ジャーナルセクションを最大限にご活用いただくため、メインの言語をお選びください:
English 日本語 Español Português

ジャーナルセクションに新しい機能を追加しました。コメントなどeditor@DiscoverNikkei.orgまでお送りください。

sports

ja

意外と知られていない大相撲における日系人の活躍

「巨人、大鵬、卵焼き」
「江川、ピーマン、北の湖」

これらは、昭和時代の日本社会で流行した言葉です。当時、大相撲は野球と並び、大衆の娯楽を代表するものでした。

これらの流行語が一世を風靡してから、数十年が経ちました。悲しいことに、現在の日本社会では、大相撲の人気が低迷しています。貴乃花親方を中心としたグループが抜本的な改革をさけぶ一方で、ここ数年、力士や関係者らによる不祥事がマスコミをさわがせました。そして、2011年の春、本場所の開催が中止となり、代わりに技量審査場所が開催されるという、異例の事態が起こりました。

以来、日本の大相撲は威信回復に努めていますが、今でも存続の危機に立たされています。

このように非常に困難な日本の大相撲界ではありますが、この世界で頑張っている日系人がいることを、あなたは知っていますか?

魁聖一郎(かいせい・いちろう)

場所入りする魁聖、2010年。(写真:ウィキペディアより)

彼の本名は、リカルド・スガノ。三世の日系ブラジル人です。小さい頃より相撲の稽古を始め、ブラジルで行われた全国大会において無差別級優勝を勝ちとった、エリート力士です。ブラジルで一番という輝かしい経歴をもつ彼は、2006年の春に来日し、友綱部屋へ入門しました。この年、彼は前相撲で力士デビューを果たしました。

その後、およそ1年ほどで、三段力士として活躍するようになった魁聖は、幕下を経て、2010年7月、ついに十両に昇進、関取になりました。さらには、同年の11月場所、彼は十両で優勝し、念願の新入幕を果たしました。

2011年5月の技量審査場所では、初日から9連勝。新入幕の場所であるにもかかわらず、横綱佐田の海の記録に並び、敢闘賞を受賞しました。その後、一時的に番付が十両に下がったもの、2014年現在、彼は幕内上位力士のひとりとして、そして、未来の三役を目指して活躍しています。

わたしが彼のことを知ったのは、来日したばかりの彼をとりあげた短いドキュメンタリーを観たことが、きっかけでした。ドキュメンタリーで、タニマチ(支援者、支持者)からいただいたスッポンの刺身を親方(元関脇魁輝)にすすめられた魁聖は、それを口にしたとたん目を白黒させていました。わたしには、この彼の姿が非常に印象的で、それ以来彼の番付に目を通すようになりました。

それと同時に、わたしは彼以外の日系人力士にも、関心を持つようになりました。調べると、彼以外にも、日系ブラジル人の力士がいたことが分かりました。すでに現役を退いていますが、玉ノ井部屋の北東清(きたあずま きよし)と東風太士(あずまかぜ きよし)です。また、日系ブラジル人力士が誕生するずっと前、1930年代にすでにアメリカ生まれの二世の力士がいたことを知りました。

豊錦喜一郎(とよにしき・きいちろう)

豊錦関の本名は尾崎喜一郎。コロラド州生まれの日系アメリカ人です。1920年に生まれ、17歳のときに、日本にやってきました。翌年、彼は出羽海部屋の門をたたき、本格的に相撲の修行をはじめました。

しかし、彼の相撲人生は、決して楽なものではありませんでした。というのも、彼がようやく関取になったとき、すでに日本はアメリカと戦争状態にあったからです。戦時中、彼はアメリカ国籍保持者であることを理由に、アメリカのスパイではないかという疑いをかけられ、特高(特別高等警察)の厳しい監視を受けました。これがよっぽど堪えたのか、彼は今後このような疑いがかかることを避けるため、アメリカ国籍を放棄し日本国籍を取得します。そして、力士になるという日本へ来た本来の目的を一時中断し、旧日本軍に入隊しました。

そして、戦争が終わり、復員した彼は再び、力士としての道を歩み始めますが、第二の力士生活はそう長くは続きませんでした。

結局、力士になることを諦め、進駐軍の通訳の仕事につき、進駐軍が日本を去った後は、東京で旅館を経営するようになりました。その後、彼はアメリカ国籍の再取得したものの、1998年に日本でこの世を去りました。

もし戦争がなければ、若乃花(初代)や栃錦のような、歴史に名前を残す偉大な力士になっていたかもしれない。そう思うと、日米戦争ゆえに、力士への道が立たれた彼の人生は、とても残念に思えてなりません。

日系人がもたらすだろう大相撲の復権

現在も、各地の日系人社会においては、相撲の人気は絶えないものです。野球やバスケットボール、サッカーなどの球技と比較をすると、いささか見劣りしてしまいますが、歴史の長さという点においては、右に出る存在はありません。

その証拠に、現在もなお、各地の日系人社会においては相撲が行われています。また、小東京の二世週祭でも、相撲大会が開催され、多くの人々が会場に足を運びます。

そして、各地の日系人社会のなかで実力をつけた人々のなかには、日本に足を運び、本格的な修行をする人々がいます。現在の日本の大相撲では、モンゴル人力士や、ヨーロッパ系力士の活躍ぶりが目立ち、日系人力士への関心はなかなか集まりませんが、これからの日本の大相撲で更なる活躍をすることを期待しています。魁聖関の活躍は、人気低迷がさけばれている日本の大相撲の復権に貢献するのではないと、影ながら応援しています。

© 2014 Takamichi Go

Japan sports sumo