に加入、戦後1947にも400人の業者がいた。49年には「羅府ホテル・アパート組合」が結成。「諸物品の安価購入、経費削減など経済的進出を計るもので、発足以来、ランドリー、リネン、ソープなどの研究部を設けて業者の経営合理化に益した」という。

日本人の理髪店の歴史をみると1891年にサンフランシスコで西島勇という理髪師が最初に開業、ロサンゼルスでは1900年に広島県人の理髪師柳菊太郎がプラザ公園ロサンゼルス街で開業した。1910年には羅府理髪業組合が創立。39年ごろが組合の全盛時代で、80軒以上の理髪店があった。それが60年ごろには33軒となり従事者のうち二世が半数近くになっている。

同郷人の福祉につくす県人会

「日本人会に次ぐ団体」として百年史が詳述しているのが県人会組織だ。もともと社交、相互扶助などの目的で組織化された県人会だが、その後日本人会の役員選挙での選挙母体になるなど政治性を帯び、一時は県人会間の軋轢などがあった。

本来の目的にもどってから1930年代には「同県人の老衰困窮者救済や県人無縁者の葬儀などの世話」にもあたった。初期の1915年ごろまでに発足した県人会だけでも「福岡、和歌山、広島、岡山、山梨、山口、東京、千葉、長野、愛媛、熊本、宮城、福島、鳥取、沖縄、愛知、福井、茨城、岐阜、栃木、静岡、岩手、島根、大分」と数多い。

各県人会の会員数をみると、1926年の時点で最も多いのが広島で、1200人と群を抜いている。つづいて和歌山、熊本、鹿児島が各400人、福岡350人、岡山300人、福島200人などとなっている。

戦後になると、二世、三世の成長のなかで「いまさら県人会でもあるまい」という空気があったものの、「県人困窮者や葬儀の世話、郷里被災者の救援、日本からの訪問者歓迎など」で県人会の必要性が生じ1950年前後から再組織化された。再び親睦をはかるため戦前盛んだったピクニックが復活して大盛況だったという。

また、県人会という名称のほかに「○○クラブ」に改称した団体もあり、活動は活発で百年史が発行される直前の1960年時点では、20の団体が組織されている。

婦人団体では子宝の表彰も

婦人団体の発足も早く1904年には「羅府日本婦人会」が組織された。その後県人会、宗教団体などのもとにいくつもの婦人会ができた。名称を変えて戦前からつづいた「南加日系婦人会」は日米親善など幅広い活動をおこなった。

戦後の異色の事業としては「子宝母親表彰」というのがあり、南加州に居住する10人以上の子宝母親52人が表彰され、「子宝七福レコード(豊竹誉太夫吹き込み)」など賞品が授与された。

このほか団体としては、日本人が得意としていた庭園業の組合として「南加庭園業連盟」が1938年につくられた。庭園業のはじまりは1900年ごろで草刈りや芝刈りの仕事に端を発している。1905年時点の調査でロサンゼルス市内の日本人庭園業者は179人に達し、以後増加し経済的にも成長した。戦後の46年ごろにはその数は3000に達した。

このほか存在の大きいのが各宗教団体で、キリスト教関係のほか天理教、成長の家、金光教、世界救世教などがある。(仏教は別のところで紹介されている)

変わったところでは「北米百働会」なるものが59年2月に発足した。前年9月に元文部大臣で広島大学学長の森戸辰男の歓迎会が開かれその席で設立が決まった。設立のメンバーの一人には「百年史」の編集・執筆者の加藤新一がいた。

「南加日系人婦人会」(百年史より)

(注:敬称略。引用はできる限り原文のまま行いましたが、一部修正しています。また、地名については「百年史」にある表し方を基本としました。)

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© 2014 Ryusuke Kawai

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このシリーズについて

1960年代はじめ、全米を取材して日系社会のルーツである初期の日本人移民の足跡をまとめた大著「米國日系人百年史」(新日米新聞社)が発刊された。いまふたたび本書を読み直し、一世たちがどこから、何のためにアメリカに来て、何をしたのかを振り返る。全31回。

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執筆者について

ジャーナリスト、ノンフィクションライター。神奈川県出身。慶応大学法学部卒、毎日新聞記者を経て独立。著書に「大和コロニー フロリダに『日本』を残した男たち」(旬報社)などがある。日系アメリカ文学の金字塔「ノーノー・ボーイ」(同)を翻訳。「大和コロニー」の英語版「Yamato Colony」は、「the 2021 Harry T. and Harriette V. Moore Award for the best book on ethnic groups or social issues from the Florida Historical Society.」を受賞。

(2021年11月 更新)

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