東北レシーフェに用事ができたので飛行機の便を予約した。サンパウロへ帰る前、ブラジリアに寄る事にした。そこには昔からの知り合いがいるので、サンパウロから何か珍しいものをおみやげに持って行くことにした。その友人がサンパウロへいた頃、私たちはよく日系人が経営するゴルフの練習所へ行き、キムチをつまみにビールを飲みながら汗を流していたのを思い出し、近くの韓国食料品にあるキムチとカブの赤唐辛子漬けとニンニクを持っていくことにした。
しかし、店でキムチとカブの赤唐辛子漬けとニンニクを手にした時、「あっ!これはヤバイ!」と感じた。臭いが強烈だったのだ。やめようとしたら、お店の主人が、「うまく梱包するからダイジョウブ」と自身満々。丁寧に、何回も密閉した容器をお肉屋さんのようにセロファンをまきつけてくれた。しかし、家へ帰る車内、すでにすごい臭いがした。後の悲劇を予感させる物があった。
うちに帰って出張の準備を終わらせると、妻が「これはなあに?」と、興味深く例の包みを持ち上げた。事情を説明して、家においておくことにしたと話すと、「あら!それでしたら私に良いアイデアがありますよ!」と、さっさと包みを持っていき、なにやらし始めた。アルミの包みにしたら大丈夫だと言うのだ。「そうかな」と首をかしげているうちに、さっさと手さげ袋に入れて、飛行場まで送って行く車の後ろに詰め込んでしまった。
コンゴニアス空港でチェックインを終わらせた後、手さげ袋を持って待合室のあいた席に座り、時間が来るのを待った。隣にはやや年配の人が座った。新聞を広げて読み出したが、すぐにきょろきょろしだした。そのうちに立ち上がって別のところへ座った。私はヒヤッとした。足元に置いた袋から、あの否定できない臭いが漂っていたのだ。いっそうのこと手洗いに行って、そっと、ごみ箱に入れて処分しようかとも思った。しかし、「待てよ。変に誰かに見つけられ、疑われて、質問などされたりしたら・・・」と思い、やめることにした。
しかしこうなると、「これはっ!」という名案はなかなか浮かばないものである。そこで「待てよ、機内ではエアコンが効いていて、気圧の調整と頭上から吹き付ける空気の効果を考えたら、ここ待合室がヤマバだ」と自分自身に言い聞かせることにした。そのうち、機内まで持ち込めば危機は回避できるという確信が沸いてきた。
時間がたつに従い、胸は高鳴り、冷や汗がにじみ出てきていた。航空会社の従業員がこちらに向かってくるのが見えた。私は緊張して、手持ちの週刊誌の記事を穴が開くほどにらみつけた。チラッと目を上げてみると、その従業員は通路を横切って、左のほうへ行ってしまった。これで助かったと思った。
時間が来て、ぞろぞろと列を作って機内へ入っていった。窓際の座席に座り、隣に誰も座らないように心の中で祈った。いつもなら誰か美人でも座ってくれたらと、期待するのだが、あのときだけは、空席であるように拝むような気持ちでいっぱいだった。しかしそんな期待は数分で裏切られた。太った六十代のおじさんが通路側に座った。中席はまだあいたまま。ナムサンと手を合わせ、わらにもすがりつきたい気持ちでいると、ようやく乗客の搭乗手続きは締め切られた。足元に置いた手さげ袋は依然として、憎らしいほど臭いを放っていた。
離陸後、待望のエアコンが効き始めた。頭上の空気出口を目いっぱい空けて、冷たい空気が吹き付けるのを気持ちよく感じた。「それ見たか!」と、満足感を味わったのは一瞬のことだった。どこからともなくあの強烈な臭いが漂ってきた。レシーフェまでの飛行時間はなんと三時間!気が遠くなるような我慢が必要だ。機内に持ち込んだ以上は、もうどうにもならない。窓から捨てるわけにも行かないし、スチュワーデスに頼んで冷蔵庫に入れてもらうにも、頼みがたい。不安と悩みはいっこう収まらなかった。通路側のおじさんが立ち上がった。スチュワーデスに密告されると思って、ヒヤッとした。幸い、飲んでいたビールのせいで、手洗いに行っただけだった。足元の袋が気になって覗き込むと、むっとする強烈な臭いがした。あの臭いには本当にマイッタ。「ヌンカマイス!」(never more)とはまさにこのことだ!
レシーフェに着き、ホテルでチェックインを済ませると、すでに夜中の十二時半になっていた。部屋に入るなり、冷蔵庫に包みを放り込んだ。しかし、その数分間で、部屋はむんむんと臭った。恥ずかしいが仕方がない。翌日、掃除の人が冷蔵庫を開けたら、ぶったまげるだろうと思いながら、申し訳なくそっとホテルを出た。
要件を済ませた後、ホテルへ戻る前にスーパーに寄って魚など入れる手ごろな箱を買った。そして、その箱に例の包みを入れ、セロテープでしっかりとまきつけた。
翌日、ブラジリア行きの機内では、幸い臭いは緩和された。期待した効果は充分あって、今度は裏切られなかった。迎えに来てくれた友人に、手さげ袋を渡した時、やっと悲劇から開放され、ホッとした。
友人は、私がどれだけ大変な思いをしてサンパウロからこのキムチを持ってきたのかしらない。しかし、このキムチを食べながら、当時私たちがよく行った日系人の経営するゴルフの練習所のことを懐かしく思ってくれれば、頑張ってブラジリアまで持っていったかいがあったというものだ。
© 2013 Hidemitsu Miyamura
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